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Re[23]: 青空と〈私〉>パニチェさんへ
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□投稿者/ minori -(2020/07/16(Thu) 07:54:31)
| パニチェさん、レスありがとうございます。
> ノンデュアリティ(非二元)ということはアドヴァイタ(梵我一如)ですよね?
基本的にはそうです。
> どういうところが仏教の方々に評判が悪いのですか?アートマンとブラフマンを立てるところとかですかね?
ノンデュアリティ(非二元)では、気づき(意識)だけが実在で、すべてのものはそれが姿を変えてそのように見えているもの、とされます。 それだと、一人一人の人間が修行するという観点が抜けてしまうのではないか、そして、非倫理的になってしまうのではないか、という批判になると思います。
> 同意です。先入観なしに観る=正見=洞察だと理解してます。私も三冊くらいですよ。^^
なるほど。そうかもしれないです。
> そうなんですね。これは私にとって、ある意味で有難いです。 > あまり進展がなければ読むまでもないし、読もうかどうしようか迷っていました。 > 私からも質問させてもらいます。^^
質問ですか〜(;^_^A 第一、二章の途中ぐらいまではなんとか理解できるところもあるようですけど、第三章はカント哲学が絡んできて全然わからないんです。 そこはご了承いただければと思います。 > 青空と〈私〉は図式としては合致しているが、同じものかどうかはヴァージョンTの段階では永井氏は確信が持ててないように思います。 > それは良道さんの青空が自己の匂いが全くないのに対して、〈私〉は阿頼耶識みたく自己の匂いがゼロではない、あるいは存在するのは自己のみ(独我論)であるということです。 > > ヴァージョンUでは青空と〈私〉は(minoriさんが読むかぎりにおいては)同じものとして両者が合意してますか?
本文中p20〜21の内容から、表面的な判断で私は、「同じようだ」と考えたわけですが。 実際には、パニチェさんが言われているように、中身そのものが純粋に合致しているのではない、ようですね。
※以下、本文から引用させていただきます。
(永井) ええ、だっていちおう僕の考えと結合していますからね。つまらないって言ったら自分のことをつまらないって言ってることになる。(笑)
(藤田) 内山老師の図と永井さんの議論とのつなげ方に無理はないですかね。
(永井) いや、無理はないと思うんです。だって、この内山老師の図をこういうふうに解釈したのは、まさに私ですから。無理があるって言ったら、自分自身が無理になるわけで、無理かもしれないけれど、私はそうだと思います。
『〈仏教3.0〉を哲学する バージョンU』p21から引用
あとがきの永井さんの文章からの引用は、次の投稿でします。
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