■28383 / inTopicNo.19) |
超越論的論理学 序論U−2
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□投稿者/ うましか -(2023/01/01(Sun) 00:36:23)
| 2023/01/01(Sun) 00:38:39 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー
今年もよろしくお願いいたします(`・ω・´)ゞ
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T 超越論的原理論 第二部門 超越論的論理学
序論 超越論的論理学の理念 U 超越論的論理学について〔Von der Transzendentalen Logik〕
◇ 一般論理学〔Die allgemeine Logik〕は、私たちが示したように、認識の全ての内容を、換言すれば、認識と客観との全ての連関を捨象し、だから、認識相互の関係における論理形式、換言すれば、思考一般の形式だけを考慮する。ところが、直観には純粋な直観もあれば、経験的な直観もあるので(超越論的感性論が立証するように)、おそらくはまた、対象についての純粋な思考と経験的な思考との間にも、或る区別が見いだされ得るだろう。この場合、認識の全ての内容がそこでは捨象されるのではない、一つの論理学〔eine Logik〕があることになろう。なぜなら、単に対象についての純粋な思考の諸規則のみを含むような論理学は、経験的な内容を持っているかもしれないような全ての認識を、単に排除するに違いないからである。
--- No.28334 からの続き ---
◇ところで、このように内容を捨象しない論理学は、また諸対象についての私たちの認識の起源をも考究するであろう。ただしそれは、この起源が、それらの諸対象に帰せられ得ない限りにおいてである。
◇これに反して、一般論理学は、認識のこうした起源を何ら問題とせず、諸表象を、それらがそもそも初めからア・プリオリに私たち自身の内に与えられていようが、或いはただ経験的に与えられていようが、悟性が思考するときに、悟性がそれらの諸表象をそれによって相互に関係付けるのに用いる諸法則に従ってのみ考察するものなのである。
◇それ故、この一般論理学は、どこからそれらの諸表象が生じたものであろうと、それらの諸表象に与えられ得る悟性形式についてだけ論ずるのである。
† 原佑訳上巻、p.196参照。 † その他に、中山元訳2、p.26、石川文康訳上巻、p.113〜p.114を参照。 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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U−1 No.28334、U−2 No.28383 T−7 No.28210 T−4 No.28011、T−5 No.28045、T−6 No.28161 T−1 No.27245、T−2 No.27255、T−3 No.27310
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序論 T No.27245,27255,27310,28011,28045,28161,28210,28334 U No.28334,28383
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