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No4728 の記事


■4728 / )  Re[38]: 第五図理解における違い
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/29(Wed) 21:49:42)
    >>永井氏が良道氏を超越的と規定しているところは間違っていると思います。良道氏はまさに永井氏が定義している意味で超越論的です。一照氏も超越論的です。その超越論的の中で、三人とも違っているというのが正確でしょうね。

    上記で永井氏が定義している意味とは、同書p153ー154に書かれている内容のことです。

    > ここはknowing itselfさんと意見が分かれるところかもしれません。
    >
    > 私も永井さんや一照さんと同じく第五図、あるいは坐禅をせずとも第五図的なところに慈悲の源泉を認めることは超越的だと考えるからです。

    第五図に慈悲の源泉を認めること自体は、超越的と超越論的を分けるものではないと言えませんか?

    > 誤解をおそれずに言えば先験的に慈悲や仏性が備わっているというのはあくまでも宗教的な発想、つまり超越的発想であり、哲学とは言い難い。

    例えば良道氏は、先験的に慈悲や仏性が備わっているとは言っていないと思いますが。第五図に触れることが慈悲です。それは直接体験です。外にある慈悲や仏性を宗教的に信仰して、それを第五図に埋め込んでいるわけではありません。


    > そういう意味でカントの理性や道徳についてトートロジー的な言明は究極的には信仰によるものだと判断しています。

    カントこそが超越論的な発想の代表であると、永井氏も言っているのではないですか。


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