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■28863 / inTopicNo.73)   純粋理性批判・B129-131
  
□投稿者/ pipit -(2023/01/19(Thu) 22:57:12)
    2023/01/19(Thu) 22:58:22 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは!
    いよいよ『純粋悟性概念の超越論的演繹』です。
    まず、B129-131 まで。この箇所の感想文が過去投稿にありましたので、抜粋引用します。
    ============
    No16086 より抜粋引用。

    pipitの感想。
    今見てるものから概念を引いたもの、が、感覚的な直観とカントは考えてるとしたら、
    その直観に、多様なものの結合は存在しない、と、言ってるのかな、と。

    多様なものが、直観に与えられて、それらを結合するのは、知性だと。
    そして、結合する働きに総合という名称を与える。

    総合があるから、分析も生まれる。
    レゴで言えば、結合させてないとき、分解もあり得ない、だね。

    でもね、と、カント。
    結合という概念には、多様なものという概念と、多様なものの総合という概念の他にも、こうした多様なものの統一という概念も含まれてる。
    結合とは、多様なものが総合的に統一された像。

    (抜粋引用終了)
    ===============

    2023年今日の感想

    むしろ結合より統一という表象がアプリオリに先行している、と、カントはみていそう。
    結合があるとき統一がある、ではなくて、
    統一があるとき結合がある、とみてそうだね。


引用返信/返信 削除キー/
■28837 / inTopicNo.74)  Re[6]: B128-129を考えてみた日記
□投稿者/ pipit -(2023/01/18(Wed) 14:44:33)
    みなさまこんにちは♪

    No28835

    > 【U^ェ^U】→犬→実体(関係のカテゴリー)<

    カント的には『上位且つアプリオリな概念』となる『実体』のような各種カテゴリーに客観妥当性はあるのか、あるならその正当性はどのように権利づけられているのか、が超越論的演繹論であり、その演繹方法は、

    No 28697
    > ★☆★カテゴリーの演繹(カテゴリーの客観妥当性の根拠づけ)は、カテゴリーによってのみ経験的な対象認識が可能となることを提示できれば良い。★☆★<

    になってくるのかなぁ??
    だいぶん力技になる予感するけど...
    (−_−;)ヨムノツカレマスワ...

    休憩
    Qeiru さん ♪ ハテ

    https://youtu.be/_hmUrUKHEqg


    ツカレタヨー
    _(┐「ε:)_
引用返信/返信 削除キー/
■28835 / inTopicNo.75)  B128-129を考えてみた日記
□投稿者/ pipit -(2023/01/18(Wed) 12:16:29)
    2023/01/18(Wed) 12:29:12 編集(投稿者)
    2023/01/18(Wed) 12:20:48 編集(投稿者)

    みなさまこんにちは。
    No28820 について考えてみました。

    ============
    ●参照ページ 
    (超越論的分析論>概念の分析論>すべての純粋知性概念を発見する方法について>)第一節・知性一般の論理的な利用について ●B92-94

    カテゴリー表 ●B106
    ============
    ※pipitが考えた例

    例えば 【U^ェ^U】という直観による対象を得る。

    悟性の働きにより各表象を以下のように配置する。

    【U^ェ^U】→犬→実体(関係のカテゴリー)

    関係のカテゴリーは表象と表象の関係を連関されるもので、
    例えば「犬」「尻尾あり」の二つの表象があるとすると、対象が包摂されているのは「犬」の方なので、自ずと「犬」が主語に位置付き、「犬には尻尾がある。」という理解になる。(※一般論理学ではなく超越論的論理学のカテゴリーだからこその、内容を捨てていないゆえの回路の固定化?)

    このような言い分で、カントは、

    【◇】→物体→実体 となるとき、

    > しかしながら、「実体」のカテゴリーは、「物体」の概念がその下に置かれる時、それを規定する。
    > 経験における経験的な直観は、常に主語として、決して述語としてではなく、みられなくてはならない。
    > 他のすべてのカテゴリーについても同様である。<

    と述べてるのかなーと、考えてみました。
引用返信/返信 削除キー/
■28833 / inTopicNo.76)  おやすみ日記
□投稿者/ pipit -(2023/01/17(Tue) 22:56:38)
    No28821に返信(pipitさんの記事)
    > No28820
    > について、考えてみたいと思いますが、今日はもう根性なくなりましたー
    > おやすみなさいー
    >
    > (-_-)zzz

    うーん、、、考えてみたかったのですが、
    結果としては、ちゃんと考えなかった、、
    おやすみなさい!(逃)

    Qeiru さん ♪ 懐穹
    https://youtu.be/JHsa1_Qgvc4
引用返信/返信 削除キー/
■28821 / inTopicNo.77)  Re[5]: 純粋理性批判・B127-130
□投稿者/ pipit -(2023/01/17(Tue) 00:24:46)
    No28820
    について、考えてみたいと思いますが、今日はもう根性なくなりましたー
    おやすみなさいー

    (-_-)zzz
引用返信/返信 削除キー/
■28820 / inTopicNo.78)  純粋理性批判・B127-130
□投稿者/ pipit -(2023/01/17(Tue) 00:20:51)
    みなさまこんばんは☆彡
    B127-130の箇所で、
    pipitが気になったのは、カテゴリーとは何か?とカントが述べた部分です。
    英訳(J. M. D. Meiklejohnさん英訳)を日訳してみます。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap40

    =============

    They are conceptions of an object in general, by means of which its intuition is contemplated as determined in relation to one of the logical functions of judgement.

    カテゴリーとはある対象一般の概念であり、それにより対象の直観は、判断の論理的機能の一つとの関係で規定されたものとして考えられる。

    The following will make this plain. The function of the categorical judgement is that of the relation of subject to predicate;
    for example, in the proposition: “All bodies are divisible.”

    以下は、このことを明確にするものである。定言的判断の機能は、主語と述語の関係の規定であり、たとえば、命題では「すべての物体は分割可能である」である。

    But in regard to the merely logical use of the understanding, it still remains undetermined to which Of these two conceptions belongs the function Of subject and to which that of predicate.
    For we could also say: “Some divisible is a body.”

    しかし、悟性の単なる論理的使用においては、まだどちらが主語と述語になるのかは決定していない。
    というのは、私たちは「いくつかの分割可能なものは物体である」とも言えるからである。

    But the category of substance, when the conception of a body is brought under it, determines that;

    しかしながら、「実体」のカテゴリーは、「物体」の概念がその下に置かれる時、それを規定する。

    and its empirical intuition in experience must be contemplated always as subject and never as mere predicate. And so with all the other categories.

    経験における経験的な直観は、常に主語として、決して述語としてではなく、みられなくてはならない。
    他のすべてのカテゴリーについても同様である。

    ========

引用返信/返信 削除キー/
■28819 / inTopicNo.79)  Re[5]: 超越論的論理学 序論V−3
□投稿者/ pipit -(2023/01/17(Tue) 00:18:56)
    うましかさん、こんばんはー(^○^)
    No28816
    黒崎先生が面白がってたカントの真理観のとこですね!

    私は、
    『§14 カテゴリーの超越論的演繹への移行』(田村一郎先生訳)B125-130
    の箇所を、なんとか目を通しました
    (*_*) ツカレマシター

    カント文、おつかれさまです( ^ω^ )



引用返信/返信 削除キー/
■28816 / inTopicNo.80)  超越論的論理学 序論V−3
□投稿者/ うましか -(2023/01/16(Mon) 22:59:30)
    2023/01/16(Mon) 23:01:08 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学

    序論 超越論的論理学の構想
     V 一般論理学を分析論と弁証論とに区分することについて〔Von der Einteilung der allgemeinen Logik in Analytik und Dialektik〕

    ◆ 合理的に問うとはどのようなことであるかを承知しているのは、既に、怜悧さ乃至は明敏さを大いに証拠立てることであり、また証拠立てるのに必要なことである。なぜなら、問い自体が不合理であって、無用な答えを求めるなら、そうした問いは、この問いを投げかける人の恥辱は別としても、時としてその上、この問いを軽率に聞いた人を不合理な答えをするように誤らせて、笑うべき光景を呈するという害を及ぼすものであるが、その光景とは、昔話にもあるように、一人が〔メスではなく〕オス山羊の乳をしぼり、もう一人が篩でそれを受けているといったようなものなのである。

    --- No.28740 からの続き ---

    ◇ もし真理が認識とその対象との一致にあるなら、このことによって、その対象は他の諸対象から区別されなければならない。
    なぜなら、もし或る認識が、それが連関付けられる対象と一致しないなら、たとえその認識があるいは他の諸対象については妥当するかもしれない或るものを含んでいようとも、偽であるからである。

    ◇ ところで、真理の普遍的な標識〔基準*1〕〔allegemeines*2 Kriterium der Wahrheit〕は、全ての認識についてその対象の区別なく妥当するようなものであるはずである。
    しかし、明らかなのは、この標識にあっては、認識の全ての内容(認識のとその客観との連関)が捨象されているのに、真理はまさしくこの内容に関わるのであるから、認識のこの内容の真理の微表を問うのは全く不可能であり不合理であるということ、それ故、真理の十分な、しかも同時に普遍的な標識を指示するのは不可能であるということである。

     *1 中山元訳、石川文康訳では、ともに「基準」と訳している。
     *2 原佑訳、中山元訳、石川文康訳は、全て「普遍的」と訳している。

    ◇ 私たちは既に認識の内容を認識の実質と名付けておいたので、こう言わざるを得ないだろう。
    認識の真理には、その実質からみていかなる普遍的な標識も要求され得ないが、それは、こうした要求がそれ自身において矛盾したことであるからである、と。


    † 原佑訳上巻、p.199参照。
    † その他に、中山元訳2、p.31、石川文康訳上巻、p.116を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    V−1 No.28726、V−2 No.28740、V−3 No.28816
    U−4 No.28561、U−5 No.28709
    U−1 No.28334、U−2 No.28383、U−3 No.28436
    T−7 No.28210
    T−4 No.28011、T−5 No.28045、T−6 No.28161
    T−1 No.27245、T−2 No.27255、T−3 No.27310

    *******

    序論
    T No.27245,27255,27310,28011,28045,28161,28210,28334
    U No.28334,28383,28436,28561,28709
    V No.28726,28740,28816

引用返信/返信 削除キー/
■28753 / inTopicNo.81)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2023/01/15(Sun) 06:48:50)
    マジモンさん、おはよーございます(^^)

    No28747
    > カントも感性界って言っているんですね…。
    > 感性に界があるんだというのが、不思議でたまらない。<

    そうかぁ、マジモンさんは生物学を勉強してたから、きっちり定義された『界』という用語の使い方が頭にあるのかもですね!
    それで、『界』なんて使えるのかなーと思ったのかな?と思いました。

    pipitはいい加減に言葉使うのですみませんm(_ _)m
    pipit的には、特定の構成要素で作られている一つのまとまりを『界』って考えてる感じかなー。
    でも文脈で意味も変えて使ってるかも。

    wikiに『界 (分類学) 』という項目がありました。
    マジモンさんは、このような、きっちりした区分の意味を持つ『界』が頭にあって、その言葉を『感性』につけるなんて、無理じゃないかなーと思ったのかな?と思いました。

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%95%8C_(%E5%88%86%E9%A1%9E%E5%AD%A6)

    『界 (分類学) 』wikiより一部抜粋引用
    『界(かい、英: kingdom、羅: regnum)は、生物分類のリンネ式階級分類における階級の1つである。界の上に上界、下に亜界・下界を置くことがある。界は基本的階級(必ず置かなければならない階級)の1つで、基本的階級のうち最上位に位置するが、近年では界の上のドメインを基本的階級とみなすことがある。
    界は長らく、(基本的階級以外を含めても)最上位の階級で、動物界と植物界の2つのみが認められてきた(二界説)。この考えは現在でも一般社会では広く通用している。しかし、19世紀末からさまざまな界が新設され、特に20世紀末以降は、界分類の再編が日常的に唱えられている。現在[いつ?]は10前後の界を置くことが多いが、分類の前提となる系統の段階で諸説あり、一致には遠い。

    界の歴史
    生物は古代から2つ(植物、動物)に分けられ、近代にはそれぞれが界とされたが、微生物の知見が高まってくると、三界、五界、八界に分ける説などが登場してきた。
    博物学での三界
    生物学が博物学に属していた時代には、博物学では3つの「界」が認められていた。動物界(動くもの)・植物界(動かないが成長するもの)・鉱物界(成長しないもの)である。リンネも3つの界を認めた。
    界の変遷
    二界説
    生物学が博物学から独立してくると、生物学の対象となったのは、動物界・植物界の2界となった。それぞれの界は、以前は class (類)に分けられていたが、のちに門(動物については phylum、植物については division)に分けられるようになった。』
    引用終了

    ===========

    いろいろ考えられました。
    コメントありがとうございます!

引用返信/返信 削除キー/
■28747 / inTopicNo.82)  Pipitさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/01/15(Sun) 00:25:32)
    No28745に返信(pipitさんの記事)
    > 2023/01/14(Sat) 23:09:14 編集(投稿者)
    >
    > はい、こんばんは、マジモンさん(^ ^)
    >
    > No28743
    >>『 五感 』で連想するのムカデなんだよね。
    >>
    >>んで、ムカデって知覚ないと思うんだわね。
    >>その感性界なるものは、ヒトの内ですか?
    >>ムカデには感性界はあると思う?<
    >
    > pipitの日記の文脈で言えば、
    > カントは数学の出所の一つを感性の形式に置いた、という意味でpipitが勝手に「感性界」と名付けたんですね。
    > 「界」が気になるなら、とりあえず「界」抜きで考えてみてください。
    >
    > pipitが言いたかったことは、、、
    > マジモンさんこれ見てくれます?↓
    >
    > https://i.pinimg.com/originals/05/b1/13/05b11357a40962a34f1c3db695ddcf2d.jpg
    >
    > 色彩現れたでしょう?
    > その現れるための形式を使用して、人間は数学も構成してる、ってカントは言いたいんじゃないかな、と、pipitは思ってるんです。
    >
    > 上記の内容を心に思ってpipitは日記で「感性界」と安易に書いてしまったけど、カントの使用する「感性界」とはまた違うものではないかと思っています。(そのあたりpipitはまだ未勉強できちんとわからなくてすみません。)

    返信ありがとうございます。
    カントも感性界って言っているんですね…。
    感性に界があるんだというのが、不思議でたまらない。


引用返信/返信 削除キー/
■28745 / inTopicNo.83)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2023/01/14(Sat) 22:45:55)
    2023/01/14(Sat) 23:09:14 編集(投稿者)

    はい、こんばんは、マジモンさん(^ ^)

    No28743
    > 『 五感 』で連想するのムカデなんだよね。
    >
    > んで、ムカデって知覚ないと思うんだわね。
    > その感性界なるものは、ヒトの内ですか?
    > ムカデには感性界はあると思う?<

    pipitの日記の文脈で言えば、
    カントは数学の出所の一つを感性の形式に置いた、という意味でpipitが勝手に「感性界」と名付けたんですね。
    「界」が気になるなら、とりあえず「界」抜きで考えてみてください。

    pipitが言いたかったことは、、、
    マジモンさんこれ見てくれます?↓

    https://i.pinimg.com/originals/05/b1/13/05b11357a40962a34f1c3db695ddcf2d.jpg

    色彩現れたでしょう?
    その現れるための形式を使用して、人間は数学も構成してる、ってカントは言いたいんじゃないかな、と、pipitは思ってるんです。

    上記の内容を心に思ってpipitは日記で「感性界」と安易に書いてしまったけど、カントの使用する「感性界」とはまた違うものではないかと思っています。(そのあたりpipitはまだ未勉強できちんとわからなくてすみません。)

引用返信/返信 削除キー/
■28743 / inTopicNo.84)  Re[4]: マジモンさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/01/14(Sat) 21:34:13)
    No28738に返信(pipitさんの記事)
    > 2023/01/14(Sat) 20:11:34 編集(投稿者)
    >
    > No28735
    > https://i.pinimg.com/originals/05/b1/13/05b11357a40962a34f1c3db695ddcf2d.jpg
    >
    > ↑
    >
    > これ、マジモンさんにとって、『視覚(色彩)』ではないのですか?


    はい、こんばんわ、Pipitさん

    『 五感 』で連想するのムカデなんだよね。

    んで、ムカデって知覚ないと思うんだわね。
    その感性界なるものは、ヒトの内ですか?
    ムカデには感性界はあると思う?
引用返信/返信 削除キー/

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