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■29218 / inTopicNo.49)  Re[15]: 原文
  
□投稿者/ 田秋 -(2023/02/02(Thu) 07:02:02)
    おはようございます、pipitさん

    原文を読むと概念上不可能な例として2辺の直線図形を挙げています。ですからここでは、概念上不可能な2辺の直線図形でなければばらないと思います。

    no29198
    故に悪魔ちゃんが描いた図1や図2は概念上可能な図形なのでここでは排除されます。では概念上不可能な2辺の直線図形とは何かというと、それは2角形しかない、というこということで繁田さんは2辺の直線図形を2角形と表現したのではないでしょうか。

    ===
    但し、球面上では2角形は存在します。北極から南極に向かって重ならない2本の直線を引くと南極で交点を作ります。この図形は2角形です。カントはあくまでもユークリッド幾何学を想定していたのでしょうね。


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■29217 / inTopicNo.50)  二律背反
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/02/02(Thu) 02:48:00)
    2023/02/02(Thu) 03:59:16 編集(投稿者)

    無やな、無っていうより滅だな、あるいは相殺か?なんとなく。

    【 追記 】

    一辺の場合に、概念は存在する。それは水色である。

    それが、何らかな理由で、ポキッと折れて、2辺になると、

    輪郭は残れど、概念は無になる。滅する。

    一辺の場合に、概念は存在する。それは水色である。

    それが、何らかな理由で、別の一辺が侵入し、2辺になると、

    輪郭は残れど、概念は無になる。相殺される。

    ってことじゃないのかな?
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■29212 / inTopicNo.51)  カント先輩と二直線からなる図形の謎
□投稿者/ うましか -(2023/02/01(Wed) 23:09:23)
    2023/02/02(Thu) 21:26:13 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    No.29189(pipitさん)

    >アンチノミー論につながっていくとおもうのですが、その手前の考察として「二角形」という対象も、上記記述に当てはめられるのかな??と、下記の論文を読んで思いました。

    に、、、二角形! (゚Д゚;)おー

    繁田 歩『「矛盾」概念の再検討 ― カントと二角形の問題― 』

    http://japanische-kant-gesellschaft.org/japanische_kant_studien_20.html

    『純理』のカント自身が、繁田や他の諸研究者のように「二角形」という概念を想定しているかどうかはさておき、繁田論文からのpipitさんの引用をうましかなりに整理してみます〜(;´Д`A ```

    ●経験的思惟一般の要請 A220/B268 〔原佑訳上巻,p.436参照〕

    ・二直線に囲まれた図形という概念のなかにはいかなる矛盾も存在しない
    ・二直線とその交差という概念のうちには、図形を否定するなにものも含まれていない

    → 〔こうした〕図形の不可能性は概念自体そのものに基づくのではなく、むしろ空間における図形の構成、つまり空間とその規定という条件に基づいている

    ●無の表 A291/ B348 〔原佑訳上巻,p.529参照〕

    ・二辺からなる直線図形は不可能である

    →自分自身に矛盾する概念の対象は無であり、そうした概念は無であるので不可能である


    (゜-゜)ウーン


    *******

    繁田論文、読み返していますが、わからないなりにおもしろくなってきた〜

    (;´・ω・)沼発動。。。

    ◎カントにとっての「矛盾」と、矛盾律

    >カントにとって矛盾とは述語矛盾ではなく、むしろ主語に対する述語の関係にみられる矛盾である

    >「ある人間は青年である」と「ある人間は老人である」という二つの命題は矛盾的な対立をなすようにおもわれる。しかし、この両命題は「同時に」でなければ矛盾しない

    >とくに「青年」と「老人」などの反対の述語 による表面的な矛盾を真正の矛盾ととらえたことが矛盾律に時間という総合的な要素が紛れ込んだ一因となっている(Vgl. A152/B191f.)。









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■29210 / inTopicNo.52)  原文
□投稿者/ pipit -(2023/02/01(Wed) 22:39:36)
    原文探してきました、が、残念ながらドイツ語わかりません
    (ー ー;) m(_ _)m

    ネットで単語を検索したものと一緒にコピペします。

    “4. Der Gegenstand eines Begriffs, der sich selbst widerspricht, ist
    Nichts, weil der Begriff Nichts ist, das Unmogliche, wie etwa die
    geradlinige Figur von zwei Seiten, (nihil negativum).”

    ===========


    geradlinige 直線的
    Figur 図形
    zwei 2

    Seiten [ザイテ] [女] (―/―n) ([英] side)
    (左右・前後などの)側(がわ), 側面; (事柄・性格などの)側面, 一面; (薄い・平らな物の)面, 片面; (立体などの)面; (図形の)辺; (方程式の)項; 方向, 方面.
    わき, そば, 傍; わき腹; (動物の)わき腹の肉
    sich3 die 〜n vor Lachen halten|話腹をかかえて大笑いする.
    (本の)ページ, (新聞の)紙面([略]S.).
    (競技・交渉などの)相手; 派; 味方; (…の)筋(すじ); 球技 サイド.
    ❺ (家系の)…方(かた).


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■29209 / inTopicNo.53)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/02/01(Wed) 22:16:12)
    2023/02/01(Wed) 22:17:35 編集(投稿者)

    No29208に返信(田秋さんの記事)
    > >二辺から なる直線図形のような不可能なもの
    >
    > これはカントの言葉ですか?

    これは、カントの言葉を繁田さんが日訳した言葉だと思います。

    同じ箇所の前後を、私が持っている本から引用すれば

    『自己矛盾するような概念の対象は無である。このような概念は無であり、不可能なものだからである。たとえば二辺で作られた直線の図形のようなものであり、これは否定的な無である。』
    『純粋理性批判3』中山元先生訳、p303

    です。

    御子柴善之先生の解説本では、御子柴先生の解説として、

    『最後に「否定無(nihil negativum)」は、様相のカテゴリーに含まれる「不可能性」によって把握される「無」です。このような不可能性が認められるのは、概念が自己矛盾する場合です。カントはその例として「二辺からなる直線図形」をあげています。』
    『カント純粋理性批判』御子柴善之先生、p358

    とありました。
    原文を探してみますね、ありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■29208 / inTopicNo.54)  Re[13]: 田秋さんへ
□投稿者/ 田秋 -(2023/02/01(Wed) 21:53:13)
    >二辺から なる直線図形のような不可能なもの

    これはカントの言葉ですか?
引用返信/返信 削除キー/
■29207 / inTopicNo.55)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2023/02/01(Wed) 21:49:19)
    pipitの今の段階での見立てなんだけど、他の箇所でカントが述べていた『二直線に 囲まれた図形という概念』に引っ張られて?『二辺から なる直線図形のような不可能なもの』を、『二直線に 囲まれた図形という概念』として考えて(あげている?)かんじかも、と思いました。

    http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/35728/rbk034-03-takizawa.pdf

    カントにおける「無」の問題 

    滝 沢 正 之さんの論文を見つけたんだけど、

    その中には、
    『「天板が二辺形のテーブルは四本足である」という判断を例にとってみ る。真理の名目的説明にもとづく判断の理解にしたがえば、この判断の対 象は天板が二辺形のテーブルである。天板が二辺形のテーブルのありよう によって、この判断の真偽が決定されるからである。さて、以上のような 説明の難点は明らかであろう。人間的な認識主体にとっては、二辺形が構 成不可能であるがゆえに、二辺形という形態をもつ対象を表象することは 不可能である。この事態を、対象が定立不可能である、と表現することも できよう。(23)問題の判断の対象が天板が二辺形のテーブルである、とい うことは、天板が二辺形のテーブルを調べれば判断の真偽がわかる、とい うことである。しかし、この現象世界のうちで、天板が二辺形のテーブル に出会うということがいったいどのようなことなのか、誰も理解できない のである。』

    というような表現もあって、
    具体物としての二辺形を例にとってるね。

    うーん、カントのいい加減さをカバーしてあげてるのかなぁ
    (・・;)


    否定無についての滝沢さんの論文箇所を引用するね。

    『最後に、カテゴリーとの連関を確認しておこう。「経験的思惟一般の公準」 において提示される可能性の原則は以下のようなものである。

    1 経験の形式的な諸条件(直観および概念にそくして)と一致する ものは、可能的である。(A218/B266)
    これまで論じてきた形態の構成不可能性、そして、その形態をもつとされる存在者の表象不可能性、そして、そこから帰結する判断の対象の定立不可能性は、まさにこの原則への違反を意味しよう。それゆえ、否定的無
    は、様相のカテゴリーに属する無とされるのである。
    (略)

    「赤いテーブルは赤くない」という文と、「赤くかつ赤くないテーブルは 四本足である」という文を比較してみよう。一見すると、どちらも同様に 矛盾しているように思われる。しかし、経験判断とその対象をめぐるこれ までの考察を踏まえると、事情は変わる。経験判断が妥当なかたちで成立 するためには、その判断の対象を特定したうえで、その対象のありようを 調べる、という手続きの可能性が確保されねばならない。これは、経験判 断の成立が、二つの段階に区別しうるということを意味する。すなわち、 どの対象を調べるべきかを規定する第一段階と、その対象のなにを調べる べきかを規定する第二段階、その二つである。
    このとき、先の二つの判断を別様に捉える余地ができる。「赤いテーブルは赤くない」という判断は、赤いテーブルを見いだしたうえで、それが 赤くないかどうかを調べることを要求している。それにたいして、「赤く かつ赤くないテーブルは四本足である」という判断は、赤くかつ赤くない テーブルを見いだしたうえで、それが四本足であるかどうかを調べること を要求している。ここには、判断の確証の手続きにかんして明白な差異が ある。結論から述べるならば、矛盾が分析判断の観点から扱われるのは前 者の判断にかんしてであり、矛盾が、綜合判断の観点から否定的無として、 構成不可能性と平行的に扱われるのは後者の判断にかんしてである、と考 えられる。
    「赤いテーブルは赤くない」という判断については、その対象を云々す る必要はない。要求されていることが、赤いなにかについてそれが赤くな いかどうかを調べることであるかぎり、結論が偽になることは矛盾律から して明らかである。この判断は分析的に偽である。
    しかるに、「赤くかつ赤くないテーブルは四本足である」という判断に ついては事情が異なる。この判断は、綜合判断としての理解を許すように 思われる。すなわち、この判断の対象は赤くかつ赤くないテーブルである、 赤くかつ赤くないテーブルのありようによって、この判断の真偽が決定さ れるからである、というように。もちろん、この理解はおかしい。しかし、 ここで重要なのは、そのおかしさの理由を、矛盾律への違反にではなく、 この判断の対象すなわち赤くかつ赤くないテーブルが表象不可能であるこ とに求めることができる、ということである。判断の対象が赤くかつ赤く ないテーブルである、ということは、赤くかつ赤くないテーブルを調べれ ばそれが四本足かどうかわかる、ということである。しかし、この現象世 界のうちで、赤くかつ赤くないテーブルに出会うということがいったいど のようなことなのか、理解不可能である。つまり、この判断の対象は定立 不可能であり、それゆえに、先の判断は失敗した判断とされるのである。
    このような判断の失敗の説明は、先に構成不可能性にそくして展開したも
    のと同型のものである。すなわち、このとき、「赤くかつ赤くないテーブ ルは四本足である」という判断は、矛盾のゆえに偽であるとされるのでは なく、矛盾のゆえに、その対象が否定的無になっており、判断として失敗 している、とされるのである。
    この整理のもとでは、「赤いテーブルは赤くない」という判断は、分析 判断の基準に照らして偽であるとされる一方で、「赤くかつ赤くないテー ブルは四本足である」という判断は、綜合判断の基準に照らして、真でも 偽でもないと分析されうる。このとき、後者の判断は、否定的無を対象と してもつとされるであろう。』
引用返信/返信 削除キー/
■29206 / inTopicNo.56)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/02/01(Wed) 21:38:26)
    No29204に返信(田秋さんの記事)
    > こんばんは。
    > 横レス失礼します。
    >
    > No29189
    > >『「矛盾」概念の再検討 ― カントと二角形の問題― 』繁田 歩 さんの論文
    >
    > 今回の論議の発端がこの繁田さんの論文だとすれば、角が2個あることが必要条件になるのではないでしょうか。

    田秋さん、こんばんは!
    書き込みありがとうございます。

    私は、論議の発端を、カントの文章としたいのですが、
    繁田さんの論文からカントの文章を孫引きさせていただくと、

    『【引用1、「無の表」より】
    自分自身に矛盾する概念の対象は無である。なぜなら、そうした概念は無であり、二辺から なる直線図形のような不可能なものであるからである(否定無 nihil negativum)。(A291/ B348)
    【引用2、「経験的思惟一般の要請」より】 1そのような[総合的]概念のうちに矛盾が含まれていてはならないということは、たしかに 必然的な論理的条件である。しかし、概念の客観的実在性、すなわち概念によって考えられ ているような対象の可能性にたいしてはとうてい不十分なのである。2たとえば、二直線に 囲まれた図形という概念のなかにはいかなる矛盾も存在しない。3というのも、二直線とそ の交差という概念のうちには、図形を否定するなにものも含まれていないからである。4そ うした図形の不可能性は概念自体そのものに基づくのではなく、むしろ空間における図形の 構成、つまり空間とその規定という条件に基づいている。(数字による分節化は筆者による、 A220/B268)』

    となってて、引用1の「無の表」の箇所では、

    『二辺から なる直線図形』となっているんですね。

    カントのせいです…

    おくたがわさんなら、カントがいいかげんやからやとおっしゃりそうな、、、
    (おくたがわさんと、こういうことについて話してたので(^◇^;))
引用返信/返信 削除キー/
■29204 / inTopicNo.57)  Re[11]: 「二辺からなる直線図形」
□投稿者/ 田秋 -(2023/02/01(Wed) 21:24:24)
    こんばんは。
    横レス失礼します。

    No29189
    >『「矛盾」概念の再検討 ― カントと二角形の問題― 』繁田 歩 さんの論文

    今回の論議の発端がこの繁田さんの論文だとすれば、角が2個あることが必要条件になるのではないでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■29201 / inTopicNo.58)  Re[10]: 「二辺からなる直線図形」
□投稿者/ pipit -(2023/02/01(Wed) 20:07:20)
    2023/02/01(Wed) 20:09:34 編集(投稿者)

    悪魔ちゃんへ

    あ!!
    私、思い込んでたΣ(・□・;)

    『二直線に【囲まれた】図形』って。

    二辺からなる直線図形で、【囲まれた】が入ってない、、、

    これをカントは『ナンセンス』としてるみたいなの(B349、中山先生訳本3巻p305参照)

    わからないかもだけど、ちょっと考えたりしてみるね、ありがとう!
引用返信/返信 削除キー/
■29198 / inTopicNo.59)  Re[9]: 「二辺からなる直線図形」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/02/01(Wed) 19:15:11)
    お邪魔しま〜す。

    http://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant20/04_ronbun_shigeta.pdf
    の最初の方でだけでつまずいいちゃました〜。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・
    カントにとって矛盾律、すなわち「いかなる物にもそれに矛盾するような述語は帰属しない」 (A151/B190)という命題は、「いっさいの分析判断の最上原則」(A150/B189)としての意義を有す る。このような周知の理解からすれば、「矛盾」概念はすでに十分に判明であり、それ以上の説明 を必要としないように思われる。しかし、自己矛盾を含むため論理的に不可能な対象とされる 「否定無 nihil negativum」(A291/B348)の代表例である「二辺からなる直線図形」(以下、二角形と 呼称する)に関するカントの記述は、第一節に示すように明白な混乱をはらんでいる。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・
    「矛盾」とか「否定無」っていうのはさっぱりなんだけど、

    〔「二辺からなる直線図形」(以下、二角形と 呼称する)〕っていうの、どういう図形なの?っていうところだけ気になったので。「図形」だから、描けるはずよね。わたしの想像を添付します。

    単に「二つの直線図形」だったら、図1のようなんでもいいんだろうけど、「辺」っていうことから、三角形や多角形の辺が想像されるから、図1のようなんじゃなくて図2のように二つの線分の端がくっついてる、っていうことになるんかもしれない、っていうことで図2にして見ました。

    で、次に
    〔(以下、二角形と 呼称する)〕っていうことから、図2における角を見て見ると、角aと角bがあることに気づいたのね。

    たぶん、〔「二辺からなる直線図形」(以下、二角形と 呼称する)〕っていうのは図2のような図形なんじゃないかな?っていうことになったんだけど、どうかな〜?

    こういう見方って面白いと思うけど、

    でも、こういう見方をしたとき、図4は三角形とは呼ばなくなるよね。

1354×717 => 600×317

1675246511.jpg
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引用返信/返信 削除キー/
■29189 / inTopicNo.60)  変な?!先輩日記
□投稿者/ pipit -(2023/02/01(Wed) 08:26:26)
    みなさま、おはようございます(o^^o)

    No29173
    >なぜなら、たとえ或る認識がその論理形式には完全に適っているにせよ、換言すれば、自己矛盾はおかしていないにせよ、それでもその認識は依然としてその対象と矛盾することがあり得るからである。<

    アンチノミー論につながっていくとおもうのですが、その手前の考察として「二角形」という対象も、上記記述に当てはめられるのかな??と、下記の論文を読んで思いました。

    『「矛盾」概念の再検討 ― カントと二角形の問題― 』繁田 歩 さんの論文

    http://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant20/04_ronbun_shigeta.pdf

    の『おわりに』の箇所から抜粋引用

    『二角形という概念の「対象」は、構成を通じた実在性の次元で矛盾するような否定無である。しかし、二角形が「所与の概念」として捉えられ、分析判断において検討されている限り、二角形が二直線とその交差という述語を有するということはトリビアルに
    真である。このように、分析判断としての「二直線に囲まれた図形という概念のなかにはいかなる矛盾も存在しない」という判断には何らの失敗も見いだされない。もっとも、それはこの判断の主語にあたる二角形という概念が、指示対象ないし概念に対応する感性的な直観という観点から独立に、ひとえに形式的に扱われているという理由で可能なのである。』

    カント先輩は、後輩の方々に苦労させますねぇ(個人的感想)
    (ー ー;)ヘンナミリョクアルシ....

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