□投稿者/ パニチェ -(2020/07/23(Thu) 13:25:20)
| 2020/07/23(Thu) 13:38:24 編集(投稿者)
この世界がバーチャル・リアリティであるかどうかを判定する術を私たちは持ち合わせていない。
仮にこの世界がバーチャル・リアリティであるとすれば私が見ている景色や今触れているPCのキーも、私の身体さえも仮想現実の中の存在となり実体はない。
但し、バーチャル・リアリティを体験している私の意識は唯一確かなものとして今ここに実在する。
デカルトのコギトとはこのような独我論的なものであって、さらに厳密に言えば、デカルトのコギトであって、他者(デカルト以外の)のコギトや意識のことではありえない。
読者は自分のこととしてこれを読解し理解するが、理解した時点でデカルトのコギトではなくなるというパラドックス。
言語によって一般化されることで生じる矛盾、言語化できない理由がここにある。
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