| あれ、もう、また重複しちゃったみたい。 こんどは、まちがえないように、
わたしの、ここまでのを少し整理して見ると、
(a)自身の顔は直接見ることはできない。自身の鏡像などを見て、はじめて自身の顔を見ることができる。
(b)〈体自〉ちゃんにとって「外界(外諸存在)」は「他(者)」。
(c)生後8-9ヵ月ころの〈体自〉ちゃん (c)-1〈体自〉ちゃんの〈自〉は〈他(者)〉になっている。「外界(外諸存在)」――〈体自〉ちゃんにとっては「他(者)」――を〈体自〉ちゃんは見てるんだけど、「それ」見ている当の〈自〉の存在には気づいていないし、「それ」が「他(者)」とも思われていない――〈自〉も〈他〉も存在していない、自他の区別がない状態――自他融合の状態 (c)-2〈体自〉ちゃんの〈自〉は〈体〉があることもまだ知らない。 このような状態にある〈体自〉ちゃんが鏡を見たとき、まだその鏡像が「自‐体」(〈体自〉ちゃんの〈体〉)だとは思われてないから、「これ、なあに?」。
(d)18ヵ月ころの〈体自〉ちゃん 〈体自〉ちゃんが鏡を見る。その鏡像が〈自-体〉(自の体)だと気づく。そのとき〈自〉は〈体〉があることに気づく。 「あれ!これ、わたし?」って。(――わたし、ここで「わたし」っていう語を使わざるをえなかった。) No****の〔A〕に書かれてある 〔自分自身の統一像があることを学び〕 〔自己の同一性が得られる〕 〔自分の身体を意識し、自己を同定している〕 〔自己の全体像をつくりあげる〕 っていうのは、こういうことをいってるんじゃないかな、って。
(e)自身の鏡像――〈体自〉ちゃんの〈体〉が“外に”映し出され、それを〈体自〉ちゃんが見る。〈体自〉ちゃんは〈体自〉ちゃんが客観化(外に置いて見る)されたことになる。でも、その〈自-体〉の鏡像は「他(者)」。
(f)生後6〜18ヵ月の〈体自〉ちゃんは自他融合の状態だとしたとき、そしてこのような状態で18ヵ月ころになって、その鏡像が〈自-体〉(体自ちゃんの体)って気づいたとき、でもその〈自-体〉の鏡像は「他(者)」である、にもかかわらず、「それ」を〈体自〉ちゃんは〔体自ちゃん自身〕だと思ってしまう。こういうことから、〔虚構的・想像的自我〕、〔自己疎外〕みたいなのが考えられたのかな?
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