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■28105 / inTopicNo.37)  pipitさんへ (;´・ω・)
  
□投稿者/ うましか -(2022/12/21(Wed) 22:53:25)
    2022/12/22(Thu) 00:08:50 編集(投稿者)

    こんばんはー

    No.28101(pipitさん)

    >あ!その言葉で、
    (カント)
    『感性論は、感性一般の規則の学であり、論理学は知性一般の規則の学である。』
    (『純粋理性批判2』光文社古典新訳文庫、中山元先生訳、p20、B76)
    の一文を思い出しました。<


    *******

    えーと、、、うましかが何に違和感があるかというと、たんに論理学という学に対してではなく、カントのいう「超越論的論理学」なる「学」に対してなのです(;´・ω・)

    カントのいう一般的な論理学というのは、おもうに、カント以前に成立した、カントも教えていた「学」を指しているのかな?と。他方、超越論的論理学は、カントが認識論を展開する際に、彼のエステーティク(感性の理論)ととも提唱した知性(悟性)の理論(ロギック)だとおもうのですが、それをはたして「学〔Wissenschaft〕」と呼んでよいのかな?と(;´・ω・)

    あと他に、超越論的論理学が知性の理論だとしても、私自身がそれを、喩えるならば、チョムスキーの普遍文法のようなイメージでとらえてしまっていることが違和感の原因の一つかもしれません(;´・ω・)

    いずれにせよ、うましかは、こんな瑣末なこと一つで、いまだ沼に浸かっては溺れているレベルなのでした〜


    チョーエツロンテキ
    (/・ω・)/ろんり沼








引用返信/返信 削除キー/
■28101 / inTopicNo.38)  Re[28]: 超越論的論理学 序論T−5
□投稿者/ pipit -(2022/12/21(Wed) 16:56:05)
    No28045
    うましかさんこんばんはー

    (うましかさん)
    > 同p.258では「カントは知性の理論を論理学(ロギック)と呼ぶ」と明快にまとめられています。私もそのように考えるようにします(;´・ω・)<

    あ!その言葉で、
    (カント)
    『感性論は、感性一般の規則の学であり、論理学は知性一般の規則の学である。』
    (『純粋理性批判2』光文社古典新訳文庫、中山元先生訳、p20、B76)
    の一文を思い出しました。

    > ◇このため、応用論理学はまた、悟性一般の規準でもなければ、特殊な学の機関でもなく、もっぱら常識を浄化するものなのである<

    ここらへんの文意がpipitにはさっっぱりわからなくて、スルー状態になってます

    ( ̄▽ ̄;)論理学(ローギク)....沼っ!!
引用返信/返信 削除キー/
■28045 / inTopicNo.39)  超越論的論理学 序論T−5
□投稿者/ うましか -(2022/12/20(Tue) 22:02:00)
    2022/12/20(Tue) 22:03:50 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    No.28031(pipitさん)

    >すみません、「捨象」と書くべきところをpipitが間違えて「捨像」と書いてしまっていました

    こちらこそ、瑣末なことですみませんでしたm(__)m 

    >B89に『この分析論では、わたしたちのアプリオリな認識の全体を、純粋な知性[=悟性]による認識の要素に分割する。(略)純粋な知性の全体の領域を完全に包括するものであること。』(中山元先生訳、光文社古典新訳文庫第2巻p43より引用)とあり、
    >カントとしては、知性によるアプリオリな認識の要素を全て網羅した(知性認識要素のアプリオリ部門の)【学】としてカテゴリーを提示して、また、それがカントによる恣意的な要請ではないことを示すために『演繹論』で根拠づけを行なってるという主張になるのかなと思う

    ありがとうございましたm(__)m

    中山元訳2のp.28の「超越論的な論理学の理念」で、既にカント自身がこの「学」(の理念)について説明しておりました(;´Д`A ```

    同p.258では「カントは知性の理論を論理学(ロギック)と呼ぶ」と明快にまとめられています。私もそのように考えるようにします(;´・ω・)


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学

    序論 超越論的論理学の理念
     T. 論理学一般について〔Von der Logik ueberhaupt〕

    ◇ ところで、一般論理学〔Die allgemeine Logik〕は、純粋な〔die reine〕論理学であるか、応用〔die angewandte〕論理学であるかのいずれかである。純粋な論理学においては、私たちは、私たちの悟性がそのもとで行使される全ての経験的な条件を、例えば、感官の影響とか、空想の戯れ、記憶の諸法則、習慣の力、好みその他とかを、従ってまた偏見を生ずる源泉をも、いやそれどころか、総じて、或る種の認識が私たちにとって生じたり、或いはその認識がすり替えられる恐れのある全ての原因を、捨象する〔abstrahieren〕。というのも、これらのもの〔原因〕は、悟性が適用される或る種の事情のもとでのみ悟性に関わり、こうした事情を知るためには経験が必要だからである。

    --- No.28011 からの続き ---

    ◇それ故、一般的≠ナ、しかも純粋な論理学=kEine allgemeine, aber reine Logik〕は、純粋な〔lauter〕ア・プリオリな諸原理を問題とし、だから悟性°yび理性の規準=kein Kanon des Verstandes und der Vernunft〕である、
    しかしそれは、その内容がどのようなものであれ(経験的なものであれ、超越論的なものであれ)、悟性及び理性の使用の形式的なものに関する規準である。

    ◇だが、一般的論理学〔Eine allgemeine Logik〕≠焉A心理学が私たちに教える主観的で経験的な諸条件の下で悟性が使用される諸規則へ向けられているときには、応用論理学≠ニ呼ばれる。

    ◇それ故、応用論理学は、それが対象の区別無しに悟性使用と関わる限りにおいては、たとえ一般的であるとしても、経験的な諸原理を持っている。

    ◇このため、応用論理学はまた、悟性一般の規準でもなければ、特殊な学の機関でもなく、もっぱら常識を浄化するものなのである。

    † 原佑訳上巻、p.193〜p.194参照。
    † その他に、中山元訳2、p.22、石川文康訳上巻、p.111〜p.112を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******


    T−4 No.28011、T−5 No.28045
    T−1 No.27245、T−2 No.27255、T−3 No.27310

    *******

    序論 No.27245,27255,27310,28011,28045

引用返信/返信 削除キー/
■28031 / inTopicNo.40)  うましかさんへ(^O^)
□投稿者/ pipit -(2022/12/19(Mon) 22:35:08)
    うましかさん、こんばんはー
    (^○^)

    No28027
    > ちょっと気になったのですが、原佑訳によれば"abstrahieren"の訳は「捨象する」なのですが、「捨像する」という訳もあるのでしょうか… ?(;´・ω・) 
    > ちなみに、石川文康訳上巻では「度外視する」(p.111)です。<

    すみません、「捨象」と書くべきところをpipitが間違えて「捨像」と書いてしまっていました
    気づいていただきありがとうございます!
    m(_ _)m


    > 一般論理学と超越論的論理学の区別については、うましかには全然理解できていないし、誤解かもしれないですが、現時点での印象では、前者がpipitさんがおっしゃるとおり、人間の認識の内容を排除し知性の形式だけを抽象化しようとしたもの、後者は、言ってみるならば、人間の認識の機能を明らかにする過程で感性と共にそれを可能にするためにカントに要請された知性の働き(なので、私としては「論理"学"」と訳したくないっす(;´・ω・))<

    そうですねー、

    B89に『この分析論では、わたしたちのアプリオリな認識の全体を、純粋な知性[=悟性]による認識の要素に分割する。(略)純粋な知性の全体の領域を完全に包括するものであること。』(中山元先生訳、光文社古典新訳文庫第2巻p43より引用)とあり、

    カントとしては、知性によるアプリオリな認識の要素を全て網羅した(知性認識要素のアプリオリ部門の)【学】としてカテゴリーを提示して、また、それがカントによる恣意的な要請ではないことを示すために『演繹論』で根拠づけを行なってるという主張になるのかなと思うのですが、

    現実は『カントに要請された働き』とみることが、もうほんまに一般的なのだろうなぁと思いました。


    > (/・ω・)/カントろんり沼
    >
    > *******
    >
    > >うましかさんの館にラッセル先生の本がアップされていましたね!
    >
    > 語学もダメなうましかは、じつはこっそり訳本(細川董訳)をみています
    > (;´Д`A ```
    >
    > これに限らず、訳語だけでは、どうしても分からないこと、確認したいことがあるので、これはと思う文献については原典とセットにしたいのでした。
    >
    >
    > (´・ω・`)カントさんすう沼

    じつは?カントさんすう沼大好きかものpipitでした....
    d( ̄  ̄)沼ですが、、、
引用返信/返信 削除キー/
■28027 / inTopicNo.41)  pipitさんへ (;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/12/19(Mon) 21:39:51)
    こんばんはー

    No.28018(pipitさん)

    >一般論理学は『抽象や捨像』の作業から生まれた論理学で、人間の認識の内容が捨像されて知性の形式が抽象されてるのかなと思うのですが、
    >超越論的論理学は感性によって与えられた内容をすでに持っていて、その内容を総合して対象化する際の論理学。(B102参照)

    >でも、内容を認識している現場から『抽象や捨像』して作成したのではなく、カントとしては知性の機能に則って作成された論理学。
    .....なのかなぁ、とか。

    *******

    ちょっと気になったのですが、原佑訳によれば"abstrahieren"の訳は「捨象する」なのですが、「捨像する」という訳もあるのでしょうか… ?(;´・ω・) 
    ちなみに、石川文康訳上巻では「度外視する」(p.111)です。

    一般論理学と超越論的論理学の区別については、うましかには全然理解できていないし、誤解かもしれないですが、現時点での印象では、前者がpipitさんがおっしゃるとおり、人間の認識の内容を排除し知性の形式だけを抽象化しようとしたもの、後者は、言ってみるならば、人間の認識の機能を明らかにする過程で感性と共にそれを可能にするためにカントに要請された知性の働き(なので、私としては「論理"学"」と訳したくないっす(;´・ω・))

    (/・ω・)/カントろんり沼

    *******

    >うましかさんの館にラッセル先生の本がアップされていましたね!

    語学もダメなうましかは、じつはこっそり訳本(細川董訳)をみています
    (;´Д`A ```

    これに限らず、訳語だけでは、どうしても分からないこと、確認したいことがあるので、これはと思う文献については原典とセットにしたいのでした。


    (´・ω・`)カントさんすう沼


引用返信/返信 削除キー/
■28025 / inTopicNo.42)  Re[30]: 日記
□投稿者/ pipit -(2022/12/19(Mon) 20:06:47)
    No28024に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、日記にお邪魔するね。
    >
    > カントのってさ〜、「事実性」が無視になってるんじゃないかな〜?
    >
    > って、ふと。

    悪魔ちゃん、こんばんは!

    多分、『リアル』については項目あると思うよー
    まだそこまで読めてないけど
    ( ̄◇ ̄;)
引用返信/返信 削除キー/
■28024 / inTopicNo.43)  Re[29]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/19(Mon) 19:40:52)
    pipitさま、日記にお邪魔するね。

    カントのってさ〜、「事実性」が無視になってるんじゃないかな〜?

    って、ふと。
引用返信/返信 削除キー/
■28022 / inTopicNo.44)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/12/19(Mon) 19:10:22)
    カント的には、純粋知性を源泉に生まれた(超越論的)論理学。

    でも、感性からの提供物を前提とするこの論理学を、感性からの提供物と切り離した時に起きる問題を示したのが超越論的弁証論。

    先程そのような考えがわたしに浮かんでいました。
引用返信/返信 削除キー/
■28018 / inTopicNo.45)  Re[27]: 超越論的論理学 序論T−4
□投稿者/ pipit -(2022/12/19(Mon) 00:19:31)
    No28011
    うましかさん、こんばんは(o^^o)

    > 今夜はほんのすこしですが、カント論理学すすめることができました
    > (´;ω;`)ウッ…<

    おつかれさまです♪


    > ◇ 前者〔純粋な論理学〕においては、私たちは、私たちの悟性がそのもとで行使される全ての経験的な条件、例えば、感官の影響とか、構想の戯れ、記憶の法則、習慣の威力、傾向性その他〔*1〕とかを、従ってまた偏見を生ずる源泉をも、いやそれどころか、総じて、或る種の認識が私たちにとって生じたり、或いはその認識がすり替えられる恐れのある全ての原因を、捨象する〔abstrahieren *2〕。
    >
    > *1 石川文康訳上巻では次のように訳される「感覚の影響、空想の戯れ、記憶の諸法則、習慣の力、好み、等々のことである。」(p.111)。
    > *2 中山元訳2では「排除する」と訳される(p.22)<

    やっぱり『abstrahieren』という単語がなんか気になるんですよね。

    一般論理学は『抽象や捨像』の作業から生まれた論理学で、人間の認識の内容が捨像されて知性の形式が抽象されてるのかなと思うのですが、

    超越論的論理学は感性によって与えられた内容をすでに持っていて、その内容を総合して対象化する際の論理学。(B102参照)
    でも、内容を認識している現場から『抽象や捨像』して作成したのではなく、カントとしては知性の機能に則って作成された論理学。
    .....なのかなぁ、とか。

    (ー ー;)ナゾ....

    ※※※※※※※※

    うましかさんの館にラッセル先生の本がアップされていましたね!
    私には読める英語力がないのが残念ですが(T . T)

    さんすう沼、いろいろわかる能力があるなら、楽しそうだなぁ♪

    あら?カント先生が沈められてる?
引用返信/返信 削除キー/
■28011 / inTopicNo.46)  超越論的論理学 序論T−4
□投稿者/ うましか -(2022/12/18(Sun) 18:23:21)
    2022/12/18(Sun) 19:01:55 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    今夜はほんのすこしですが、カント論理学すすめることができました
    (´;ω;`)ウッ…


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学

    序論 超越論的論理学の理念
     T. 論理学一般について〔Von der Logik ueberhaupt〕

    ◆ ところで、論理学〔die Logik〕はこれまた、一般的な悟性使用の論理学として〔als Logik des allgeminen (Verstandesgebrauchs)〕か、さもなければ特殊な悟性使用の論理学として〔(als Logik)des besondern Verstandesgebrauchs 〕、という二様の意図において、企てられ得る。
    前者は、思考の端的に必然的な諸規則を含むものであって、そうした諸規則無しでは悟性のいかなる使用も全然生ぜず、それ故この論理学は、悟性の使用がいかなる対象に向けられていようとも、それらの諸対象の差異に関わりなく、悟性の使用を問題とする。
    特殊な悟性使用の論理学は、或る種類の諸対象に関して正しく思考する諸規則を含むものである。
    前者の一般的な悟性使用の論理学は基本的な論理学〔die Elementarlogik〕と名付けられ得るが、後者の特殊な悟性使用の論理学は特定の学の機関〔das Organon〕と名づけられ得る。
    この後者は、学校においてはたいてい諸学の予備学として最初に置かれるものであるが、にもかかわらず、人間の理性〔menschlichen Vernunft〕の歩みに従えば、最も後になって成り立つものであって、諸学がずっと昔に仕上がっていて、それらの諸学を修正し完成するために、最後の手を加える必要のある時、人間の理性は初めてそこに達するのである。
    なぜなら、どのようにすれば、諸対象についての学が成就され得るかの規則を示そうとすれば、人はその対象に既に相当高度に精通していければならないからである。

    --- No.27310 からの続き ---

    ◇ ところで、一般論理学〔Die allgemeine Logik〕は、純粋な〔die reine〕論理学であるか、応用〔die angewandte〕論理学であるかのいずれかである。

    ◇ 前者〔純粋な論理学〕においては、私たちは、私たちの悟性がそのもとで行使される全ての経験的な条件、例えば、感官の影響とか、構想の戯れ、記憶の法則、習慣の威力、傾向性その他〔*1〕とかを、従ってまた偏見を生ずる源泉をも、いやそれどころか、総じて、或る種の認識が私たちにとって生じたり、或いはその認識がすり替えられる恐れのある全ての原因を、捨象する〔abstrahieren *2〕。

    *1 石川文康訳上巻では次のように訳される「感覚の影響、空想の戯れ、記憶の諸法則、習慣の力、好み、等々のことである。」(p.111)。
    *2 中山元訳2では「排除する」と訳される(p.22)

    ◇というのも、これらのもの〔原因〕は悟性が適用される或る種の事情のもとでのみ悟性に関わり、こうした事情を知るためには経験が必要だからである。

    † 原佑訳上巻、p.193参照。
    † その他に、中山元訳2、p.21〜p.22、石川文康訳上巻、p.111を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******


    T−4 No.28011
    T−1 No.27245、T−2 No.27255、T−3 No.27310

    *******

    序論 No.27245,27255,27310,28011

引用返信/返信 削除キー/
■28009 / inTopicNo.47)  純粋理性批判を読む☆彡B111
□投稿者/ pipit -(2022/12/18(Sun) 15:34:20)
    みなさま、こんにちは
    今日は寒いです!

    カテゴリー、ふぁあとぉ(; ̄ェ ̄)

    B111-
    中山元先生訳本を開いて読みます、、、あ、これ過去に書いたかなぁ…
    過去検索しまして、、、
    No2797にありました!
    以下に抜粋引用します。
    ===============
    pipitの過去投稿より
    『カテゴリー(純粋悟性概念)に関して、面白いことはですね、
    判断の枠として、
    量・質・関係・様相の大別があり、
    それぞれに3項目ありますよね?

    量なら、単一性、多数性、全体性の3つ
    質なら、実在性、否定性、限界性の3つ等

    これね、カントは3番目は、1番目と2番目を知性の働きで合わせたものだ、って言ってるんです。

    量で言えば、1.単一と判断する、2.多数と判断する、3.単一と多数の概念を合一させて全体と判断する。

    質で言えば、、、私はwikiとは言葉変えますね、
    1.実在と判断する、2.否定(不在)と判断する、3.制限(実在と不在の領域の合一の上で実在が制限されている)と判断する。

    カントの発想がすごく面白いなぁと私は感じました。
    カントの文章を引用します。

    『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p82〜83
    『第二の注。これらの四つの部門には、いずれも同じ数のカテゴリーが、すなわち三つのカテゴリーが含まれている。
    そもそも概念によるアプリオリな区分は一般に、二分割方式で行われねばならないことを考えると、その理由が疑問となる。
    さらにそれぞれの部門においては、第三のカテゴリーがつねに最初の二つのカテゴリーを結合したものとなっていることも注目される。
    たとえば全体性(総体性)のカテゴリーは、数多性を単一性という視点から眺めたものにほかならない。
    制限性のカテゴリーは、実在性に否定性がつけ加えられたものにほかならない。
    相互性は、実体が他の実体と相互に規定しあう因果性にほかならない。
    必然性は、可能性のうちで確認された現実存在にほかならない。』
    引用終了
    =============

    とりあえずこれで、B111は(済み)ということで.....(怠け)
    次はB112!

引用返信/返信 削除キー/
■27965 / inTopicNo.48)  カエル日記
□投稿者/ pipit -(2022/12/17(Sat) 12:39:14)
    ぴよのカエルch
    カエルの赤ちゃんにエサをあげたら可愛いすぎた
    https://youtu.be/prU_ycjpO80

    前に、通勤途中に、嘘みたいな小ささの黄色っぽいカエルを見つけて、
    !?となったんだけど、
    あれ、赤ちゃんだったんだなー、と今更ながら納得。
    なんやったんかなぁ、あの小ささ、と思ってたので。
引用返信/返信 削除キー/

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