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No4111 の記事


■4111 / )  Re[25]: 青空と〈私〉>パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/17(Fri) 07:27:13)
    パニチェさん、レスありがとうございます。


    > なるほど。でも仏教者にもよるでしょうね。とくに僧侶は自分が所属する宗派の教義しか知らない人が多く、それをもとに判断するので批判的なんだと思います。
    > 唯識(法相宗)なんて“唯(ただ)識のみがある”ですから、意識だけが実在とする教義と相性がいいです。


    唯識もほんのわずかしか私は知らないのですが、たしかに似てる気はしてました。

    ノンデュアリティのティーチャーの欧米人の方々は、仏教、特に禅修行で坐禅をしたりヨガをされる方もいます。
    仏教に対して批判的な発言をされる方々は見る限りないですね。


    > ちなみに正見って八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)の一番初めにきてますけど、実は七正道の最終目標ってことらしいです。

    七正道というのがあるんですね。その最終目標が正見になっている、と。


    > 了解しました。実はですね。。。あ、後回しにします。。。

    はい。


    > ■No4081に返信(minoriさんの記事)
    >>お客さんからの質疑応答で話した内容からなんですね。
    >
    >>〈私〉が客観的世界やその内部にいる「私」を観察したり影響を与える、というのがどうして可能なのか?
    >>〈私〉が娑婆世界に対して無寄与的な存在であるかぎり、それは不可能ではないのか?
    >>という質問に答えたもの。
    >
    >>(以下、引用させていただきます。)
    >>私はまず、その二つのあいだの関係を独立の二つの実在的存在者のあいだのふつうの意味での関係と同じように扱うべきでないと言って、その後、対立する二種の答えを提示している。
    >>一つは、それは問題なく可能ではあるが、じつのところそれは、〈私〉という事実に気づいた「私」が、気づいたその事実を利用して、それとは無関係に実在している自分の心の内容をそういうものとして観察するという心理的事実であるにすぎないのだ、というものであり、もう一つは、そうではなく、じつのところはもともと(=普段でも)〈私〉だけが、この世界の外からこの世を観察しそこに影響を与えうる唯一の存在なのだが、瞑想的実践においては、通常はそこに纏わる夾雑物がすべて削ぎ落され、その事実そのものが剥きだしで明るみに出されるのだ、というものである。
    >>後者の場合には、〈私〉は無寄与的存在であるどころか、むしろ通常の客観的世界(娑婆世間)をその外から観察し結果として影響を与えうる唯一の存在であることになる。
    >>『〈仏教3.0〉を哲学する バージョンU』p280〜p281より引用。
    >
    > お手間かけました。引用ありがとうございました。
    > 永井氏もほぼ同じような問題意識を持ってるようですね。


    ということは、パニチェさんもということですか?
    実は私も、言葉としてまとめるのが難しいところを永井さんが文章化してくださった、と(勝手に)感じるくらい、けっこうガーンときました。


    > めっちゃ気になったので、買ってきました!!
    > 一緒に読み進みましょう♪ヾ(≧▽≦)ノ


    わ〜、買われたのですね。わからないところ、質問させてくださいね。

    今たしか一つ、永井さんの〈私〉がわからないと結局のところ理解できないのかもしれないけれど、どういうことなのだろう?という個所を最初に近い部分で見つけたので、次回書いてみますね。
    よろしくお願いします。
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