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■30407 / inTopicNo.73)  Re[27]: ボクのアオヤマセンセイ
  
□投稿者/ flora -(2023/04/23(Sun) 00:34:40)
    No30405に返信(田秋さんの記事)
    田秋さん、こんにちは

    > 「踏まえる」などというと青山先生に怒られるかもしれません。
    > 「もっと真似ろ!」
    > ===
    >
    > 青山先生の講義は今期で2回目です。2回受けた青山先生の印象ですが、
    > 1.中々の熱血漢
    > 2.その知識は本物
    > といった感じです。
    >
    > 1.は講義の話しぶりからそう感じました。信念を持って熱く語るのです。
    > 2.についてですが、本物を実体験した上で語っています。今回のモアサックのタンパンも現地で語っています。前回受けた講義でもオペラの話はパリ・オペラ座で語っていました。
    >
    > 「オペラ座は貴族の社交場だったのです。オペラを真剣に最初から最後まで観る貴族などいませんでした」
    > 確かにウイング壁面にあるボックス席は舞台の方を向いていません。

    それと大階段から続く大回廊、これは着飾った紳士淑女がしなりしなりと歩いて、みせびらかすために大きな回廊にした・・・と、どこかで読んだことがあります。一方劇場内部は思ったよりちいさいですよね。

    > ですから
    > ---
    > 「踏まえる」などというと青山先生に怒られるかもしれません。
    > 「もっと真似ろ!」
    > ---
    > という作り話もボクがイメージするアオヤマセンセイならこう言うかも・・・ってことです^^

    > 日本舞踊の稽古の映像を見たことがあります。お師匠さんは踊りの「型」を厳しく指導します。お弟子さんは一生懸命真似るのですがOKが出ません。
    > 楽器を習うときも最初は意味も分らずに先生のマネをします。

    > 何でもそうだと思うのですが、それぞれの芸事には「型」があり、それが十分に出来てないうちに個性を出そうとするとただの独りよがりになってしまう危険性があるのだと思います。

    これはわかります。私長い間書道をやっておりましたが、自分の作品を作る時でも並行して、臨書はかかせません。そうしないと上ずった単に気をてらった次元に低いものになる、と言われました。同じですね^^

引用返信/返信 削除キー/
■30405 / inTopicNo.74)  ボクのアオヤマセンセイ
□投稿者/ 田秋 -(2023/04/22(Sat) 21:46:55)
    こんにちは、floraさん

    ===
    「踏まえる」などというと青山先生に怒られるかもしれません。
    「もっと真似ろ!」
    ===

    青山先生の講義は今期で2回目です。2回受けた青山先生の印象ですが、
    1.中々の熱血漢
    2.その知識は本物
    といった感じです。

    1.は講義の話しぶりからそう感じました。信念を持って熱く語るのです。
    2.についてですが、本物を実体験した上で語っています。今回のモアサックのタンパンも現地で語っています。前回受けた講義でもオペラの話はパリ・オペラ座で語っていました。

    「オペラ座は貴族の社交場だったのです。オペラを真剣に最初から最後まで観る貴族などいませんでした」
    確かにウイング壁面にあるボックス席は舞台の方を向いていません。
    「今はS席である正面1階席、昔は椅子がなく平土間でした。ここは一般市民の席だったのです」
    こういう話を現場で(熱く)語られるとこちらも納得してしまいます。

    そんな風なので、ボクは青山先生を信頼しています。
    ですから
    ---
    「踏まえる」などというと青山先生に怒られるかもしれません。
    「もっと真似ろ!」
    ---
    という作り話もボクがイメージするアオヤマセンセイならこう言うかも・・・ってことです^^

    日本舞踊の稽古の映像を見たことがあります。お師匠さんは踊りの「型」を厳しく指導します。お弟子さんは一生懸命真似るのですがOKが出ません。
    楽器を習うときも最初は意味も分らずに先生のマネをします。

    何でもそうだと思うのですが、それぞれの芸事には「型」があり、それが十分に出来てないうちに個性を出そうとするとただの独りよがりになってしまう危険性があるのだと思います。

    そういう意味でボクのアオヤマセンセイは

    「もっと真似ろ」

    と仰ったのでした。  ♪チャンチャン♪


引用返信/返信 削除キー/
■30402 / inTopicNo.75)  Re[25]: 5%
□投稿者/ flora -(2023/04/22(Sat) 19:08:18)
    No30386に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、こんにちは

    > 青山先生は、「モアサックのサン・ピエール教会のタンパンの図柄は、リエバナの修道院長ベアトゥスによって書かれた『黙示録注解』を元に作られものだ」、というフランス図像学の大家エミール・マールの論文を引いて説明しています。

    > それをよく説明しているサイトを見つけました。
    > https://museum-ora.com/2019/07/13/emile-male-3/
    > 特にここの「モアサックのタンパン彫刻と写本挿絵の関係」以下の文章が青山先生が引用したエミール・マールの主張をよく表わしています。

    > 古代ローマ滅亡(先生はそう表現しています。西ローマ帝国滅亡の事だと思います)以降数百年間大きな彫刻(人間の背丈を超える?)は造られてこなかった(キリスト教世界内で?)そうで、このサン・ピエール教会のタンパンが再び大きなものが造られるようになった最初のものだそうです。

    > 上のサイトの5枚目の絵がベアトゥスによって書かれた『黙示録注解』にあり、サン・ピエール修道院はその写本を持っていたに違いないというのが、この絵とモワサックのタンパンの構図を比較検討したエミール・マールの主張です。
    > それらを踏まえて青山先生は、モワサックのタンパンは今までなかったものが突然造られたものではない、必ずそれの手本となるものがある、ということを述べているのだと思います。

    > この講義の冒頭では(新)プラトン主義とロマネスク美術の関係をクレルヴォーのベルナールの言葉(ギヨーム修道院長への弁明)を引用して説明しています。プラトンのイデア論、或いはミーメーシス(模倣:単なる模倣ではありませんが)の考えと、「伝統を踏まえる」ということは相通じるものだと言っているのではないかと思います。

    解りました、解りました^^、
    タンパン彫刻の図柄は『黙示録注解』の写本の一つである、サン・スヴェール写本の「挿絵」から影響を受けた、ということですね。 
    ググったところ写本は35種、そのうち27種は挿入画があるそうですね。

    リンクで言及されている「オリエント」とは中東地域、せいぜいトルコやペルシャの地域を指しているのでしょう。

    > 「踏まえる」などというと青山先生に怒られるかもしれません。
    > 「もっと真似ろ!」

    ノーベル賞受賞の詩人、T.E.エリオットの‘Philip Massinger’という作品があるのですが、その中で(英文を貼り付けるとエラーメッセージ403が出ますので、リンクをはります)

    https://tseliot.com/prose/phillip-massinger
    (p.206)
    [未熟な詩人は模倣し、成熟した詩人は盗む;悪い詩人は取ったものを汚し、良い詩人はそれをより良いものへと、あるいは少なくとも何か違うものにするのです。] F 意訳

    真似る(盗む)作家の能力によって、作り出される作品の質がまったく変わってくるということでしょうか。

    > ===
    > いやあ、こうやって質問を受けると勉強になります。

    宜しくお願いいたします。<m(__)m>

引用返信/返信 削除キー/
■30386 / inTopicNo.76)  Re[24]: 5%
□投稿者/ 田秋 -(2023/04/22(Sat) 07:43:18)
    おはようございます、floraさん

    青山先生は、「モアサックのサン・ピエール教会のタンパンの図柄は、リエバナの修道院長ベアトゥスによって書かれた『黙示録注解』を元に作られものだ」、というフランス図像学の大家エミール・マールの論文を引いて説明しています。

    それをよく説明しているサイトを見つけました。
    https://museum-ora.com/2019/07/13/emile-male-3/
    特にここの「モアサックのタンパン彫刻と写本挿絵の関係」以下の文章が青山先生が引用したエミール・マールの主張をよく表わしています。

    古代ローマ滅亡(先生はそう表現しています。西ローマ帝国滅亡の事だと思います)以降数百年間大きな彫刻(人間の背丈を超える?)は造られてこなかった(キリスト教世界内で?)そうで、このサン・ピエール教会のタンパンが再び大きなものが造られるようになった最初のものだそうです。

    上のサイトの5枚目の絵がベアトゥスによって書かれた『黙示録注解』にあり、サン・ピエール修道院はその写本を持っていたに違いないというのが、この絵とモワサックのタンパンの構図を比較検討したエミール・マールの主張です。
    それらを踏まえて青山先生は、モワサックのタンパンは今までなかったものが突然造られたものではない、必ずそれの手本となるものがある、ということを述べているのだと思います。

    この講義の冒頭では(新)プラトン主義とロマネスク美術の関係をクレルヴォーのベルナールの言葉(ギヨーム修道院長への弁明)を引用して説明しています。プラトンのイデア論、或いはミーメーシス(模倣:単なる模倣ではありませんが)の考えと、「伝統を踏まえる」ということは相通じるものだと言っているのではないかと思います。

    「踏まえる」などというと青山先生に怒られるかもしれません。
    「もっと真似ろ!」

    ===
    いやあ、こうやって質問を受けると勉強になります。
引用返信/返信 削除キー/
■30380 / inTopicNo.77)  Re[23]: 5%
□投稿者/ flora -(2023/04/21(Fri) 19:54:32)
    No30370に返信(田秋さんの記事)
    > 2023/04/21(Fri) 05:45:01 編集(投稿者)
    田秋さん、こんにちは

    > 先日話題になった坂本龍一の「すべてのものの95%は過去のコピー、オリジナルはあっても5%」(No30177)に似た記述が、今期受講している《西洋芸術の歴史と理論》という科目の教科書にありました。

    > 南西フランスのモワサックにあるサン・ピエール教会南側玄関口のタンパン、
    > https://ecrinsdefrance.com/blog/blog-travel/moissac
    > (ここにある4枚目の写真参照)
    > 一体誰がこの彫刻を制作したのか?という観点から、リエバナの修道院長ベアトゥスによって書かれた「黙示録注解」との関連についての考察です。
    > (上述の固有名詞ついてはfloraさんの方が詳しいと思います) 

    > 以下は青山昌文という先生の記述です。

    > 「芸術作品というものは。近代の主観主義的でロマンチックな天才観念がイメージするような、ある一人の天才が自己の心の赴くままにそれまでどこにもなかったようなものを、自己の中から紡ぎ出す、というような仕方で、生み出されることは、実はほとんど無いのです。そのような産み出され方は、ほとんど近代主観主義美学者の頭の中にしかない神話的なイメージと言っても過言ではないのであって、現実は、このように、ほとんどの場合、或る先行する図像を土台として制作されているのです。そして、そのような制作の在り方は、決して芸術家が苦し紛れに仕方なしに既にある図像を下敷きにするなどという、いわば後ろめたいものではないのです。或る先行する図像を土台として制作することを、後ろめたいものと見なす考え自体が、上述の主観主義的でロマンチックな天才観の支配下にあるゆえに生じるものにすぎないのであって、そのような主観主義的なイデオロギーから自由になるならば、或る先行する図像を土台として制作することは、全く、後ろめたいものでがないのです。それはむしろ、文化の豊かな伝統を受け継ぐ、開かれた制作の在り方なのです」

    上記の青山昌文先生の記述は、リエバナの修道院長ベアトゥスによって書かれた『黙示録注解』と、どのような関係があるのでしょうか? 

    また

    『黙示録注解』の関連部分をどこかで読むことができますでしょうか? 

    > 芸術家が孫悟空、既に築かれている伝統がお釈迦さまの手のひらって感じですかね。

    まさにその通りだと思います^^




引用返信/返信 削除キー/
■30370 / inTopicNo.78)  5%
□投稿者/ 田秋 -(2023/04/21(Fri) 05:33:29)
    2023/04/21(Fri) 05:45:01 編集(投稿者)

    おはようございます、floraさん

    先日話題になった坂本龍一の「すべてのものの95%は過去のコピー、オリジナルはあっても5%」(No30177)に似た記述が、今期受講している《西洋芸術の歴史と理論》という科目の教科書にありました。

    南西フランスのモワサックにあるサン・ピエール教会南側玄関口のタンパン、
    https://ecrinsdefrance.com/blog/blog-travel/moissac
    (ここにある4枚目の写真参照)
    一体誰がこの彫刻を制作したのか?という観点から、リエバナの修道院長ベアトゥスによって書かれた「黙示録注解」との関連についての考察です。
    (上述の固有名詞ついてはfloraさんの方が詳しいと思います) 

    以下は青山昌文という先生の記述です。

    「芸術作品というものは。近代の主観主義的でロマンチックな天才観念がイメージするような、ある一人の天才が自己の心の赴くままにそれまでどこにもなかったようなものを、自己の中から紡ぎ出す、というような仕方で、生み出されることは、実はほとんど無いのです。そのような産み出され方は、ほとんど近代主観主義美学者の頭の中にしかない神話的なイメージと言っても過言ではないのであって、現実は、このように、ほとんどの場合、或る先行する図像を土台として制作されているのです。そして、そのような制作の在り方は、決して芸術家が苦し紛れに仕方なしに既にある図像を下敷きにするなどという、いわば後ろめたいものではないのです。或る先行する図像を土台として制作することを、後ろめたいものと見なす考え自体が、上述の主観主義的でロマンチックな天才観の支配下にあるゆえに生じるものにすぎないのであって、そのような主観主義的なイデオロギーから自由になるならば、或る先行する図像を土台として制作することは、全く、後ろめたいものでがないのです。それはむしろ、文化の豊かな伝統を受け継ぐ、開かれた制作の在り方なのです」

    芸術家が孫悟空、既に築かれている伝統がお釈迦さまの手のひらって感じですかね。
引用返信/返信 削除キー/
■30358 / inTopicNo.79)  Re[21]: ついでに
□投稿者/ flora -(2023/04/20(Thu) 15:36:04)
    田秋さん、おはようございます。

    Mrホームズから『西遊記』への移行、面白かったです。『西遊記』にはまだまだ議論の余地があるということでしょうか? 関わってくる数字も面白いですね。3のお話をなさっていたと思いますが、福禄寿(福星・禄星・寿星)の寿星は長寿の象徴として桃を持っていますよね。桃=長寿というのはいつ事からできたんでしょうか?

    私も『赤髪連盟』好きです。フリーメイソン云々ということも出てきて興味深いです。同じくロンドンを舞台にした『青い紅玉』も心が温まるクリスマスのおなはしとして好きです。 ホームズはやはりロンドンを舞台にしたストーリーが好きです。

    私もこれらが放映されていた時期は、海外へ行ったり来たりで、日本でじっくりと見た記憶がありません。 というより日本のTVや俳優さんはほとんど知らず、なんか田秋さんに申し訳ないです・・・・
引用返信/返信 削除キー/
■30335 / inTopicNo.80)  ついでに
□投稿者/ 田秋 -(2023/04/19(Wed) 13:46:25)
    おはようございます、floraさん

    ジェレミーブレットのホームズについても調べて見ました。1984年が最初です。そして翌85年にはもうNHKで放送されています。しかも日本語吹き替えなので相当迅速な対応ですね。当時日本にいなかったので詳しくは分かりませんが、NHKが大々的に宣伝したのかも・・・

    今こちらではまたブレット=ホームズやっています。前回は赤髪連盟でした。
    あれは面白いですね。原作にはないモリアーティ教授も出して、統一感、対決感を感じます。

    まとめ
    堺正章西遊記の方がジェレミーブレット=ホームズより先に生まれたんですね!
引用返信/返信 削除キー/
■30333 / inTopicNo.81)  きっかけ
□投稿者/ 田秋 -(2023/04/19(Wed) 10:49:02)
    2023/04/19(Wed) 10:50:45 編集(投稿者)

    おはようございます、floraさん

    西遊記にハマったきっかけは非常に安易な理由からです。

    作品を全部読んだのはホームズの方が先です。延原謙訳のホームズは早くから揃えていました。多分高校の時には全部持っていたと思います。そしていつかベイカー・ストリート・イレギュラーズや同様のホームズ愛好家クラブに入会し、論文発表もしたいなと思っていました。

    しかし、ホームズ愛好家は世界中にいます。研究も行き届いていて、ちょっとやそっとでは気の利いた論文は書けないと、勝手に挫折してしまいました。それがいつ頃だったかは記憶があやふやです。

    堺正章の西遊記は調べると1978年から始まり西遊記IIは1980年までで、当時もう仕事をしていましたが、日曜の夜の放送ということもあり、殆ど見ていました(日曜のコンサートは多くがマチネです)。夏目雅子さんのことを三蔵を女性が演じることに違和感を感じながらも「きれいだなあ」と思って見ていました。何しろ周りは西田敏行や堺正章などのブタとサルですからね。
    当時書籍として太田辰夫・鳥居久靖共訳の清刊西遊記(明刊西遊記の簡本)と邱永漢版西遊記は持っていました。

    その後81〜86年はヨーロッパにいたので西遊記は読んでいません(持っても行かなかった)。その間ロンドンにも行ってないのでホームズ熱もそれほど高くなかったのだと思います。帰国してからですね、本格的に西遊記を調べ始めたのは。西遊記愛好家は主に中国と日本でまだ未開発の研究スペースも多そうでした。研究も日本の方が進んでいて論文も多くあり、暫くは国会図書館に通い詰めたものです。

    と言うわけで西遊記はホームズの身代わりだったのです。

    ===余談===
    堺正章版西遊記の最大の功績はなんと言っても三蔵の女性化にあります。夏目雅子の後、宮沢りえ、牧瀬里穂、深津絵里が三蔵役を務めており、かつて中野美代子氏が「三蔵は女性だったと本当に信じている学生がいた」と嘆いて(驚いて)いたのを読んだことがあります。ウィキペディア《西遊記 (1978年のテレビドラマ)》に「三蔵法師役は坂東玉三郎にオファーするも即断で断られ、そのために思い切って女優の男役というアイデアになったという話は堺正章なども語っている」とあります。そうすると三蔵の女性化の真の立役者は坂東玉三郎ということになるのかも。。。
引用返信/返信 削除キー/
■30302 / inTopicNo.82)  ツツジ
□投稿者/ 田秋 -(2023/04/18(Tue) 15:32:30)
    おはようございます、floraさん

    今うちで咲いているツツジです。左上が去年買ったクルメツツジです。あと白があるのですがまだ咲いていません。
900×800 => 600×533

tutuji.jpg
/359KB
引用返信/返信 削除キー/
■30293 / inTopicNo.83)  Re[17]: 決して忘れてはいません
□投稿者/ flora -(2023/04/17(Mon) 16:56:08)
    No30257に返信(田秋さんの記事)
    田秋さんおはようございます。覚えてくださってありがとうございます^^

    > no29902
    > >西遊記にてそのような記載、例えば天竺の蜜柑等、はあるのでしょうか?

    > お返事が遅くなりました。決して忘れていたのではありません。

    > 西遊記をざっと眺めてみましたが、ミカンなどの柑橘系の果物は出てこないようです。

    どうも有り難うございます。『古事記』や『日本書記』に登場する「非時香菓」というのは橘ではないのでしょうね。『魏志倭人伝』によればすでに倭には柑橘類(食用ではない)があったようですので、「非時香菓」というのは、別の食べ物の可能性が強いですね。

    > 大唐三蔵取経詩話という南宋の頃に書かれた本があり、これが最古の西遊記と言われています。本と書きましたが実際は本というほどのものではなく、講談師が語るときの種本程度のものとも言われています。中国ではとっくに散逸しましたが、栂尾の高山寺に残っていました。講談師のネタ本程度のものでも日本人留学生にとっては貴重なものだったのだろうと思います(多分安く手に入ったし?)。
    >
    > そこに法師と猴行者(孫悟空の前身)が西王母の池を訪れる話があります。池のそばには蟠桃があり、猴行者が「昔食べたことがあり西王母から罰を受けたことがある」と話すと、法師は「私も食べてみたい」と言い出します。この法師、食いしん坊のうえ、この少しあとで「一つくらい取ってもかまわんだろう」と言ったりします。現行西遊記の、あの善良一辺倒の三蔵法師に比べるとかなり俗物に描かれています。
    >
    > 法師が猴行者にせがんでいると、熟れた桃の実が三つ池に落ちました。
    > 「落ちた実なら拾ってきて食べてもいいだろう」
    > と法師にせがまれた猴行者は池のそばの石を金環杖で叩くと青ざめた顔の子供が池の中から出てきました。
    > 「おまえはいくつだ」
    > 「三千歳です」
    > 「おまえに用はない」
    > また叩くと再び子供が現れ、
    > 「おまえはいくつだ」
    > 「五千歳です」
    > 「おまえに用はない」
    > さらに叩くともう一人子供がでてきて
    > 「おまえはいくつだ」
    > 「七千歳です」
    > 猴行者は子供を手に取り
    > 「和尚さん、ひとついかがです」
    > ところが和尚はびっくり仰天、逃げてしまいました。
    > 行者が子供を手の中でぐるぐる回すと一つの乳棗になり、行者はそれを呑みこんでしまいましたが、のちに帰り道の蜀の西で吐きだしましたが、今もこの地に産する人参がこれだということです。
    >
    > 以上が西王母の池の話です。最後の一文は謎が多く、乳棗が何を指すのかはわかりませんし、蟠桃〜乳棗〜人参の流れも唐突です。また「蜀の西」にしても史実の玄奘三蔵も現行西遊記も蜀の近くは通っていません(但し、史実の玄奘は取経の旅以前に訪れたことがあります)。
    >
    > 乳棗がどんな棗かもわからないし、それを飲み込んで蜀の地で吐き出したものが人参になったというのも不可思議なことですが、今は触れません。ただ棗は西遊記の中で、料理に喩えると箸休め程度には出てくるということを書いておこうと思います。

    > さて、今の話を果物方面から要約すると西王母の住むところに蟠桃の木があり、熟した実が池に落ち悟空が呼び出すと子供が顔を出した、ということになります。これが現行西遊記(明末の繁本)になると二つの話になります。一つは天界にある西王母の蟠桃園にまつわる話、悟空がここの管理人をしていたとき、蟠桃勝会を催すことになり、悟空はそれを滅茶滅茶にしてしまい、結果お釈迦さまに捉えられ五行山に押さえつけられてしまいます。以前、蟠桃というのは話の中だけの架空の果実だと思っていましたが、実際にあるんですねぇ。やや扁平な形です。
    > ウィキペディア:蟠桃
    > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%A6

    > 蟠桃は西王母との結びつきから不老長寿の果物とされています。

    はい、以前も話題に上りましたよね。こちらででも1-2年前までは、スーパー等で入手が可能でした。[flat peach]と呼ばれていました。味は、平らになって凝縮された感じがして普通の桃よりもおいしかったと記憶にあります。 

    中国では桃全般が不老長寿とされていますよね。そうすると童話の「桃太郎」も縁起のいい名前なのでしょうか?

    もしかしたら重複するかも知れないのですが、田秋さんが、『西遊記』に関心を持たれたのは何がきっかけですか?


    > 二つ目が西遊記ならではの果物、人参果です。前述の大唐三蔵取経詩話では実が池に落ちて呼ばれて出てきたのが子供でしたが、人参果では木に赤ん坊が生っています。蜀の地で吐きだしたものが人参になったというのがその名前の由来の一要素になっているのでしょう。因みにここでいう「人参」は朝鮮人参或いは高麗人参といわれるものです。果は果物のことで果実のなる人参という意味になります。但し、その果実というのは赤ちゃんですが。
    >
    >  この赤ちゃんの生る木というのは西遊記が初出かというとそうではありません。中野美代子氏によればアラビアにはこの手の話がたくさんあるそうです。ある書物によればワクワク島というのが東方世界にありそこには人のなる木がある、とあります。

    そうなんでしょうね。見逃しがちなんですが、アラビア半島と中国の交流は深いですよね。中国の英雄の中にもモズレム系が結構おりますものね。鄭和なんか有名ですよね。


引用返信/返信 削除キー/
■30257 / inTopicNo.84)  決して忘れてはいません
□投稿者/ 田秋 -(2023/04/16(Sun) 11:07:06)
    おはようございます、floraさん

    no29902
    >西遊記にてそのような記載、例えば天竺の蜜柑等、はあるのでしょうか?

    お返事が遅くなりました。決して忘れていたのではありません。

    西遊記をざっと眺めてみましたが、ミカンなどの柑橘系の果物は出てこないようです。

    大唐三蔵取経詩話という南宋の頃に書かれた本があり、これが最古の西遊記と言われています。本と書きましたが実際は本というほどのものではなく、講談師が語るときの種本程度のものとも言われています。中国ではとっくに散逸しましたが、栂尾の高山寺に残っていました。講談師のネタ本程度のものでも日本人留学生にとっては貴重なものだったのだろうと思います(多分安く手に入ったし?)。

    そこに法師と猴行者(孫悟空の前身)が西王母の池を訪れる話があります。池のそばには蟠桃があり、猴行者が「昔食べたことがあり西王母から罰を受けたことがある」と話すと、法師は「私も食べてみたい」と言い出します。この法師、食いしん坊のうえ、この少しあとで「一つくらい取ってもかまわんだろう」と言ったりします。現行西遊記の、あの善良一辺倒の三蔵法師に比べるとかなり俗物に描かれています。

    法師が猴行者にせがんでいると、熟れた桃の実が三つ池に落ちました。
    「落ちた実なら拾ってきて食べてもいいだろう」
    と法師にせがまれた猴行者は池のそばの石を金環杖で叩くと青ざめた顔の子供が池の中から出てきました。
    「おまえはいくつだ」
    「三千歳です」
    「おまえに用はない」
    また叩くと再び子供が現れ、
    「おまえはいくつだ」
    「五千歳です」
    「おまえに用はない」
    さらに叩くともう一人子供がでてきて
    「おまえはいくつだ」
    「七千歳です」
    猴行者は子供を手に取り
    「和尚さん、ひとついかがです」
    ところが和尚はびっくり仰天、逃げてしまいました。
    行者が子供を手の中でぐるぐる回すと一つの乳棗になり、行者はそれを呑みこんでしまいましたが、のちに帰り道の蜀の西で吐きだしましたが、今もこの地に産する人参がこれだということです。

    以上が西王母の池の話です。最後の一文は謎が多く、乳棗が何を指すのかはわかりませんし、蟠桃〜乳棗〜人参の流れも唐突です。また「蜀の西」にしても史実の玄奘三蔵も現行西遊記も蜀の近くは通っていません(但し、史実の玄奘は取経の旅以前に訪れたことがあります)。

    乳棗がどんな棗かもわからないし、それを飲み込んで蜀の地で吐き出したものが人参になったというのも不可思議なことですが、今は触れません。ただ棗は西遊記の中で、料理に喩えると箸休め程度には出てくるということを書いておこうと思います。

    さて、今の話を果物方面から要約すると西王母の住むところに蟠桃の木があり、熟した実が池に落ち悟空が呼び出すと子供が顔を出した、ということになります。これが現行西遊記(明末の繁本)になると二つの話になります。一つは天界にある西王母の蟠桃園にまつわる話、悟空がここの管理人をしていたとき、蟠桃勝会を催すことになり、悟空はそれを滅茶滅茶にしてしまい、結果お釈迦さまに捉えられ五行山に押さえつけられてしまいます。以前、蟠桃というのは話の中だけの架空の果実だと思っていましたが、実際にあるんですねぇ。やや扁平な形です。
    ウィキペディア:蟠桃
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%A6

    蟠桃は西王母との結びつきから不老長寿の果物とされています。

    二つ目が西遊記ならではの果物、人参果です。前述の大唐三蔵取経詩話では実が池に落ちて呼ばれて出てきたのが子供でしたが、人参果では木に赤ん坊が生っています。蜀の地で吐きだしたものが人参になったというのがその名前の由来の一要素になっているのでしょう。因みにここでいう「人参」は朝鮮人参或いは高麗人参といわれるものです。果は果物のことで果実のなる人参という意味になります。但し、その果実というのは赤ちゃんですが。

     この赤ちゃんの生る木というのは西遊記が初出かというとそうではありません。中野美代子氏によればアラビアにはこの手の話がたくさんあるそうです。ある書物によればワクワク島というのが東方世界にありそこには人のなる木がある、とあります。
    ウィキペディアに《ワクワク》という項目があり、そこに女性がなっている木の絵が載っています。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%AF
    ワクワク島は中国の東にあり、倭国(ワコク)がワクワクの由来か?という説もあります。
    《述異記》という唐代の書物にも赤ん坊のなる木の記述があり、そこではアラビアの話となっています。一方中国原産の赤ん坊(人間)のなる木の民話はないようです。西遊記はこのアラビア産の物語を取り入れたのだと思います。

    この人参果事件は第24回から26回まで3回を費やして書かれています。西遊記で最大規模の話は4回分なので(金角銀角事件など)、3回というのは大きい部類で、西遊記の物語が始まってからは初めての3回規模の事件です。

    人参果事件については書くことが山ほどあるのですが、今回は人参果に絞って書くことにします。人参果3000年に一度花が咲き、その3000年後に実をつけさらに3000年経って漸く熟します。そして実はこの9000年でたった30個しか生らないのです。もしも匂いを嗅ぐことが出来たなら360年生きられ、1個まるまる食べたら47000年生きることができるのです。

    この人参果は万寿山にある五荘館という道観(仏教の寺院に該当)にあり、ここの主人の鎮元大仙は三蔵一行が立ち寄ることは前もってわかっていました。ただその日は元始天尊からの招きがあり不在になるため弟子に三蔵法師を人参果2個でもてなすように言いつけました。2個とは随分気前が良すぎますがその理由は話の中に書いてあり今は省きます。

    さて人参果を出された三蔵、赤ちゃんが二人出てきて「さあ、どうぞお食べください」と言われても食べられるはずもありません。頑なに拒否しましたが、この人参果という果物は取って置いておくと萎びて食べられなくなるため道観の二人の弟子は食べてしまいました。実は30個熟し果樹園を開放したとき2個は観の者に振る舞っているので既に28個になっていて、今2個三蔵に振る舞ったので(食べたのは弟子)残りは26個になっています。
    このように人参果の生っている数はこの事件中変化します。その変化だけを記すと
    30−2−2−1−3+1−10=13
    −1というのは悟空が人参果の正しい取り方を知らなかったため地に潜った果実
    −3は悟空、八戒、悟浄が食べた数
    次の+1というのは、悟空が人参果を倒して枯らした後、すったもんだがあって(ここが人参果事件のメイン)観音菩薩が蘇生させて改めて数を数えた時、地に潜った実が元に戻っていたもの。
    最後の−10は大団円で観音、蓬莱の三老、鎮元大仙、三蔵一行4人が1個ずつ、残りの1個を五荘観の小仙達で食べた数です。
    残り13個でこの事件は終わるのですが、ここにも西遊記のキーナンバーである13が現れています。さらにそれが13の倍数の第26回でのこととなっているのです。

    最後は本来の果物の話から遠く離れてしまいました。スマソ。
    棗については項を改めていつか書いてみたいと思います。


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