■29173 / inTopicNo.63) |
超越論的論理学 序論V−4
|
□投稿者/ うましか -(2023/01/30(Mon) 22:51:39)
| 2023/01/30(Mon) 22:52:36 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー
カント沼の沼地にもどってきました(;´・ω・)
(/・ω・)/パシャパシャ
*******
T 超越論的原理論 第二部門 超越論的論理学
序論 超越論的論理学の構想 V 一般論理学を分析論と弁証論とに区分することについて〔Von der Einteilung der allgemeinen Logik in Analytik und Dialektik〕
◆ もし真理が認識とその対象との合致にあるなら、このことによって、その対象は他の諸対象から区別されなければならない。なぜなら、もし或る認識が、それが連関付けられる対象と合致しないなら、たとえその認識があるいは他の諸対象については妥当するかもしれない或るものを含んでいようとも、偽であるからである。 ところで、真理の普遍的な標識〔allegemeines Kriterium der Wahrheit〕は、全ての認識についてその対象の区別なく妥当するようなものであるはずである。しかし、明らかなのは、この標識にあっては認識の全ての内容(認識のとその客観との連関)が捨象されているのに、真理はまさしくこの内容に関わるのであるから、認識のこの内容の真理の微表を問うのは全く不可能であり不合理であるということ、それ故、真理の十分な、しかも同時に普遍的な標識を指示するのは不可能であるということである。 私たちは既に認識の内容を認識の実質と名付けておいたので、こう言わざるを得ないだろう。認識の真理には、その実質からみていかなる普遍的な標識も要求され得ないが、それは、こうした要求がそれ自身において矛盾したことであるからである、と。
--- No.28816 からの続き ---
◇ しかし、その単なる形式からみた(全ての内容を除去した)認識に関して言えば、同様に次のことは明瞭である。すなわち、論理学は、それが悟性の普遍的で必然的な諸規則を論述する限り、まさにこれらの諸規則のうちで真理の標識を明示しなければならないということである。なぜなら、それらの諸規則と矛盾するものは偽であるからである。
◇ というのは、悟性は、その際〔悟性の諸規則と矛盾する際〕には、思考に関する己の普遍的な諸規則と、従って己自身と矛盾するからである。だが、こうした標識は、真理の、換言すれば、思考一般の形式にだけ関わり、だからその限りではまったく正しいが、しかし十分ではない。なぜなら、たとえ或る認識がその論理形式には完全に適っているにせよ、換言すれば、自己矛盾はおかしていないにせよ、それでもその認識は依然としてその対象と矛盾することがあり得るからである。
◇それ故、真理の単に論理的な標識、即ち悟性及び理性の普遍的で形式的な諸法則との認識の合致は、なるほど全ての真理の必要条件であり、従って全ての真理の消極的条件ではある。しかし、この論理学はそれ以上に出ることはできず、だから形式にではなく内容に関する誤謬を、この論理学はいかなる試金石によっても発見することはできないのである。
† 原佑訳上巻、p.199〜p.200参照。 † その他に、中山元訳2、p.32〜p.33、石川文康訳上巻、p.116〜p.117を参照。 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
*******
V−4 No.29173 V−1 No.28726、V−2 No.28740、V−3 No.28816 U−4 No.28561、U−5 No.28709 U−1 No.28334、U−2 No.28383、U−3 No.28436 T−7 No.28210 T−4 No.28011、T−5 No.28045、T−6 No.28161 T−1 No.27245、T−2 No.27255、T−3 No.27310
*******
序論 T No.27245,27255,27310,28011,28045,28161,28210,28334 U No.28334,28383,28436,28561,28709 V No.28726,28740,28816,29173
|
|