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超越論的論理学 序論V−3
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□投稿者/ うましか -(2023/01/16(Mon) 22:59:30)
| 2023/01/16(Mon) 23:01:08 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー
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T 超越論的原理論 第二部門 超越論的論理学
序論 超越論的論理学の構想 V 一般論理学を分析論と弁証論とに区分することについて〔Von der Einteilung der allgemeinen Logik in Analytik und Dialektik〕
◆ 合理的に問うとはどのようなことであるかを承知しているのは、既に、怜悧さ乃至は明敏さを大いに証拠立てることであり、また証拠立てるのに必要なことである。なぜなら、問い自体が不合理であって、無用な答えを求めるなら、そうした問いは、この問いを投げかける人の恥辱は別としても、時としてその上、この問いを軽率に聞いた人を不合理な答えをするように誤らせて、笑うべき光景を呈するという害を及ぼすものであるが、その光景とは、昔話にもあるように、一人が〔メスではなく〕オス山羊の乳をしぼり、もう一人が篩でそれを受けているといったようなものなのである。
--- No.28740 からの続き ---
◇ もし真理が認識とその対象との一致にあるなら、このことによって、その対象は他の諸対象から区別されなければならない。 なぜなら、もし或る認識が、それが連関付けられる対象と一致しないなら、たとえその認識があるいは他の諸対象については妥当するかもしれない或るものを含んでいようとも、偽であるからである。
◇ ところで、真理の普遍的な標識〔基準*1〕〔allegemeines*2 Kriterium der Wahrheit〕は、全ての認識についてその対象の区別なく妥当するようなものであるはずである。 しかし、明らかなのは、この標識にあっては、認識の全ての内容(認識のとその客観との連関)が捨象されているのに、真理はまさしくこの内容に関わるのであるから、認識のこの内容の真理の微表を問うのは全く不可能であり不合理であるということ、それ故、真理の十分な、しかも同時に普遍的な標識を指示するのは不可能であるということである。
*1 中山元訳、石川文康訳では、ともに「基準」と訳している。 *2 原佑訳、中山元訳、石川文康訳は、全て「普遍的」と訳している。
◇ 私たちは既に認識の内容を認識の実質と名付けておいたので、こう言わざるを得ないだろう。 認識の真理には、その実質からみていかなる普遍的な標識も要求され得ないが、それは、こうした要求がそれ自身において矛盾したことであるからである、と。
† 原佑訳上巻、p.199参照。 † その他に、中山元訳2、p.31、石川文康訳上巻、p.116を参照。 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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V−1 No.28726、V−2 No.28740、V−3 No.28816 U−4 No.28561、U−5 No.28709 U−1 No.28334、U−2 No.28383、U−3 No.28436 T−7 No.28210 T−4 No.28011、T−5 No.28045、T−6 No.28161 T−1 No.27245、T−2 No.27255、T−3 No.27310
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序論 T No.27245,27255,27310,28011,28045,28161,28210,28334 U No.28334,28383,28436,28561,28709 V No.28726,28740,28816
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