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No4575 の記事


■4575 / )  Re[12]: 〈私〉について 8 パニチェさんへ
□投稿者/ 時 -(2020/07/26(Sun) 18:44:55)
    初めまして。よろしくお願いします。

    > 仏教を学ばれているということですが、上記を法(ダルマ)とか仏性と呼ばずに神と呼称する理由というのはどのへんから来ますか?大乗仏教で言うところの神は天部になると思われるのですが。。。

    失礼しました。私が学びましたのは、仏教では原始仏教のみで約4000経典ほどになります。が、現在では、言葉としてはほとんど忘れかけています。その中でいうのであれば、神は梵天(大梵天)ですね。その世界は、天界、梵天界となると思いますが、これは言葉を言い換えているだけで、近代のインド聖者の表現として「真我」や「それ」なんていう表現もされているようですね。そしてその世界では、通常使っている「私」は、エゴなんていう表現でもされていますが、そのエゴに対しては自我が対比され、その境界はスペクトラム状であり、境目はないという説明をされていたように記憶しています。そして最終的に残るのは「真我・それ」等々だという理解です。そういった意味では、真我でもよいと思います。「あなたは真我である」ということですね。

    私は大乗仏教は学んではいません。少し学んだのは龍樹の空だけでしょうか。大乗の世界を学びだすと、果てしなく思考の世界が続いてしまうように思えるからです。もともとは仏陀の教えがあり、その後大乗ができ、その世界で空海や親鸞や・・とその思考の世界が広がりますので、それらを総合して仏教とは何か?を考えるのは、どうも私の性には合わなさそうです。簡単に表現しますと、仏教の原点は仏陀の教えであり、それは何を言っていたのかを学ぶのであれば原始仏典で十分だと言う認識です。(そこには、阿頼耶識も無自性空も出てきませね)

    阿頼耶識
    阿頼耶識は、大乗仏教の瑜伽行派独自の概念であり、個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識のこと[2]。アーラヤ識[2]。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされる[2][注釈 1]。

    例えば上記は、wikiでの記載ですが、ご存じだと思いますが、原始仏典では、例えば中部9経「正見経」には、六識身として眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の6つが説かれているだけですね。そしてこれが大乗になりますと、瑜伽行派独自の概念として阿頼耶識等も含めた8つに分類していきます。・・これはもともとの仏陀の教えにはない教えですね?

    同時に、仏教の原点は、衆生済度の教えではなく、個々人を速やかに苦の滅尽に導くのが仏陀の教えの原点だと思っていますので、全く否定するわけではありませんが大乗とは私は相性が良くないようです^^

    そういった意味で仏教は哲学ではないと思いますので、そこで「私とは何か?」等の事柄(定義)は説かなかったのだと思っています。きっと無記に分類されるのでしょう。

    ですので比類なき<私>を表現するのであれば、「世界、観照、気づき、真我、神、意識、それ、」等々、探究者ご本人が納得できるものでよいのではないかと思います。これらの表現しているものは、きっと一元の同じものを表現している思うからです。

    私自身があまりお話の流れが見えていないようにも思えますので、お話がずれていたら申し訳ありません。

    ご丁寧なご返信をありがとうございました。
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