| パニチェさん、ザビビのふくろうさんへ。こんにちは。横レス失礼します。
> 別名「生の哲学」と呼ばれるニーチェファンであること、仏教を信仰的側面ではなく東洋哲学として捉えていること、やっぱ哲学観の違いなのかなぁ〜。
パニチェさんが、仏教を信仰的側面ではなく(東洋)哲学として捉えておられるのならば、私とのお話が噛み合うことはむつかしいかもしれなぁと感じました。いや、何も知ったかをするつもりもなく、少ない知識で語ると、東洋では西洋と違い、宗教と哲学の明確な区別がないと聞きます。今までいろんな方の投稿文を拝見していて、何故、噛み合わないのか?が、解決できない私の理解としての問いだったのです。
私自身は、人生哲学としてものの見方や考え方をいろいろな側面より現在まで考察してきたつもりですが、どうも仏教(原始)や哲学(人生)が他の人と噛み合うことが少ないのですね。少ないといっても噛み合った方は過去には数名はおられますが。パニチェさんご自身は、学問としてのみの哲学をされているのでしょうか。。
私自身が仏教を学んだのは、信仰ではなく、哲学としてではなく、ただ小説や絵本を読むような感じで、一体彼は何を言って何を行ったのだろうか?と読み始めました。ですので、信仰とか哲学的とか言われても理解しずらいのですね。
私の知る簡単な仏教のロジックとしては、苦の原因は渇愛である。渇愛を消滅させれば苦は消滅する。一般の人は楽を感じるときにはその変化を苦ととらえ、苦を感じるときには、そこから抜け出たいと楽を求める。このサイクルから抜け出す方法を知らないので苦しむのです。といった記載があります。・・・これのどこに仰るような哲学的要素があるのかが、恥ずかしながら理解できないのです。疎い私の理解では、原始に記載されていることは、全てが実践なのですね。ですので、私の知る仏教というのは、実践を伴った理解とでもいうのでしょうか。
そこでパニチェさんにお尋ねしたいのは、仰る東洋(仏教)哲学とは、具体的にどのような事柄の事を言っておられるのでしょうか?よろしければ教えていただければ幸いです。
この投稿もザビビのふくろうさんのレスを待たず、タイミングを外しているのかもしれません。ご容赦ください。
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