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■27838 / inTopicNo.61)  悪魔ちゃんへ
  
□投稿者/ pipit -(2022/12/09(Fri) 23:39:28)
    2022/12/10(Sat) 09:36:45 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは(^ ^)

    No27833
    > >認知とか判断のカテゴリーだと思ってるよ<
    > これを、「認識における判断」のカテゴリーってしちゃっていい?
    > わたしの持ち込んじゃって悪いけど、
    > 「カテゴリー」って「範疇」と同じ意味で、たぶんカントのことだから、「哲学で、あらゆる事象をそれ以上に分類できないところで包括する一般的な基本概念」としての「カテゴリー」なんだとわたし見たんだけど、<

    ただカントの超越論的哲学の場合、認識に対象が従う、という哲学みたいだから、
    カテゴリーに沿って事象が生じる、というイメージをpipitはもってるけどね。


    > このようなカテゴリーが、カントの場合、
    >
    > 注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    > 第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    > 第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。
    >
    > っていうこと? っていうことを聞きたいの。<


    前に悪魔ちゃん、対象は感性の中で対象としてすでに総合されてる、みたいなこと言ってたやん?
    その時の総合を、カントの場合はカテゴリーで能動的に総合してる、って言ってるんちゃうかなと思ってるんよ。
    だから、カテゴリーに合わせて(総合されていない感性的直観を素材として)認識を成型してるイメージをpipitは持ってるよ。

    そして、その純粋悟性概念は判断の時に使用される概念だから、純粋悟性概念を使って、いろいろな哲学は構築され得る、けど、感性的直観抜きで概念オンリーで判断すると、エラーが出ることをカントとしては証明してるのが二律背反などの箇所だとpipitは思ってます。


    > 「直観の対象」とか「対象の現存」っていうのは横に置いて、わたし「カテゴリー」を「分類する・類」ってしてるななかで、
    > カントは「認識」を大きく二つに分類する・類して、「感性」と「悟性」だったよね。
    > これと同じように、「認識における判断」を大きく二つに分類する・類して、「数学的カテゴリー(類)」と「力学的カテゴリー(類)」とした、っていうことでいい?
    >

    いいと思うんだけど、
    ただ、分類はされてるけど、数学的と力学的カテゴリーの使用がお互い排他的ということではなく、判断において同時使用されていることもあると思ってるよ。

    カテゴリー、pipitまだ理解できてなくて、誤解してたらごめんね。
引用返信/返信 削除キー/
■27836 / inTopicNo.62)  Re[20]: pipitへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/09(Fri) 20:59:04)
    No27833、なんかTitleが「pipitへ」ってなってた。
    「さま」が抜けててごめん。
    わたしこういう言い方するひと、ヘイトする。


引用返信/返信 削除キー/
■27833 / inTopicNo.63)  Re[19]: pipitへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/09(Fri) 20:15:38)
    pipitさま、ありがと。
    もうちょっと聞いちゃいたいんだけど。

    >認知とか判断のカテゴリーだと思ってるよ<
    これを、「認識における判断」のカテゴリーってしちゃっていい?
    わたしの持ち込んじゃって悪いけど、
    「カテゴリー」って「範疇」と同じ意味で、たぶんカントのことだから、「哲学で、あらゆる事象をそれ以上に分類できないところで包括する一般的な基本概念」としての「カテゴリー」なんだとわたし見たんだけど、
    このようなカテゴリーが、カントの場合、

    注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。

    っていうこと? っていうことを聞きたいの。

    「直観の対象」とか「対象の現存」っていうのは横に置いて、わたし「カテゴリー」を「分類する・類」ってしてるななかで、
    カントは「認識」を大きく二つに分類する・類して、「感性」と「悟性」だったよね。
    これと同じように、「認識における判断」を大きく二つに分類する・類して、「数学的カテゴリー(類)」と「力学的カテゴリー(類)」とした、っていうことでいい?

    ごめんね、わたしごとで。

引用返信/返信 削除キー/
■27825 / inTopicNo.64)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/12/08(Thu) 20:12:10)
    No27824に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お邪魔しま〜す。
    >
    > 注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    > 第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    > 第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。
    >
    > 「直観の対象」とか「対象の現存」っていうとは関係なく、カントのカテゴリーってなんのカテゴリーなの?

    こんばんは!
    pipitとしては、
    認知とか判断のカテゴリーだと思ってるよー
引用返信/返信 削除キー/
■27824 / inTopicNo.65)  Re[17]: B110
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/08(Thu) 19:56:20)
    お邪魔しま〜す。

    注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。

    「直観の対象」とか「対象の現存」っていうとは関係なく、カントのカテゴリーってなんのカテゴリーなの?
引用返信/返信 削除キー/
■27823 / inTopicNo.66)  Re[16]: B110
□投稿者/ pipit -(2022/12/08(Thu) 19:40:50)
    2022/12/08(Thu) 19:48:41 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんはー
    うーん、難しい。。。

    数学的カテゴリーは、直観の対象に向けられ使用される。
    数値化可能な対象の量と、質ということかなぁ。

    力学的カテゴリーは、対象と対象の関係、あるいは対象と主観の関係、、、
    存在に向けられ使用している概念ということ??
    存在は関係の上に生じるということ???

    No27817
    the first of which relates to objects of intuition---pure as well as empirical;
    (日訳)第一のクラス(量・質の純粋悟性概念)は、直感の対象-純粋なものであれ経験的なものであれ-に関係するものです。

    (感想)対象に関して、量・質のカテゴリーを使って総合が行われ、その認識に対象が従う、と。

    the second, to the existence of these objects, either in relation to one another, or to the understanding.
    (日訳)第二に、これらの対象が、互いに、あるいは悟性との関係において、存在することに関係する

    (感想)対象は、その他の対象との関係、あるいは、理解能力との関係において、対象の存在性が規定され認識される。

    かなぁ、ひとまずそのように思いながら読み進めます。

    (-_-)zzz

引用返信/返信 削除キー/
■27818 / inTopicNo.67)  B110
□投稿者/ pipit -(2022/12/07(Wed) 23:01:05)
    No27816に返信(pipitさんの記事)
    TABLE OF THE CATEGORIES

    > 1 ☆Of Quantity

    > 2 ☆Of Quality

    が、数学的カテゴリーで、相関者は持たずに、直観の対象に向けられる。

    ===========

    > 3 ★Of Relation

    > 4 ★Of Modality

    は、力学的カテゴリーで、相関者をもち、対象の現存に向けられる。

    現存に向けられるってどういう意味?

    また明日以降に御子柴善之先生の解説などを読んでみたいと思います。
    今日はおやすみなさい!☆彡(眠)
引用返信/返信 削除キー/
■27817 / inTopicNo.68)  Re[14]: 注1英訳
□投稿者/ pipit -(2022/12/07(Wed) 22:50:08)

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap37

    I. This table, which contains four classes of conceptions of the understanding, may, in the first instance, be divided into two classes, the first of which relates to objects of intuition&#8212;pure as well as empirical; the second, to the existence of these objects, either in relation to one another, or to the understanding.
    The former of these classes of categories I would entitle the mathematical, and the latter the dynamical categories. The former, as we see, has no correlates; these are only to be found in the second class. This difference must have a ground in the nature of the human understanding.
引用返信/返信 削除キー/
■27816 / inTopicNo.69)  カテゴリー表(英訳・一部省略)
□投稿者/ pipit -(2022/12/07(Wed) 22:47:13)
    TABLE OF THE CATEGORIES

    1 ☆Of Quantity
    Unity
    Plurality
    Totality

    2 ☆Of Quality
    Reality
    Negation
    Limitation

    3 ★Of Relation
    Of Inherence and Subsistence (substantia et accidens)
    Of Causality and Dependence (cause and effect)
    Of Community (reciprocity

    4 ★Of Modality
    Possibility-Impossibility
    Existence-Non-existence
    Necessity-Contingenc

引用返信/返信 削除キー/
■27814 / inTopicNo.70)  B110
□投稿者/ pipit -(2022/12/07(Wed) 22:31:57)
    みなさまこんばんは!今日はB110の(注)から_φ(・_・

    No27714
    > B106-110の間に、カント哲学では有名なカテゴリー表が出てきます。
    >
    > wikiとかになんかあるかなーと検索したら、たまたま片山光弥さまのこんなpdfのページを発見↓
    > https://researchmap.jp/koyakatayama/presentations/31942198/attachment_file.pdf
    >
    > なんだろ?
    > おもしろそうだけど、今日はもう眠いので寝ようかな
    > σ(^_^;)
    >
    > B111から、カント自身によるカテゴリー表の註釈があるようなので、その注を読みながら、表も見ていこうかな、と、考えています。<
    --------------------------------
    (pipit読書)
    注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。

    (pipit感想)
    ・・・・注釈になってるん???
    説明になってるん???
    (ー ー;)

    カテゴリー表は、、、
    日本語と英訳が混ざるとアクセス禁止になりやすい印象があるので、一旦ここまでで投稿します。次の投稿で、カテゴリー表についての英訳を投稿してみます。
引用返信/返信 削除キー/
■27794 / inTopicNo.71)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/12/04(Sun) 23:19:33)
    すみません、うましかさんの文章読んでて、ふと、量のカテゴリーを思い出して、思いついたことがあるので、日記とさせていただきます。

    No27790
    > カントは「和」の概念とは「両者の数をひとつの数へと統合すること」だとしていますが、複数の数を、"ひとつの数"へと「統合」するという、この考え自体が、例えば数7に続いて、8,9,10,11,12という5回カウントするという手続きなんじゃないかなーなどと考えています。<

    量のカテゴリーは、
    単一性
    数多性
    全体性

    これに対応してる判断は
    全称的
    特称的
    単称的

    これ、訳者の先生によっては、対応箇所間違えてるんじゃない?的に表現したり、いや対応してる、など様々な解釈があるようで、例えば御子柴善之先生の解説本では対応させて説明されてます(角川選書、p134)

    それで、pipitも対応してる的な解釈を先程思ったのですが、

    すべてのAはBである。は、すべてのAをBに単一的に統合してると思ったんです。
    全称判断から見出される純粋悟性概念は『単一性』となっていますが、
    例えば、それを『単位』的に考えたらどうでしょう?

    同種の対象を時間をかけながら(時間を作り出しながら)総合していく(付け加える)ことを5回繰り返す→5という単一性。
    同種の対象を時間をかけながら(時間を作り出しながら)総合していく(付け加える)ことを7回繰り返す→7という単一性。

    このとき、5に使用された同種の対象と、7に使用された同種の対象が、同種か否かは概念上では決定されてない。概念と結びつけられている直観により、直観を媒介にすることで、5に使用された同種対象と、7に使用された同種対象が共有できる(同種)として、新たな単一として統合できる。

    そんなふうなことを思いました。

    まぁ、普通に考えたら、数は同種の対象の量をそれぞれ表す、というようなことが暗黙のルールとして最初から組み込まれてると捉えるのが自然だと思いますけど
    ( ̄▽ ̄;)

引用返信/返信 削除キー/
■27790 / inTopicNo.72)  Re[14]: 7に5を足すという謎沼(;´・ω・)
□投稿者/ pipit -(2022/12/04(Sun) 15:55:32)
    うましかさん、こんにちは!

    No27785に返信(うましかさんの記事)
    > pipitさん、こんばんはー
    >
    > おひさしぶりですー( ノД`)シクシク…<

    書き込みすごーく嬉しいですヨ
    (o^^o)♪

    > あいかわらずカントに戻れない日がつづきますが
    >
    > 今夜はpipitさんご紹介の論文を読みながら、おもったことなどを…
    >
    > *******
    >
    > ■No27715に返信(pipitさんの記事)
    >>『カントにおける規則としての数概念と算術的判断の総合性』
    >>片山光弥さん
    >>http://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant23/02_ronbun_katayama.pdf
    >>
    > *******
    >
    > 片山の論文16頁には、カントの以下のような引用があります。
    >
    > >なるほど、はじめは次のように考えられるかもしれない。7+5=12という命題は単に分析的な命題であり、この命題は七と五の和の概念から矛盾律に従って生じる、と。
    >
    > うましかは、そもそもこれがわからない(´;ω;`)ウゥゥ
    >
    > 「命題"7+5=12"は、7と5の和の概念から矛盾律〔Aでありかつ非 Aであることはない:〜(A∧〜A)〕に従って生じる」とはどういうことなのか?
    >
    > カントは「はじめは、次のように考えられるかもしれない」と述べていますが、これはそのように考えることが(少なくともカント以前から同時代に至る考えでは)一般的だろうと言っているように、私には読めますが、実際どう論じられていたのかなあ(;´・ω・)<

    第二版序論を見返すと、B14から17あたりに、『数学者の推論はすべて矛盾律にしたがって進行すること(略)が知られていたので』とか、『[数学の]原則もまた矛盾律によって認識されるであろうと信じ込まされていたから』などの文言(宇都宮芳明先生訳、上、p55-)がありました。

    カント自身の矛盾律の定義が、純理の時点でどのようなものかはpipitにはわからないのですが、純理以前に書かれた論文『判明性』では、真なる〈否定判断〉の最高原理として矛盾律を「いかなる主語にも、それと矛盾する述語は属さない」と定式化したとありました。
    (『カント事典』弘文堂、p496、497【矛盾律】参照)

    7+5=12は、アプリオリな分析判断...
    7+5に12は含み済み、と、当時(も現在も?)みなされてた(る)ということなのかな??

    矛盾律に従う数学では、
    7+5に矛盾しないのは、12の時、
    7+5=12は真の命題ということなのかな??

    ( ̄  ̄)?


    > あと、
    >
    > >7 と 5 の和の概念は、両者の数をひとつの数へと統合することより多くのことは含んでおらず、このことによっては、両者をまとめるこの単一の数がどのようなものであるかは断じて思考されないことが分かる。十二という概念は、私が単に七と五のかの統合を考えるということによって既に思考されているわけでは決してなく
    > 〔同,16頁〕
    >
    > カントは「和」の概念とは「両者の数をひとつの数へと統合すること」だとしていますが、複数の数を、"ひとつの数"へと「統合」するという、この考え自体が、例えば数7に続いて、8,9,10,11,12という5回カウントするという手続きなんじゃないかなーなどと考えています。<

    そうですねー、とりあえず、7の中身と5の中身の統合を、片山光弥さまは、

    「@@@@@@@*****」と表現されてましたね。

    それを、

    『ひと続きにたとえば「oooooooooooo」という形象を構成するというものであり』

    として、同種の数え上げに変換する。
    この変換が直観を介して行われてるということなのかなぁ??


    今、西先生の文言を思い出したんですけど、
    『「3に2を加える」というのは作業の指示にすぎません。』(『100分de名著 カント純粋理性批判』西研、p53)
    と、『指示』という表現をされていました。

    統合せよ、と指示が出て、うましかさんもpipitも悪魔ちゃんも?一応同じ答えが出るとするなら、どの場でどのようにカウントしているのか、という共通環境が、各個人の純粋直観という場なのである、というのがカント流の考え方なのかなぁと、今のところ思いました。


    > そもそも「和」の概念といったって極端にいえば、任意じゃないかな、と、、、<

    ルールとして設定されるもの、な気がしますもんね。

    > さんすうの苦手なうましかはそうおもうのでした。。。(;´・ω・)沼<

    わたしもさんすう苦手なのですが...わからないのですが....カント先生のユニークさはおもしろいなぁと思っています
    (о´∀`о)沼

    うましかさん、ありがとうございます。
    寒くなるのでどうぞご自愛くださいませ!
引用返信/返信 削除キー/

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