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■30172 / inTopicNo.85)  Re[3]: B144
  
□投稿者/ pipit -(2023/04/06(Thu) 19:58:35)
    No30171の続きです。
    (pipitの文章読解)

    The proof of this rests on the represented unity of intuition,

    その証拠(直観の多様が知性によって統合的に表されている証拠?)は、表された直観の統一に基づく・・・

    by means of which an object is given,

    直観の統一により、対象が与えられ

    and which always includes in itself a synthesis of the manifold to be intuited,

    そして、それは常に、直観されるべき多様の総合を自らの中に含んでいる、

    and also the relation of this latter to unity of apperception.

    また、この後者(多様の総合?)が統覚の統一と関係している。

引用返信/返信 削除キー/
■30171 / inTopicNo.86)  B144
□投稿者/ pipit -(2023/04/06(Thu) 19:56:55)
    2023/04/07(Fri) 18:23:23 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは♪
    B144
    ( ; ; )

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap48

    (J. M. D. Meiklejohnさんの英訳)
    The manifold in an intuition, which I call mine, is represented by means of the synthesis of the understanding, as belonging to the necessary unity of self-consciousness, and this takes place by means of the category.[19]

    [19] The proof of this rests on the represented unity of intuition, by means of which an object is given, and which always includes in itself a synthesis of the manifold to be intuited, and also the relation of this latter to unity of apperception.
    ===========

    (pipitの文章読解)

    The manifold in an intuition, which I call mine,

    直観の中の多様・・・私が「私のもの」と呼ぶそれ・・・

    is represented by means of the synthesis of the understanding,

    は、知性の総合によって表され、

    as belonging to the necessary unity of self-consciousness,

    ・・・自己意識の必然的統一に属するものとして表され、

    and this takes place by means of the category.

    それはカテゴリーによって行われる。

    (pipitの感想)


    直観の多様が、カテゴリーによって(知性の総合によって、私は考えるという働きに属するものとして)表されるということ?

    直観の多様は、この段階になって、第二の原則にしたがってる、ということかなぁ。
    (B136参照)

    ============
    いったんここで投稿します。(全文だとアクセス禁止になるので)
引用返信/返信 削除キー/
■30170 / inTopicNo.87)  Re[11]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/06(Thu) 19:42:30)
    No30168、pipitさま、ありがと。

    中島っやんのカントの、
    >ここで、対象が何であるかは本質的な問題ではない<
    了解〜。


引用返信/返信 削除キー/
■30168 / inTopicNo.88)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2023/04/05(Wed) 23:18:06)
    2023/04/06(Thu) 06:11:21 編集(投稿者)


    悪魔ちゃん、こんばんは!

    No30165
    > >最初の対象は、物自体としての対象なのかなぁ?????<
    >
    > ねえ、カントの場合、「対象」っていう語(日訳だけど)をどういう意味で使ってるのかしら?<

    いろいろ解釈あるかもだけど、まず、中島義道先生の本から「超越論的対象」についての記述を引用するね。

    『「概念における再認の総合」とは、眼前の「あるもの=X」を一冊の本という対象とみなすことであり、カントの記述はなるほどこの経験的対象のレベルで動いていますが、フッサールと異なって本質直観を認めないカントにとって、Xが一義的に「本」という概念に対応する本という対象であるとは限りません。
     Xは同時に「物体」という概念に対応する物体という対象とみなせるであろうし、場合によっては「私の著作」という概念に対応する私の著作という対象とみなすこともできる。
    ここで、対象が何であるかは本質的な問題ではない。ここで問題になっているのは、Xをとにかく一つの物=対象とみなすことができるということです。
     さらに言えば、かならずしも「本」という概念に対応するような物体を一つの対象としなくともよい。
    本を構成する一枚一枚の紙を一つの対象とみなしてもよい。
    そうであっても、何らかのXを一つの対象とみなすことはできるのです。
    よって、超越論的対象とは「本」とみなされたかぎりの「このもの」ではなく、どのようにまとめてもよいのですが、そうまとめることを可能にする「あるもの=X」であって、これがカントの意味する超越論的対象の正確な意味です。』
    『カントの読み方』中島義道先生著、ちくま新書p91より引用。

    (悪魔ちゃん)
    > ねえ、カントの場合、「対象」っていう語(日訳だけど)をどういう意味で使ってるのかしら?<

    pipitの私見では、
    「一(単?)として認識されるもの」を、「対象」としてるのかなぁ?とこの返信を書きながら思い直して、
    ということは、

    (pipit)
    >>最初の対象は、物自体としての対象なのかなぁ?????<<

    最初の対象は、物自体としての対象ではなく、一つのものとして認識されるもの、の空虚な器が「対象」というコトバなのかなぁ、と思い直しました。

    オブジェクト指向、の、オブジェクト?

    おやすみー( ^ω^ )☆彡


引用返信/返信 削除キー/
■30165 / inTopicNo.89)  Re[9]: 超越論的分析論W−2
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/05(Wed) 18:36:03)
    No30155 、お邪魔しちゃうね。

    >最初の対象は、物自体としての対象なのかなぁ?????<

    ねえ、カントの場合、「対象」っていう語(日訳だけど)をどういう意味で使ってるのかしら?
引用返信/返信 削除キー/
■30155 / inTopicNo.90)  Re[8]: 超越論的分析論W−2
□投稿者/ pipit -(2023/04/03(Mon) 23:59:44)
    2023/04/04(Tue) 07:16:25 編集(投稿者)

    うましかさん、こんばんはー( ^ω^ )

    No30154
    > 手持ちの翻訳をいくつか読み比べてみましたが、結局うましかは「様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付けるような働きという統一」と読んでみたいとおもいました〜間違いかもですが(´;ω;`)ウッ…<

    おぉ、そうかぁ、「統一という働き」でもOKかな?とうましかさんのコメント読んで自分では思いました。
    ありがとうございます!

    > ◇ところで、こうした諸概念を、悟性は、それがそれら諸概念によって判断する以外には使用することはできない。ただ、直観以外のいかなる表象も直接的にその対象と関わることがないから、概念が直接的に連関付けられるのは対象とではなく、対象についての何らかの他の表象(その表象が直観であるせよ、それ自身が既に概念であるにせよ)とである。<

    【概念が直接的に連関付けられるのは】、【対象についての何らかの他の表象】

    対象と直接関連付けられるのは、直観のみということかな、

    対象ー直観ー概念ー概念ー概念ー・・・
    って感じなのかなー

    最初の対象は、物自体としての対象なのかなぁ?????

    > ◇ それ故、判断は、対象の間接的な〔mittelbare〕認識、従って対象の表象の表象である。あらゆる判断の内には多くの諸概念に妥当する一つの概念があり、この概念はそれら多くの諸概念の内に一つの与えられた表象をも含んでおり、そこでこの表象がその対象と直接的に連関付けられる。<

    @【あらゆる判断の内には多くの諸概念に妥当する一つの概念があり、】

    A【この概念はそれら多くの諸概念の内に一つの与えられた表象をも含んでおり、】
    ??
    B【そこでこの表象がその対象と直接的に連関付けられる。】

    例えば、
    @リンゴは果物である。の「果物」は、みかんは果物である、にも妥当するような一つの概念であり、
    A直観としてのみかん像が「果物」に含まれており、
    B果物(概念)ーみかん(概念)ーみかん像(直観)
    ってことかなぁ?違うかなぁ?

    > ◇ それで、例えば、全ての物体は分割され得る〔alle Koeper sind teilbar.〕≠ニいう判断においては、「分割され得る〔Teilbaren〕」という概念は様々な他の概念と連関し、しかも、これらの諸概念の内でこの「分割され得る」という概念は、この場合は特に「物体」という概念と連関付けられているが、この「物体」という概念は、私たちに現われる或る種の諸現象と連関付けられている。<

    あ、カント先輩が例えを出してるー
    分割され得る(概念)ー物体(概念)ーある種の諸現象(直観?)
    かな?

    > ◇それ故、これらの諸対象は「分割され得る」という概念によって間接的に表象される。従って、全ての判断は、私たちの諸表象の間を統一する機能〔Fanktionen der Einheit〕であって、つまりそこでは、直接的な〔unmittelbaren〕表象の代わりに、この直接的な表象及び若干の諸表象をそれ自身のうちに含む一つの高次の表象が、その対象を認識するために使用され、多くの可能な認識が、このことによって一つの認識においてまとめあげられるのである。<

    ん?
    〈対象〉が「分割され得る」という概念によって間接的に表象される?(仲介者は、私たちに現われる或る種の諸現象?)

    いろんな表象が【高次の表象】としての概念に紐づいているということなのかなぁ?

    「物体」の下には様々な諸現象が関連づけられていて、「物体」は「分割され得る」に関連づけられる。

    様々な諸現象ー物体ー分割され得る

    「分割され得る」によって間接的に「様々な諸現象」が(人間に)表象される。
    のは、(人間の)判断によって。

    判断があるとき関連が生じる。

    【全ての判断は、私たちの諸表象の間を統一する機能〔Fanktionen der Einheit〕であって、】

    判断するということは、統一機能が働く、ということ。

    【つまりそこでは、直接的な〔unmittelbaren〕表象の代わりに、この直接的な表象及び若干の諸表象をそれ自身のうちに含む一つの高次の表象が、その対象を認識するために使用され、】

    対象と直接関連する直観ではなく、
    高次の表象が対象を認識するために使用される。
    対象と直接関連する直観(直接的な表象)は、判断という機能により、高次の表象の下に含められている。

    【多くの可能な認識が、このことによって一つの認識においてまとめあげられるのである。】

    一つの認識、って、(高次の表象への統一)全部としての一つかなぁ。沼...

    うましかさん、よく、こんな(!)構造の文章、向き合われましたね!!
    (T . T)ヨヨヨ

    おつかれさまです!
引用返信/返信 削除キー/
■30154 / inTopicNo.91)  超越論的分析論W−2
□投稿者/ うましか -(2023/04/03(Mon) 21:37:40)
    2023/04/03(Mon) 21:38:33 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    No.30140(pipitさん)

    >働きの統一 って何気に難しい言葉だなぁ
    >秩序付けの統一?

    確かに、、、読めば読むほど、、、(。´・ω・)?沼

    手持ちの翻訳をいくつか読み比べてみましたが、結局うましかは「様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付けるような働きという統一」と読んでみたいとおもいました〜間違いかもですが(´;ω;`)ウッ…

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕
    第一篇 概念の分析論
    〔略〕

    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕
    〔略〕

    全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第一節 論理的な悟性使用一般について〔Von dem Logischen Verstandesgebrauche ueberhaupt〕

    ◇先に、悟性は一つの非感性的な認識能力として単に消極的に説明された。ところで私たちは、感性に依存せずにはいかなる直観〔Anschauung〕にも与ることはできない。従って、悟性は直観の能力ではない。しかし、直観の他には概念〔Begriffe〕による認識以外のいかなる認識様式もない。従って、あらゆる悟性の認識は、少なくとも人間の悟性の認識は、概念による認識なのであり、直覚的〔intuitiv〕ではなく、思弁的〔diskursiv〕なのである。全ての直観は感性的なものとして触発に基づいており、〔これに対して、悟性による〕概念は機能に基づいている。しかし、私の理解する機能とは、様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付けるような働きという統一〔die Einheit der Handlung〕のことに他ならない。従って、概念は思考の自発性に根拠付けられており、それは、感性的な直観が印象の受容性に根拠付けられているのと同様である。

    --- No.30139 からの続き ---

    ◇ところで、こうした諸概念を、悟性は、それがそれら諸概念によって判断する以外には使用することはできない。ただ、直観以外のいかなる表象も直接的にその対象と関わることがないから、概念が直接的に連関付けられるのは対象とではなく、対象についての何らかの他の表象(その表象が直観であるせよ、それ自身が既に概念であるにせよ)とである。

    ◇ それ故、判断は、対象の間接的な〔mittelbare〕認識、従って対象の表象の表象である。あらゆる判断の内には多くの諸概念に妥当する一つの概念があり、この概念はそれら多くの諸概念の内に一つの与えられた表象をも含んでおり、そこでこの表象がその対象と直接的に連関付けられる。

    ◇ それで、例えば、全ての物体は分割され得る〔alle Koeper sind teilbar.〕≠ニいう判断においては、「分割され得る〔Teilbaren〕」という概念は様々な他の概念と連関し、しかも、これらの諸概念の内でこの「分割され得る」という概念は、この場合は特に「物体」という概念と連関付けられているが、この「物体」という概念は、私たちに現われる或る種の諸現象と連関付けられている。

    ◇それ故、これらの諸対象は「分割され得る」という概念によって間接的に表象される。従って、全ての判断は、私たちの諸表象の間を統一する機能〔Fanktionen der Einheit〕であって、つまりそこでは、直接的な〔unmittelbaren〕表象の代わりに、この直接的な表象及び若干の諸表象をそれ自身のうちに含む一つの高次の表象が、その対象を認識するために使用され、多くの可能な認識が、このことによって一つの認識においてまとめあげられるのである。


    † 原佑訳上巻、p.210〜p.211参照。
    † その他に、中山元訳2、p.50〜p.51、石川文康訳上巻、p.125〜p.126を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−1 No.30139、W−2 No.30154
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154

引用返信/返信 削除キー/
■30140 / inTopicNo.92)  Re[7]: 超越論的分析論W−1
□投稿者/ pipit -(2023/04/01(Sat) 23:14:11)
    エイプリルうましかさん、こんばんは!
    (やった、レアname うましかさんだ)
    (*^ω^*)

    > 満開の桜の下、そろそろ花散る夜の沼面にダイブいたします!<

    確かこの箇所は、カント先輩の変?沼・・・
    うましかさん、気をつけて!

    > 直観の他には概念〔Begriffe〕による認識以外のいかなる認識様式もない。<

    > 概念は機能〔Funktinen〕に基づいている。私の理解する機能とは、しかし、様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付ける働きの統一のことに他ならない。<

    働きの統一 って何気に難しい言葉だなぁ
    秩序付けの統一?
     
    (−_−;)カント先輩のエイプリル

引用返信/返信 削除キー/
■30139 / inTopicNo.93)  超越論的分析論W−1
□投稿者/ エイプリルうましか -(2023/04/01(Sat) 21:34:52)
    2023/04/01(Sat) 21:36:37 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー
     
    毎度お馴染み? 4月のうましかです(;゚Д゚)(゚Д゚; )

    満開の桜の下、そろそろ花散る夜の沼面にダイブいたします!


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕
    第一篇 概念の分析論
    〔略〕

    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕

    ◆ 認識能力を活動させると、色々なきっかけから様々な概念が現れるが、それらの諸概念は、その認識能力を識別し得るものにし、相当長く、或いは相当鋭く観察された後では、集められて多少とも十分まとまりあるものとなる。どこでこの研究が完結するに至るかは、こうした言わば機械的な手続きによっては決して確実には決められない。また、このように偶然的にしか見いだされない諸概念は、秩序立って体系的な統一を成して発見されることもなく、結局は類似性に従って組み合わされ、単純なものからもっと複雑なものへと、その内容の多少に応じて系列付けられるしかないが、この系列とて、たとえ或る種の仕方で方法的に立てられるにせよ、決して体系的なものではない。
    ◆ 超越論的哲学は、その諸概念を一つの原理に従って探し出すという利点を持っているが、しかしまた、このことによって拘束されてもいる。というのも、それらの諸概念は、絶対的な統一としての悟性から純粋かつ混じり気なく発現し、それ〔ら〕自身が、一つの概念或いは理念に従って、互いに脈絡し合わなければならないからである。しかし、そうした脈絡は、それぞれの純粋悟性概念にその位置を、また全ての純粋悟性概念のことごとくにその完璧性を、ア・プリオリに規定し得るところの一つの規則を与えるが、そうでなければ、こうしたこと全ては勝手気ままなものとなり、或いは偶然に左右されるものとなるに違いない。

    --- No.30063 からの続き ---

    全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第一節 論理的な悟性使用一般について〔Von dem Logischen Verstandesgebrauche ueberhaupt〕

    ◇ 先に、悟性は一つの非感性的な〔nichtsinnliches〕認識能力として単に消極的に〔negativ〕説明された。ところで私たちは、感性に依存せずにはいかなる直観〔Anschauung〕にも与ることはできない。従って、悟性は直観の能力ではない。

    ◇ しかし、直観の他には概念〔Begriffe〕による認識以外のいかなる認識様式もない。従って、あらゆる悟性の認識は、少なくとも人間の悟性の認識は、概念による認識なのであり、直覚的〔*1〕ではなく〔nicht intuitiv〕、思弁的〔diskursiv〕なのである。

     *1 原佑訳では “intuitiv”は「直覚的」と訳されるが、中山元訳、石川文康訳では「直観的」と訳されている。

    ◇ 全ての直観は感性的なものとして触発〔Affektionen〕に基づいており、〔これに対して、悟性による〕概念は機能〔Funktinen〕に基づいている。私の理解する機能とは、しかし、様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付ける働きの統一のことに他ならない。

    ◇ 従って、概念は思考の自発性〔Spontaneitaet des Denkens〕に根拠付けられており、それは、感性的な直観が印象の受容性〔Rezeptivitaet der Eindruecke〕に根拠付けられているのと同様である。


    † 原佑訳上巻、p.210参照。
    † その他に、中山元訳2、p.49〜p.50、石川文康訳上巻、p.125を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−1 No.30139
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139

引用返信/返信 削除キー/
■30077 / inTopicNo.94)  pipitさんへ (;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/03/25(Sat) 21:51:46)
    こんばんはー

    No.30075(pipitさん)

    *******

    >47もよろしくお願いします!(^O^)v

    こちらこそ、よろしくお願いいたします&いつもありがとうございます!m(__)m

    >翻訳するとき、複数の訳語が候補にあがると思うのですが、その中で一つを選ぶ。翻訳って、文との対話にも思えたりします。

    恥ずかしながら〜(;゚Д゚)

    うましかの作業はとても翻訳なんてレベルのものではありません〜
    メインは原佑訳、サブは中山元&石川文康訳、それらとドイツ語原典、ときに英訳で照合しつつ、、、大半はドイツ語長文のカント樹海で迷子となり、( ゚д゚)ハッ!と気がつき沼底から這い出て一命を取りとめた悪夢から目覚める、、、嗚呼おそろしやカント先輩!

    >250年くらい前の1人の人間が、このようなマニアックな?思索をしていたと思うと、おもしろいですね

    全くそうですよね!(´・ω・`)

    カントが人間の「認識」の、このような交通整理に着手したからこそ、後世のより多くの人間に伝達可能なものとして知識が洗練されていったのだとおもいます〜?!

    (;・∀・)?ヌマ






引用返信/返信 削除キー/
■30075 / inTopicNo.95)  Re[6]: 第一部 超越論的分析論V−2
□投稿者/ pipit -(2023/03/25(Sat) 20:34:31)
    うましかさん、こんばんはー

    No30063
    47もよろしくお願いします!(^O^)v

    > ◇ 超越論的哲学は、その諸概念を一つの原理に従って探し出すという利点を持っているが、しかしまた、このことによって拘束されてもいる。<

    うましかさんの訳を読んだ時、いいなぁ!と思いました。
    翻訳するとき、複数の訳語が候補にあがると思うのですが、その中で一つを選ぶ。
    翻訳って、文との対話にも思えたりします。
    カント先輩と対話してることにもなるのかな?!
    (*^ω^*)モンクイットイテクダサイ-


    > ◇ というのも、それらの諸概念は、絶対的な統一としての悟性から純粋かつ混じり気なく発現し、それ〔ら〕自身が、一つの概念或いは理念に従って、互いに脈絡し合わなければならないからである。<

    いいなぁ!

    > ◇ しかし、そうした脈絡〔Zusammenhang〕は、それぞれの純粋悟性概念にその位置を、また全ての純粋悟性概念のことごとくにその完璧性を、ア・プリオリに規定し得るところの一つの規則を与えるが、そうでなければ、こうしたこと全ては勝手気ままなものとなり、或いは偶然に左右されるものとなるに違いない。<

    250年くらい前の1人の人間が、このようなマニアックな?思索をしていたと思うと、おもしろいですね


    読解おつかれさまです♪
引用返信/返信 削除キー/
■30063 / inTopicNo.96)  第一部 超越論的分析論V−2
□投稿者/ うましか -(2023/03/25(Sat) 00:05:33)
    2023/03/25(Sat) 00:06:58 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    『純粋理性批判』を読んでみる。47、よろしくお願いいたします!(`・ω・´)ゞ

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕
    第一篇 概念の分析論
    〔略〕

    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕

    ◆ 認識能力を活動させると、色々なきっかけから様々な概念が現れるが、それらの諸概念は、その認識能力を識別し得るものにし、相当長く、或いは相当鋭く観察された後では、集められて多少とも十分まとまりあるものとなる。どこでこの研究が完結するに至るかは、こうした言わば機械的な手続きによっては決して確実には決められない。また、このように偶然的にしか見いだされない諸概念は、秩序立って体系的な統一を成して発見されることもなく、結局は類似性に従って組み合わされ、単純なものからもっと複雑なものへと、その内容の多少に応じて系列付けられるしかないが、この系列とて、たとえ或る種の仕方で方法的に立てられるにせよ、決して体系的なものではない。

    --- No.29992 からの続き ---

    ◇ 超越論的哲学は、その諸概念を一つの原理に従って探し出すという利点を持っているが、しかしまた、このことによって拘束されてもいる。

    ◇ というのも、それらの諸概念は、絶対的な統一としての悟性から純粋かつ混じり気なく発現し、それ〔ら〕自身が、一つの概念或いは理念に従って、互いに脈絡し合わなければならないからである。

    ◇ しかし、そうした脈絡〔Zusammenhang〕は、それぞれの純粋悟性概念にその位置を、また全ての純粋悟性概念のことごとくにその完璧性を、ア・プリオリに規定し得るところの一つの規則を与えるが、そうでなければ、こうしたこと全ては勝手気ままなものとなり、或いは偶然に左右されるものとなるに違いない。


    † 原佑訳上巻、p.209参照。
    † その他に、中山元訳2、p.48、石川文康訳上巻、p.124〜p.125を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.

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