□投稿者/ minori -(2020/07/13(Mon) 20:47:49)
| パニチェさん、レスありがとうございます。
> あ、そうですか。あの長いやり取りを。。。ありがとうございます。^^ > 私の返信はともかく、ゴウさんの投稿はやはり密教の行者、目が開いた人の言葉として説得力があります。
パニチェさんも、仏教、西洋哲学のどちらにも詳しくて素晴らしいです。 そして、お二人が互いに尊重しあいながらやりとりされていたのが伝わります。 長期に渡り、それが継続されたのはお二人の人徳によるものではないでしょうか。
>>ゴウさんはもちろんというか、輪廻を肯定していらして。 >>パニチェさんも輪廻については、肯定もしくは否定はしていない、ということになられますか? > > 教説的には原始仏教の十四無記を支持していますが、正直に申し上げると「比類なき先言の<私>」を探究すれば、するほど、(宗教のドグマとは全く異なる文脈で)身体的ではない〈私〉というか主体を認めざるをえなくなります。 > それが転生するような事態があるのかどうかについては全く分かりません。
なるほど。「比類なき先言の<私>」の探究により、身体的ではない〈私〉を認めざるをえなくなられた、しかし、その主体が転生するかどうかはわからない、ということなのですね。
>>ちなみに私は、輪廻のあるなしがなぜわかるのだろう?というのが素朴な疑問としてはあります。 > > 上記の疑問については最後の方のゴウさんの返信が参考になると思います。 > 私の場合は身体的ではない自己とか主体(どんな言葉を当てはめても違うのですが。。。)は、私の場合は言語と論理による見性悟道で(今のところ)あきらかになりました。
そういえば・・ゴウさんが体験談として書かれていた文章がありましたね。 人と出会った際の不思議な体験・・だったと思うのですが、ちょっと記憶が定かではなくて。 また再読してみますね。
パニチェさんは、身体的ではない自己、主体については言語と論理による見性悟道であきらかにされた、のですね。 たしか、ゴウさんにその方法を推奨されたというのを最近のご投稿でも書かれていましたね。
>>ただし、「ある」という人の考え方を否定する考えには至らないです。 >>思いたいように思うしかないのでは? と考えます。 > > 基本的には同意です。
私自身が前世の記憶が全くないというのと、自分が輪廻するかしないかには興味が持てない、もし仮にするとしても天に(?)任せておくしかないのでは?、と思ってしまいます。
パニチェさんがおっしゃる「比類なき先言の<私>」と同じものかどうかは定かではないですが、私(minori)も、身体や心ではない自分の本質のようなものが身体の中にあるように感じる、というのが続きました。 しかしそれは、身体の中にあるのではなく、制限のない閉ざされていないものなのだ、というのを知的理解で進めています。 ただ、これは伝統的な道で進んでいらっしゃる方々にはかなり評判のよくないものなので、これ以上については触れません。 クリシュナムルティなどもそこに分類されることもあるようです。 一応、自己紹介を兼ねて書いてみました。
>> レスする価値がないと思われたらスルーされてくださいね。 > > めちゃめちゃ価値あります。^^
ありがとうございます。^^ なくなったらほんと、スルーしてくださいね。
3.0の本が届いたので読み進めていきます。
|
|