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■29291 / inTopicNo.73)  ダンマパダ第三章・心(The Mind)35
  
□投稿者/ pipit -(2023/02/04(Sat) 16:42:06)
    みなさま、こんにちはー。Bhikkhu Sujatoさま英訳ダンマパダ35です☆


    Hard to hold back, flighty,
    alighting where it will;
    it’s good to tame the mind;
    a tamed mind leads to bliss

    抑えにくく、軽々と欲するところに飛んでいく。
    その心を制御できることはいいことだ。
    制御された心は、幸せにつながる。

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■29262 / inTopicNo.74)  ダンマパダ第三章・心(The Mind)34
□投稿者/ pipit -(2023/02/03(Fri) 19:31:44)
    みなさまこんばんは!Bhikkhu Sujatoさま英訳ダンマパダ34です。

    マーラ(悪魔)さんの名前が出てきますよ。マーラさんの他にもいろいろな悪魔さんが仏典に時々登場します
    (*^ω^*)

    ※※※※※※※※

    Like a fish pulled from the sea
    and cast upon the shore,
    this mind flounders about,
    trying to throw off MAra’s sway.

    海から引き揚げられ、岸に放り投げられた魚のように、
    この心は、マーラ(悪魔)の支配から逃れようと、もがき苦しむ。

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■29245 / inTopicNo.75)  ダンマパダ第三章・心(The Mind)33
□投稿者/ pipit -(2023/02/02(Thu) 22:47:19)
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■29169 / inTopicNo.76)  ダンマパダ第三章・心(The Mind)
□投稿者/ pipit -(2023/01/30(Mon) 17:32:04)
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■29160 / inTopicNo.77)  第ニ章・不放逸(Diligence)32
□投稿者/ pipit -(2023/01/29(Sun) 23:28:27)
    みなさまこんばんは☆彡
    Bhikkhu Sujatoさま英訳・ダンマパダ第二章最後の偈です!

    A mendicant who loves to be diligent,
    seeing fear in negligence
    such a one can’t decline,
    and has drawn near to extinguishment.

    不放逸であることを楽しみ、不注意の中に恐れを見る修行者ー
    そのような者の衰退はあり得ず、
    涅槃に近づいている。

    ===========
    (pipit感想)
    スジャトー様が「extinguishment」( 〔火を〕消すこと、消滅)と英訳されている原語は【nibbanasseva】・・・ニルヴァーナ(涅槃)のことですね。

    wiki『涅槃』より一部抜粋※記号省略
    『原語のサンスクリット語: nirvana(ニルヴァーナ、巴: nibbana)とは「消えた」という意味である[11]。「涅槃」はこれらの原語の音写である[8][9][注釈 3]。音写はその他に泥曰(ないわつ)、泥洹(ないおん)、涅槃那、涅隸槃那などがある』

    消える、というと私が思い出すのは『宝経(たからきょう)』の一文です。

    『ブッダのことば スッタニパータ』中村元先生訳、岩波文庫p53より引用します。

    『古い(業)はすでに尽き、新しい(業)はもはや生じない。その心は未来の生存に執著することなく、種子をほろぼし、それが成長することを欲しないそれらの賢者は、灯火のように滅びる。このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。この真理によって幸せであれ。』

    火がふっと消える、そんなイメージとともに宝経の偈を思い出していたら、もう一つ尼様の偈のことも思い出しました。

    中村元先生訳の『尼僧の告白 テーリーガーター』を開いてみると、パターチャーラー様の偈で、今回のダンマパダの偈とシンクロしてるかのように思えたので、引用させていただきます。
    p29.30より。

    『〔世の中では〕鋤で田を耕やし、地に種を蒔き、妻子を養いながら、若者たちは富を得る。

    わたしは、戒行を身に具え、師の教えを実行しているのですから、どうして安らぎを得ないことがあり得ましょうか。わたしは、怠けず、浮わついていないのです。

     わたしは、両足を洗って、その水の中に〔映った自分のすがたを〕見ました。そうして、足を洗った水が高いところから低いところへ流れて来るのを見て、そのとき、わたしは、生れのよい駿馬を御するように、心を安定させました。

     それから、わたしは、燈火を手にとって、(わたしの)庵室に入りました。わたしは、臥すところを見わたして、臥床に近づきました。

     それから、わたしは針を手に執って、燈心を引き下げました。燈火が消え失せるが如くに、心の解脱が起りました。
       パターチャーラー尼 』

    テーリーガーターやっぱりいいなぁ
    (#^.^#)

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■29150 / inTopicNo.78)  Re[18]: 日記
□投稿者/ pipit -(2023/01/29(Sun) 14:21:32)
    前に悪魔ちゃんが教えてくれたものの見方、

    お月さんが、それぞれに、お月さん自身を表してるなら、

    同じお月さん、ある意味で? 見たって言えるんかなー

    前に子供と夜空で、たまたま流れ星見て、2人とも、あっ!って言ったなー

    ☆彡
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■29148 / inTopicNo.79)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/01/29(Sun) 12:04:05)
    悪魔ちゃんにも悪魔ちゃんが生じてるんかなー

    なんかが生じてるんかなー

    だから、間主観性って言うんかな、おもしろいな
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■29124 / inTopicNo.80)  Re[16]: 第ニ章・不放逸(Diligence)31
□投稿者/ pipit -(2023/01/27(Fri) 19:51:00)
    No29123に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、
    > ■29122、
    > >【自分に】<
    > の「自分」ってなあに?

    自分が何かって難しいけどさぁ、最近勤め先でムカって怒った時とか思うんよ、

    「どこに生じてる?」 って。

    あぁ、ここに、生じてるって。

    思うんよねー。これ、自分に生じてるのかなー。
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■29123 / inTopicNo.81)  Re[15]: 第ニ章・不放逸(Diligence)31
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/01/27(Fri) 19:48:14)
    pipitさま、
    ■29122、
    >【自分に】<
    の「自分」ってなあに?
引用返信/返信 削除キー/
■29122 / inTopicNo.82)  Re[14]: 第ニ章・不放逸(Diligence)31
□投稿者/ pipit -(2023/01/27(Fri) 19:43:51)
    No29121に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 「何に」注意してばっかしてなくちゃならないのかしら?

    悪魔ちゃん、こんばんは(^O^)

    pipitとしては、【自分に】注意しろ、って教えだと思ってるよー

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■29121 / inTopicNo.83)  Re[13]: 第ニ章・不放逸(Diligence)31
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/01/27(Fri) 19:41:22)
    「何に」注意してばっかしてなくちゃならないのかしら?
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■29119 / inTopicNo.84)  第ニ章・不放逸(Diligence)31
□投稿者/ pipit -(2023/01/27(Fri) 19:33:28)
    みなさまこんばんは。Bhikkhu Sujatoさま英訳ダンマパダ31です。

    A mendicant who loves to be diligent,
    seeing fear in negligence
    advances like fire,
    burning up fetters big and small.

    不放逸を楽しむ修行者は、怠けることに恐怖を見る。
    彼らは大きなものでも小さなものもでも束縛を焼き尽くしながら、火のように進む。

    ===========

    (pipit感想)
    読んだ時にかっこいい詩だなぁと思いました。自らの内なる束縛を焼き尽くしながら進む。
    fetters(束縛・足枷)と訳された元のパーリ語は、《Samyojanam》※記号省略。
    日本においては『結(けつ)』と知られている単語のようです。

    以下wikiより抜粋引用
    『結 (仏教)

    仏教において結(けつ、巴: samyojana, サンヨージャナ)とは、衆生を輪廻に縛り付ける「束縛」としての煩悩のこと[1]。結のため、人は苦しみに満ちた生を繰り返すこととなる。
    (略)

    以下が論(アビダンマ)の分類法(巴: abhidhamma-naya)における「結」である。[1]

    貪欲とんよく(巴: kama-raga)
    瞋恚しんに(巴: patigha)
    慢まん(巴: mana)
    見けん(巴: ditthi) - まちがった見解
    疑ぎ(巴: vicikiccha)
    戒禁取かいごんしゅ(巴: silabbata-paramasa)
    有貪うとん(巴: bhavaraga) - 存在することへの執着
    嫉しつ(巴: issa) - ねたみ、嫉妬
    慳けん(巴: macchariya) - けち、物惜しみ
    無明むみょう(巴: avijja)』

    抜粋引用終了

    初期仏教は、自分の中にあるこれらの感情を捨てて行く修行をするのですね。

    捨てた景色は、どんな景色なのかなー




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