| 2023/02/23(Thu) 16:56:26 編集(投稿者)
死というものを考えると、水風船に辿り着く。
死は、水風船が破裂する事だが、 問題は水風船の中に入っているモノは何か?である。
いくら崇高な信念が、水風船の中に入っていても、 それが破裂したら、その単なる水風船の信念だっただけの事。
水風船の中が、馬鹿や愚かの場合 生きてようが、死んでようがどっちでもいい存在である。
水風船の中身は何にした方が良いのか? 死んで破裂して、水風船から何が出てこれば良いか?
答え…、間違いなく『 生 』である。
考えるべき事は…、生きる事。
水風船の中に『 生きる 』が入っておれば良い。
水風船の中に『 馬鹿 』が入っている奴は、やっぱり…、生きている意味がない。
死んだ親父が、事切れる1分前に、『 俺がバカだった 』と言ったのは、 そういう事だと思う。
馬鹿は何をしているのか?
戯れているだけと感じる。ま、成長していないんだと思う。 つまり、子ライオンの兄弟がじゃれ合って、人生終了のようなもんかな。
ってことは、『 生きる 』というテーマの哲学が一番難しいと感じる。
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