| みなさまこんばんは。Bhikkhu Sujatoさま英訳ダンマパダ31です。
A mendicant who loves to be diligent, seeing fear in negligence advances like fire, burning up fetters big and small.
不放逸を楽しむ修行者は、怠けることに恐怖を見る。 彼らは大きなものでも小さなものもでも束縛を焼き尽くしながら、火のように進む。
===========
(pipit感想) 読んだ時にかっこいい詩だなぁと思いました。自らの内なる束縛を焼き尽くしながら進む。 fetters(束縛・足枷)と訳された元のパーリ語は、《Samyojanam》※記号省略。 日本においては『結(けつ)』と知られている単語のようです。
以下wikiより抜粋引用 『結 (仏教)
仏教において結(けつ、巴: samyojana, サンヨージャナ)とは、衆生を輪廻に縛り付ける「束縛」としての煩悩のこと[1]。結のため、人は苦しみに満ちた生を繰り返すこととなる。 (略)
以下が論(アビダンマ)の分類法(巴: abhidhamma-naya)における「結」である。[1]
貪欲とんよく(巴: kama-raga) 瞋恚しんに(巴: patigha) 慢まん(巴: mana) 見けん(巴: ditthi) - まちがった見解 疑ぎ(巴: vicikiccha) 戒禁取かいごんしゅ(巴: silabbata-paramasa) 有貪うとん(巴: bhavaraga) - 存在することへの執着 嫉しつ(巴: issa) - ねたみ、嫉妬 慳けん(巴: macchariya) - けち、物惜しみ 無明むみょう(巴: avijja)』
抜粋引用終了
初期仏教は、自分の中にあるこれらの感情を捨てて行く修行をするのですね。
捨てた景色は、どんな景色なのかなー
|