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■31290 / inTopicNo.25)  Re[40]: 論語読みの論語知らず
  
□投稿者/ 時 -(2023/06/25(Sun) 15:42:52)
    パニチェさん、ご返信をありがとうございます。

    > > この皆苦の世界観は、二元や一元の世界観の人の世界でのお話ですね。仏陀の説いた世界観はこれを超えています。ですので、最終的に苦の滅尽の世界が現れるのですね。
    >
    > 上記は世俗諦と勝義諦のことを言っておられるのでしょうか?
    > 時さんが言うところの「仏陀の説いた世界観」というのは言語化可能ですか?

    世俗諦と勝義諦という表現されるという事は、大乗仏教の概念ですね。すみません、大乗仏教の概念は不勉強で分かりません。実は、一度書いたのですが、正確ではないとの判断で削除しました。

    仏陀の説いた世界観を言語化すると、非想非非想処を超えた想受滅ですが、想受滅そのものを言語化することは私には不可能です。つまりは、有頂天と表現されるようにこの世での最終的に言語化可能なのは、非想非非想処までだと思います。想受滅・・あえての表現ならば、想と受の滅尽した境地でしょうか。

    > > なるほど。パニチェさんのご認識は了解しました。
    > > 例えばの仏教のお話で、パニチェさんと時とでお話がかみ合わないだろうと感じた原因が理解できたように思います。私という仮我の人生観や世界観、そしてその仮我の自己探求においては同じだったのですが、仏教の哲学的側面で列記していただいている、存在論、認識論、実在論等々への考察を私は行っていません。一応理由を書いてみますと、存在とは、無常なるものを存在すると観、常住なるものを存在しないと観る。
    >
    > 常見と断見の偏った観方を戒めるのも仏教ですし、大乗仏教では如来を法(真如)とみなし永遠なるもの(六不:不生、不滅、不垢、不浄、不増、不減)を説く教説(説一切有部や金剛般若経)もあります。
    >
    > > 認識については、五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)の中の四蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊)に識が行く。実在論については、世間の生起を如実に正慧をもって見る者には、虚無論や実在論は存在しない。なんていう表現があったように記憶していますが、私の仏教での理解は、これで十分なのですね。ですので、仏典内では論として説かれていませんし、それ以上は探求しません。
    >
    > 仏教と言っても幅広いですからね。時さんも上記で述べられているように、例えば唯識は仏教的な認識論(認知科学)とか観念論と捉えることができますし、大乗起信論とか密教はヴェーダーンタ学派を根底にしており、アドヴァイタ的な実在論と捉えることもできます。中論は時空間や言語についても言及してます。
    > 時さんは大乗は非仏(大乗非仏論)とお考えですか?

    うーん、どうなのでしょうか。。現代では、仏教と一言で表現していますが、この場合には仰るようにいろいろなものが含まれていますね。実は、私が仏教を学び初めのころ、調べても調べても、道理としての仏陀の教えが浮かんでこなかったのですね。そんな時、ある人との出会いがあり、時さん、大乗と原始は違うよという一言で眼から鱗状態でした。なるほど、道理として通らないはずでした。仏陀以降のいろいろな方々の考察や解釈を仏陀一人の思想体系として捉え、理解しようとしていたのですから。

    ネットで検索しますと、大乗非仏説(だいじょうひぶっせつ)は、大乗仏教の経典はゴータマ・シッダッタの直説ではなく、後世に成立した偽経という説である。という意味が最初に出てきますが、ここだけにフォーカスしますと、大乗仏教の経典はゴータマ・シッダッタの直説ではない気がしますが、偽経だ!とまでは偏りませんかね。これは、〜だけが真理で、それ以外は幻想だ!という見解を持ってはいけませんよという単純な教えの理解からですが、ただ、原始の内容と比較しますと、全てではなにしても、かなりの違いを発見できるように思います。

    と言うことで、大乗であれ小乗であれ密教であれ、それぞれの人による仏教があってよいと思います。そのような中で、私個人は原始に惹かれ、私の思っている仏陀の教えという道理の理解に努めたというだけでしょうか。

    > > 後は、私が説いたことを説いたと、説かないことを説かないと憶持せよ。といった仏典内での表現をそのまま鵜呑みにしています。
    >
    > 無記のことですか?

    はい。無記の事とも言えますが、その他諸々も含めてになるでしょうか。

    > > 現代日本での常識非常識で考えますと、原始の世界観は完全に非常識なものです。そして哲学でも同じだと感じるのですが、今回、初めて学んだ意味論と語用論で言いますと、私も意味論的意味での対話を中核に据えた方が良いと思いました。ですので時の場合にも「こんなクソ社会なのに 云々」と問いかけられてもそのままで問題なく返信するのであれば返信できると思いますね。
    >
    > このBBSに限らずネットでもリアルでも他者との対話においては意味論と語用論の両方を加味しないとコミュニケーションに齟齬が生ずると私は考えています。
    > 今の自分に問われても大丈夫な問いは他者に向けても大丈夫というのは短絡的だと思います。
    >
    > 何故ならほとんどの人はのその時々で精神状態が違うと想像できるからです。
    > 唯識無境(外界とは自己が対象化されたもの)とか万法不離識(すべての外界は見るものの心を離れない)も留意すべき教説ですし、バランス感覚は重要だと思います。
    > 他者との会話において意味論と語用論を念頭におくというのは中道にも相通ずると思いますが、如何でしょうか?

    少し誤解があるようにも感じますが、今の自分に問われても大丈夫な問いは他者に向けても大丈夫とは考えてはおりませんで、時からの言語発信の場合には、可能な限りその辺には配慮しているつもりではいます。ただ、予測不可能なお相手からの発言での場合には、時個人は、意味論的意味で捉えられるだろうという意味で書きました。中道については、パニチェさんの解釈と原始に書かれている内容とを統合したお話が今は私にはできませんので、スルーとさせてください。

    > PS.仏教に関する議論が噛み合わないとお感じであれば返信はスルーしてもらっても構いません。

    ご配慮をありがとうございます。では今回はこの辺りで、一度お休みをいただきたいと思います。有意義な時間でした。お付き合いをありがとうござました。
引用返信/返信 削除キー/
■31286 / inTopicNo.26)  Re[39]: 論語読みの論語知らず
□投稿者/ パニチェ -(2023/06/25(Sun) 12:27:03)
    2023/06/25(Sun) 13:39:28 編集(投稿者)

    時さん、レスありがとうございます。

    No31285に返信(時さんの記事)

    > この皆苦の世界観は、二元や一元の世界観の人の世界でのお話ですね。仏陀の説いた世界観はこれを超えています。ですので、最終的に苦の滅尽の世界が現れるのですね。

    上記は世俗諦と勝義諦のことを言っておられるのでしょうか?
    時さんが言うところの「仏陀の説いた世界観」というのは言語化可能ですか?

    > なるほど。パニチェさんのご認識は了解しました。
    > 例えばの仏教のお話で、パニチェさんと時とでお話がかみ合わないだろうと感じた原因が理解できたように思います。私という仮我の人生観や世界観、そしてその仮我の自己探求においては同じだったのですが、仏教の哲学的側面で列記していただいている、存在論、認識論、実在論等々への考察を私は行っていません。一応理由を書いてみますと、存在とは、無常なるものを存在すると観、常住なるものを存在しないと観る。

    常見と断見の偏った観方を戒めるのも仏教ですし、大乗仏教では如来を法(真如)とみなし永遠なるもの(六不:不生、不滅、不垢、不浄、不増、不減)を説く教説(説一切有部や金剛般若経)もあります。


    > 認識については、五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)の中の四蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊)に識が行く。実在論については、世間の生起を如実に正慧をもって見る者には、虚無論や実在論は存在しない。なんていう表現があったように記憶していますが、私の仏教での理解は、これで十分なのですね。ですので、仏典内では論として説かれていませんし、それ以上は探求しません。

    仏教と言っても幅広いですからね。時さんも上記で述べられているように、例えば唯識は仏教的な認識論(認知科学)とか観念論と捉えることができますし、大乗起信論とか密教はヴェーダーンタ学派を根底にしており、アドヴァイタ的な実在論と捉えることもできます。中論は時空間や言語についても言及してます。
    時さんは大乗は非仏(大乗非仏論)とお考えですか?

    > 後は、私が説いたことを説いたと、説かないことを説かないと憶持せよ。といった仏典内での表現をそのまま鵜呑みにしています。

    無記のことですか?

    > 現代日本での常識非常識で考えますと、原始の世界観は完全に非常識なものです。そして哲学でも同じだと感じるのですが、今回、初めて学んだ意味論と語用論で言いますと、私も意味論的意味での対話を中核に据えた方が良いと思いました。ですので時の場合にも「こんなクソ社会なのに 云々」と問いかけられてもそのままで問題なく返信するのであれば返信できると思いますね。

    このBBSに限らずネットでもリアルでも他者との対話においては意味論と語用論の両方を加味しないとコミュニケーションに齟齬が生ずると私は考えています。
    今の自分に問われても大丈夫な問いは他者に向けても大丈夫というのは短絡的だと思います。

    何故ならほとんどの人はのその時々で精神状態が違うと想像できるからです。
    唯識無境(外界とは自己が対象化されたもの)とか万法不離識(すべての外界は見るものの心を離れない)も留意すべき教説ですし、バランス感覚は重要だと思います。
    他者との会話において意味論と語用論を念頭におくというのは中道にも相通ずると思いますが、如何でしょうか?

    > いいえ。同じには見えませんでした。今回のパニチェさんは、自らの正当化のための怒りではなく他者を思いやったが故の常識的な怒りであり、医者は、自らの立場の保身、正当化のための怒りに映りました。ただし、両者ともに、意識的無意識的に関わらず空間的弱者にそれを向けてしまったという結果においては同じに見えました。

    > と言うよりも、私自身は全てのスレの内容の流れを見ておりませんで、全てを一応にでも把握しているとは言えません。今回の件は「一度は削除したが晒す」どうの所で「ん?何かあったのかな?」と少しさかのぼった程度のお話での理解ですので、詳しくはわかりませんでしたが、こちらにお邪魔し始めてから確か3度目の大魔神(人ではなく、こちらの方が、イメージとしては私もしっくり来ています)への変身だったと記憶しています。

    > 医者のお話は、どうなのでしょうか?もちろん憶測でのお話ですが、プライドが崩壊したのか、私の雰囲気が気に入らなかったのか、はたまた家で夫婦喧嘩でもあったのか、実際のところは何が本当の原因だったかを知る術はありませんが、もしも私が2.30代の頃だったら、少し残そうとしたその医者のプライドもどうなっていたのか分かりませんが(笑)今はそのようなことを避けていますので、、、あの時には、真っ白の世界を実体験しつつも、自らの人生哲学等で学んだ事が頭の中をよぎり、時自らに随眠しているであろう怒りの生起、続く議論の発動には至りませんでしたので、三毒の中の瞋恚は、その時には生起しなかったと自ら確認できました。

    > 現状ををこちらサイドからお話すれば、論理的、道理的には、一瞬で終わるお話ですが、それを聞く耳が、それを観る眼が彼にはなかったと思いますのでこういった結果が残ったのだと思います。偶然ではなく必然ですね。・・そして診察室を出る直前に「先生?本当にそれで良いのですか?」と心の中で言葉が沸き起こった事を記憶しています。

    回答をありがとうございました。

    PS.仏教に関する議論が噛み合わないとお感じであれば返信はスルーしてもらっても構いません。
引用返信/返信 削除キー/
■31285 / inTopicNo.27)  Re[38]: 論語読みの論語知らず
□投稿者/ 時 -(2023/06/25(Sun) 11:59:50)
    パニチェさん、こんにちは。ご返信をありがとうございます。

    > いえ、哲学も仏教も学問としてのみ接しているつもりはありません。
    > 詳しくは述べませんが遥か遠い昔に仏教や哲学と接したのは死と対峙した際の生きる指針というか拠り所としててです。
    > 他宗教も仏教も信仰的なものは私には生きる価値は見い出せなかったですね。

    ご認識は、了解しました。私の場合は、その死を意識した時、結果として生き残りましたが、インド聖者と呼ばれる方の世界観が大変に影響しました。ここで世界の本質、問題の存在しない世界観を垣間見れたように今も感じています。私が仏教に触れだしたのは、その後になります。

    > > 私の知る簡単な仏教のロジックとしては、苦の原因は渇愛である。渇愛を消滅させれば苦は消滅する。一般の人は楽を感じるときにはその変化を苦ととらえ、苦を感じるときには、そこから抜け出たいと楽を求める。このサイクルから抜け出す方法を知らないので苦しむのです。といった記載があります。
    >
    > 上記は四法印のひとつ「一切皆苦」ですね。
    > 無常なるものに常住不変を渇愛(執着)することで苦が生ずる。

    この皆苦の世界観は、二元や一元の世界観の人の世界でのお話ですね。仏陀の説いた世界観はこれを超えています。ですので、最終的に苦の滅尽の世界が現れるのですね。

    > > ・・・これのどこに仰るような哲学的要素があるのかが、恥ずかしながら理解できないのです。疎い私の理解では、原始に記載されていることは、全てが実践なのですね。ですので、私の知る仏教というのは、実践を伴った理解とでもいうのでしょうか。
    >
    > 時さんも書いておられるように人生哲学だと思います。
    >
    > > そこでパニチェさんにお尋ねしたいのは、仰る東洋(仏教)哲学とは、具体的にどのような事柄の事を言っておられるのでしょうか?よろしければ教えていただければ幸いです。
    >
    > まず哲学の定義ですが私は岩波 哲学・思想事典にある以下の定義を支持します。
    >
    > ************************************
    > むろん、哲学を広く〈人生観〉および〈世界観〉の全般にわたる諸思想の意と解すれば、それが古くから東洋でもインド・中国・日本において仏教、儒教、道教その他の諸思想となって展開されてきたことは言うまでもない。けれども現代においては、とりわけ西洋哲学に由来する厳格な論理性において追究される、統一的全体的な人生観・世界観の〈理論的基礎〉の知的探究が、哲学の根本性格を成すものと世界各国で考えられていることは、間違いないことであろう。したがって、いかに人生観・世界観が広く宗教・芸術・道徳等のうちで表明されるにはしても、やはり哲学は、たんなる宗教的〈信仰〉や、芸術的〈直観〉や、道徳的〈行為〉と異なり、あくまで首尾一貫した〈論理〉的追究の態度によって、できるだけ広く文化・学問・科学・歴史・社会の諸領域をも巻き込みつつ、人間と世界のあり方をその根本からから統一的全体的に省みる人生観・世界観の〈理論的基礎〉の知的探究であると言わねばならない。(岩波 哲学・思想事典 P1119)
    > ************************************
    >
    > 上記の〈人生観〉および〈世界観〉に私は〈自己探究〉を加えています。
    > 現在は生きる指針よりも哲学や仏教やその他の興味ある学問は全て自己探究の道具です。
    >
    > 具体的に私が言うところの仏教の哲学的側面というのは。。。
    > 存在論、認識論、実在論、観念論、一元論、独我論などを扱っていますし、哲学的な主題として、真理、本質、普遍性、言語、観念、行為、世界、空間、現象、人間一般、理性、自由、因果性、正義、善、意識、精神、自我などなどを扱っていると思います

    なるほど。パニチェさんのご認識は了解しました。
    例えばの仏教のお話で、パニチェさんと時とでお話がかみ合わないだろうと感じた原因が理解できたように思います。私という仮我の人生観や世界観、そしてその仮我の自己探求においては同じだったのですが、仏教の哲学的側面で列記していただいている、存在論、認識論、実在論等々への考察を私は行っていません。一応理由を書いてみますと、存在とは、無常なるものを存在すると観、常住なるものを存在しないと観る。認識については、五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)の中の四蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊)に識が行く。実在論については、世間の生起を如実に正慧をもって見る者には、虚無論や実在論は存在しない。なんていう表現があったように記憶していますが、私の仏教での理解は、これで十分なのですね。ですので、仏典内では論として説かれていませんし、それ以上は探求しません。後は、私が説いたことを説いたと、説かないことを説かないと憶持せよ。といった仏典内での表現をそのまま鵜呑みにしています。

    現代日本での常識非常識で考えますと、原始の世界観は完全に非常識なものです。そして哲学でも同じだと感じるのですが、今回、初めて学んだ意味論と語用論で言いますと、私も意味論的意味での対話を中核に据えた方が良いと思いました。ですので時の場合にも「こんなクソ社会なのに 云々」と問いかけられてもそのままで問題なく返信するのであれば返信できると思いますね。

    > 平時では化けの皮は剥がれませんが非常にには人の本性って出るものですね。

    もしも平時においては出ない彼の不善の本性が出てしまったのならば、その本性を現す切っ掛けになって彼を苦しめたということに時自身は反省しています。

    > 患者のことなど全く考えていない、おそらく食い扶持くらいにしか思ってない、自分が答えられないような質問をしてきた患者に立腹したプライド高く見栄っ張りの馬鹿医者だと思いますが、「自らの立場を利用して、空間的に立場の弱い者に対して怒りをぶつけて自らを正当化して排除しようとする」馬鹿医者と今回の私は同類に見えましたか?

    いいえ。同じには見えませんでした。今回のパニチェさんは、自らの正当化のための怒りではなく他者を思いやったが故の常識的な怒りであり、医者は、自らの立場の保身、正当化のための怒りに映りました。ただし、両者ともに、意識的無意識的に関わらず空間的弱者にそれを向けてしまったという結果においては同じに見えました。

    と言うよりも、私自身は全てのスレの内容の流れを見ておりませんで、全てを一応にでも把握しているとは言えません。今回の件は「一度は削除したが晒す」どうの所で「ん?何かあったのかな?」と少しさかのぼった程度のお話での理解ですので、詳しくはわかりませんでしたが、こちらにお邪魔し始めてから確か3度目の大魔神(人ではなく、こちらの方が、イメージとしては私もしっくり来ています)への変身だったと記憶しています。

    医者のお話は、どうなのでしょうか?もちろん憶測でのお話ですが、プライドが崩壊したのか、私の雰囲気が気に入らなかったのか、はたまた家で夫婦喧嘩でもあったのか、実際のところは何が本当の原因だったかを知る術はありませんが、もしも私が2.30代の頃だったら、少し残そうとしたその医者のプライドもどうなっていたのか分かりませんが(笑)今はそのようなことを避けていますので、、、あの時には、真っ白の世界を実体験しつつも、自らの人生哲学等で学んだ事が頭の中をよぎり、時自らに随眠しているであろう怒りの生起、続く議論の発動には至りませんでしたので、三毒の中の瞋恚は、その時には生起しなかったと自ら確認できました。

    現状ををこちらサイドからお話すれば、論理的、道理的には、一瞬で終わるお話ですが、それを聞く耳が、それを観る眼が彼にはなかったと思いますのでこういった結果が残ったのだと思います。偶然ではなく必然ですね。・・そして診察室を出る直前に「先生?本当にそれで良いのですか?」と心の中で言葉が沸き起こった事を記憶しています。
引用返信/返信 削除キー/
■31283 / inTopicNo.28)  時さんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/06/25(Sun) 08:43:31)
    2023/06/25(Sun) 10:44:56 編集(投稿者)

    時さん、おはようございます。レスありがとうございます。

    No31244に返信(時さんの記事)

    > 私自身は、人生哲学としてものの見方や考え方をいろいろな側面より現在まで考察してきたつもりですが、どうも仏教(原始)や哲学(人生)が他の人と噛み合うことが少ないのですね。少ないといっても噛み合った方は過去には数名はおられますが。パニチェさんご自身は、学問としてのみの哲学をされているのでしょうか。。

    いえ、哲学も仏教も学問としてのみ接しているつもりはありません。
    詳しくは述べませんが遥か遠い昔に仏教や哲学と接したのは死と対峙した際の生きる指針というか拠り所としててです。
    他宗教も仏教も信仰的なものは私には生きる価値は見い出せなかったですね。

    > 私の知る簡単な仏教のロジックとしては、苦の原因は渇愛である。渇愛を消滅させれば苦は消滅する。一般の人は楽を感じるときにはその変化を苦ととらえ、苦を感じるときには、そこから抜け出たいと楽を求める。このサイクルから抜け出す方法を知らないので苦しむのです。といった記載があります。

    上記は四法印のひとつ「一切皆苦」ですね。
    無常なるものに常住不変を渇愛(執着)することで苦が生ずる。

    > ・・・これのどこに仰るような哲学的要素があるのかが、恥ずかしながら理解できないのです。疎い私の理解では、原始に記載されていることは、全てが実践なのですね。ですので、私の知る仏教というのは、実践を伴った理解とでもいうのでしょうか。

    時さんも書いておられるように人生哲学だと思います。

    > そこでパニチェさんにお尋ねしたいのは、仰る東洋(仏教)哲学とは、具体的にどのような事柄の事を言っておられるのでしょうか?よろしければ教えていただければ幸いです。

    まず哲学の定義ですが私は岩波 哲学・思想事典にある以下の定義を支持します。

    ************************************
    むろん、哲学を広く〈人生観〉および〈世界観〉の全般にわたる諸思想の意と解すれば、それが古くから東洋でもインド・中国・日本において仏教、儒教、道教その他の諸思想となって展開されてきたことは言うまでもない。けれども現代においては、とりわけ西洋哲学に由来する厳格な論理性において追究される、統一的全体的な人生観・世界観の〈理論的基礎〉の知的探究が、哲学の根本性格を成すものと世界各国で考えられていることは、間違いないことであろう。したがって、いかに人生観・世界観が広く宗教・芸術・道徳等のうちで表明されるにはしても、やはり哲学は、たんなる宗教的〈信仰〉や、芸術的〈直観〉や、道徳的〈行為〉と異なり、あくまで首尾一貫した〈論理〉的追究の態度によって、できるだけ広く文化・学問・科学・歴史・社会の諸領域をも巻き込みつつ、人間と世界のあり方をその根本からから統一的全体的に省みる人生観・世界観の〈理論的基礎〉の知的探究であると言わねばならない。(岩波 哲学・思想事典 P1119)
    ************************************

    上記の〈人生観〉および〈世界観〉に私は〈自己探究〉を加えています。
    現在は生きる指針よりも哲学や仏教やその他の興味ある学問は全て自己探究の道具です。

    具体的に私が言うところの仏教の哲学的側面というのは。。。
    存在論、認識論、実在論、観念論、一元論、独我論などを扱っていますし、哲学的な主題として、真理、本質、普遍性、言語、観念、行為、世界、空間、現象、人間一般、理性、自由、因果性、正義、善、意識、精神、自我などなどを扱っているところです。


    以下は議論したり反論するつもりはないですし他意のない質問なので簡単に「はい」「いいえ」で答えてもらっても構いません。

    No31206に返信(時さんの記事)
    > 1年ほど前に40代後半と思われる医者に怒鳴られた事があります。その男性の医者は、その病院の副院長だったらしく、それは突然に起こりました。
    > とある病気で通院し始めて約1年、2か月に1度の受診でしたが、私は自らの病気についてネットや書籍で調べて先生に質問をしていました。時間は毎回3分程度です。
    > そしてその日、いつものように確認と質問をしたところ「なんなんですか!趣味には付き合えません!重箱の隅をつつくように!こちらの地域には専門医はいませんのでどうしますか!」と突然、顔を真っ赤にして怒鳴られました。
    > その瞬間、何が起こったのか理解できませんでしたが、私の思いとしては「持病の事は趣味でやっているわけではなく、重箱の隅をつついている気もなく、どこで聞いても調べても、分からないことがあれば、先生に聞いてみましょう的な事が記載、助言されるしなぁ・・こちらの地域に専門医がいないので、どうしますか?ってどういう意味なのだろうか?」・・でした。
    > 病院の副院長と診察室という空間で、医者と患者という立場で、患者である私の健康面で知りたいことを質問した結果、怒鳴られて「どうしますか!」って(笑)多分、これ以上医者である私に答えられない質問をするな。それをしたいのであれば、この病院には来るな。という二者選択を医者が患者に迫ったのだろうと思っています。
    > その内容が、医学的に専門的かどうなのかは、医者ではない私には分かりません。ただ調べて病状についての疑問点を質問しただけの認識のつもりでしたが、その医者には、そのようには理解できなかったようです。
    > 結果的に、自らの立場を利用して、空間的に立場の弱い者に対して怒りをぶつけて自らを正当化して排除しようとする。もしもそうならば、この(気持ち悪い)人間の世界観の理解はできますが、賛同はできないですね。

    平時では化けの皮は剥がれませんが非常にには人の本性って出るものですね。患者のことなど全く考えていない、おそらく食い扶持くらいにしか思ってない、自分が答えられないような質問をしてきた患者に立腹したプライド高く見栄っ張りの馬鹿医者だと思いますが、「自らの立場を利用して、空間的に立場の弱い者に対して怒りをぶつけて自らを正当化して排除しようとする」馬鹿医者と今回の私は同類に見えましたか?

引用返信/返信 削除キー/
■31282 / inTopicNo.29)  Re[37]: 論語読みの論語知らず
□投稿者/ パニチェ -(2023/06/25(Sun) 07:38:20)
    おはようございます、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。

    No31250に返信(ザビビのふくろうさんの記事)

    > 上記の説明で、答えになっていますかね?
    > なっていなければ、また言ってください。

    はい、丁寧かつ誠実な返信をありがとうございました。
    ザビビのふくろうさんの横レスの意図も上記の論旨も理解できたつもりですし、特に反論はありません。
    短い返信になってしまいましたが、意図に関しては感謝です。

    一点だけ、訂正しておきます。
    大魔神(誤)→大魔人(正) 但し瞬間湯沸かし器的変身のみは大魔神的www

引用返信/返信 削除キー/
■31268 / inTopicNo.30)  Re[39]: 論語読みの論語知らず
□投稿者/ 時 -(2023/06/24(Sat) 23:12:08)
    ザビビのふくろうさんへ。

    > そんなに持ち上げられても、仏教に関することで、私が時さんにお教えできることなどあるわけないでしょう(^_^;)

    ・・・orz・・・

    ところで、初めて目にした意味論と語用論、勉強になりました。

    返信をありがとうございました。(^^)
引用返信/返信 削除キー/
■31266 / inTopicNo.31)  Re[38]: 論語読みの論語知らず
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/06/24(Sat) 23:00:39)
    No31252に返信(時さんの記事)
    > ザビビのふくろうさんへ。こんにちは。お久しぶりです^^
    > レスの順番飛ばしをしていますが、ご容赦ください。
    >
    >> 時さん,お久しぶりです。
    >>今回のレス,パニチェさんへの質問ということでよろしいんですよね?
    >
    > いえ、可能ならば、哲学の先生のザビビのふくろうさんにもお答えをいただければ、時はこの上なく喜びます。
    >
    >>ところで,時さんが医者に怒られた件ですが。
    >>あまりに思いがけず,「えっ…?」って,時さんがきょとんとされたことを思うと,正直笑えますm(__)m
    >>その医者,何かはわかんないけど、きっとプライドがいたく傷ついたんだろうな〜^^
    >
    > 現実世界で初めてだったのですが、この年になって見事なまでの真っ白な世界を実体験しました。(笑)でもまぁ、空気を読み切ったならば、あの場合には質問などせずに、ハイハイ言っとりゃ良かったのだろうなとも思います。私の好奇心?探求心?が医者のプライドを崩壊させたのかもですね。
    >
    > 医者自身が処方箋を書いた薬の効能について質問し・・・まぁ、もういいですかね(笑)
    >
    > 改めまして、ザビビのふくろうさんにもお尋ねします。東洋(仏教)哲学とは、具体的にどのような事柄の事を言うのでしょうか?よろしければ教えていただければ幸いです。特に最近、難しい表現の理解や記憶への自信がなくなってきています。可能ならば、簡易な表現でお願いしたいのですが。宜しくお願いします。m(__)m

    いやいやいやいや時さん、
    そんなに持ち上げられても、仏教に関することで、私が時さんにお教えできることなどあるわけないでしょう(^_^;)
引用返信/返信 削除キー/
■31261 / inTopicNo.32)  マジモンさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/06/24(Sat) 22:21:41)
    マジモンさんへ。ご助言をありがとうございます。

    > 自分は医療専門で、医者のご学友もいるんだけども、
    > その医者を選んだ時さんが悪いかも…。

    病状検査のために地域病院に生き、三度ほど、曜日や時間帯を変えていきましたが、なぜかその先生に全て当たりました。先生の休みの時間帯もあったはずのにという縁ですかね。(笑)最初はすごく感じがよい先生だったんですよ(笑)よく勉強されてますねぇ。なんて言われて。

    でもまぁ、滅多には見られないであろう真っ白な世界を実体験として見れましたので、今は良しですね。(^^)

    ご返信をありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■31258 / inTopicNo.33)  時さんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/06/24(Sat) 22:08:24)
    自分は医療専門で、医者のご学友もいるんだけども、
    その医者を選んだ時さんが悪いかも…。
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■31252 / inTopicNo.34)  Re[37]: 論語読みの論語知らず
□投稿者/ 時 -(2023/06/24(Sat) 21:23:50)
    ザビビのふくろうさんへ。こんにちは。お久しぶりです^^
    レスの順番飛ばしをしていますが、ご容赦ください。

    > 時さん,お久しぶりです。
    > 今回のレス,パニチェさんへの質問ということでよろしいんですよね?

    いえ、可能ならば、哲学の先生のザビビのふくろうさんにもお答えをいただければ、時はこの上なく喜びます。

    > ところで,時さんが医者に怒られた件ですが。
    > あまりに思いがけず,「えっ…?」って,時さんがきょとんとされたことを思うと,正直笑えますm(__)m
    > その医者,何かはわかんないけど、きっとプライドがいたく傷ついたんだろうな〜^^

    現実世界で初めてだったのですが、この年になって見事なまでの真っ白な世界を実体験しました。(笑)でもまぁ、空気を読み切ったならば、あの場合には質問などせずに、ハイハイ言っとりゃ良かったのだろうなとも思います。私の好奇心?探求心?が医者のプライドを崩壊させたのかもですね。

    医者自身が処方箋を書いた薬の効能について質問し・・・まぁ、もういいですかね(笑)

    改めまして、ザビビのふくろうさんにもお尋ねします。東洋(仏教)哲学とは、具体的にどのような事柄の事を言うのでしょうか?よろしければ教えていただければ幸いです。特に最近、難しい表現の理解や記憶への自信がなくなってきています。可能ならば、簡易な表現でお願いしたいのですが。宜しくお願いします。m(__)m
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■31251 / inTopicNo.35)  Re[37]: 論語読みの論語知らず
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/06/24(Sat) 19:38:08)
    時さん,お久しぶりです。
    今回のレス,パニチェさんへの質問ということでよろしいんですよね?

    ところで,時さんが医者に怒られた件ですが。
    あまりに思いがけず,「えっ…?」って,時さんがきょとんとされたことを思うと,正直笑えますm(__)m
    その医者,何かはわかんないけど、きっとプライドがいたく傷ついたんだろうな〜^^

引用返信/返信 削除キー/
■31250 / inTopicNo.36)  Re[36]: 論語読みの論語知らず
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/06/24(Sat) 19:29:45)
    パニチェさん,こんばんは。
    たまたま久しぶりにのぞいたら、パニチェさんが大魔神化してて(笑),
    どうもそれが旧知の悪魔ちゃんに関係することのようだし,
    さすがに大魔神に皆さんが意見するのは難しいだろうから,KYな私が少しお邪魔するのも意味あるかなと思ってしゃしゃり出て来ちゃったんですが,どうも杞憂だったみたいですね…。
    旧管理人さんなんでしょうかね?なんかやたらキャパが広くてバランスのとれた方が既にいらっしゃってて,出る幕なかったかと思っているところです。
    もちろん,述べたことについては責任をもってお応えしますし,気の済むように突っ込んでください。

    え〜と,少しちゃんと説明するために,申し訳ないんですが、パニチェさんのレスをベースにするんじゃなく、私のやり方で説明させもらいます。すみません、
    まず、便宜的に、「意味論」「語用論」という術語を使います。
    読んでくださっている方で,これらの言葉を知らない人のために,必要な限りでラフに説明します。
    これらは言語学とか論理学とか,言語研究の際の方法論上の立場で,今回は扱いませんが,「統語論」という立場もあります。
    要するにこれらの違いは,言葉(文)の意味を扱う際に,文の話し手・書き手,聴き手・読み手,その言葉が使用された文脈等を考慮に入れて考えるか否かで区別されます。
    意味論は,そういったものを考慮せず,いわば文自体の字義通りの意味内容のみを問題にし,
    語用論は,そういったものを考慮した意味(言外の意味・発話意図etx.)を考えます。
    よく用いられる例は,冷房の効いた部屋の中で,AさんがBさんに「寒くない?」と質問した場合,そこに「エアコン切ってほしいな」という意図を込めての発言(質問に見えて実は依頼)のことがありえるわけですが,Bさんが「ん?私は大丈夫」とだけ答えるような場面。
    この例で説明すると,発話者Aさんの本当の発話の意味(意図)は,言外の意味(=語用論的意味)である「エアコン切って」(依頼)であるにもかかわらず,聞き手Bさんはそれを察することなく(なぜこの人は今私にこの質問をしたのか?など全く考えず),表面上の質問文として,いわば字義通りの意味(意味論的意味)のみしか受け取らなかった,ということになります。
    ちゃんとした説明はそれぞれ調べていただくとして,以下の議論の理解にはさしあたりこれで大丈夫と思います。

    議論に戻ります。
    「なぜ人を殺してはならないのか?」といった一般に倫理的な問いはもちろん言葉ですので,当然,本質的に意味論的レベル,語用論的レベルでその意味を考察することが可能です。これは原理的なものです。
    そして,その意味のどちらを問題にするかは,実際にそれを問題にする現実の場や,参加者に相対的に決められます。
    例えばプロの哲学者たちの哲学研究会で議論される場合は,通常意味論的意味,この問いの倫理的意味のみを問題にするでしょう(もちろん,語用論的意味を対象に議論する場合もありえますが,それはまたテーマが異なるでしょう)。
    一般に,どちらの意味を考慮するかは,その場,参加者等を考慮して,常識的に決まったりするでしょう。
    例えば,テレビのような場所で語るときは,人によっては意味論的意味をしか意識せずに語る人もいるでしょうし,人によってはこの自分の議論はテレビを見ている殺人被害者の遺族に届いていることを意識してしゃべる人もいるでしょう。
    その態度のどちらが正しくて,どちらが間違いか,明確な基準はここにはありません。
    例えば,今回,悪魔ちゃんのキティ―さんに対する問いが,私に対するものであったなら,何ら問題ありません。たとえ現実に直面して問われたとしても,問題なしです。

    哲学的問いは,パニチェさんも言うようにしばしば非常識なので,現実的に,相手や状況を考慮する必要があります。でないとトラブルにもなったります。
    で,このニーチェクラブという場所は,哲学的意味論的内容をもつ問いであれば,どんな問題でも,誰に対しても持ち出していいのか?
    正直言うと,私は最初こちらに参加したとき,少なくとも哲学的議論をする場合,何でもOKなのかと思っていました。
    つまり,意味論的意味のみを考慮して,語用論的意味は考慮しなくていいのかと思っていたのです。
    でも,違いました。
    私はよくこれを読み間違えるんですよ(笑)
    もちろん選択肢としては,たとえば哲学研究会と同じく何でもOKでもありえたと思いますし,また,一般社会の常識的・道徳的判断に準ずべき,とすることもあると思います。
    これをどちらにすべきは哲学的問題ではなく,ニーチェクラブのルールや,管理人の考えで決まるものと思います。
    つまり,一般に,意味論的意味のみを問題にするべきか,それとも語用論的意味を考慮すべきかは,哲学的・原理的問題ではなく,常識的,現実的に判断すべき問題である,と私は思います。

    >ザビビのふくろうさんはどう思われますか?
    >またザビビのふくろうさんが常識的・道徳的観点からみてもっともだと思った土台も哲学とは言えませんか?

    上記の説明で、答えになっていますかね?
    なっていなければ、また言ってください。

    >別名「生の哲学」と呼ばれるニーチェファンであること、仏教を信仰的側面ではなく東洋哲学として捉えていること、やっぱ哲学観の違いなのかなぁ〜。

    あんまりよく考えてないんですが,上に述べた通りの考えで,とりあえず哲学観の違いではないように思うんですが。


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