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No3796 の記事


■3796 / )  Re[17]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/10(Fri) 20:13:40)
    pipitさまへ
    <引用おねがいします(本当)>ってあるから、

    【 いまや至る所で、カントがドイツ哲学に及ぼした本来の影響から眼を逸し、殊に彼が自分自らに認めた価値を巧みに滑り超えようと努めているように私には思われる。カントは何よりもまず自分の範疇表を誇りとした。彼はこの表を手にして言った。「これこそはかつて形而上学のために企てらえた最も困難なものである。」――どうか、この「られえた」という言葉を理解してもらいたい!彼は人間のうちに一つの新しい能力、《先天的》綜合判断の能力を発見したことを誇りとした。彼がこの点で自ら誤っていたとしても、やはりドイツ哲学の発展と急激な開花は、この誇りに負うものであり、また、できうべくんば更により誇らしいものをーーとにもかくにも「新しい能力」を発見しようというすべての後学の競争心に基づくのだ!しかしよく考えてみると、今がその時である。「いかにして《先天的》綜合判断は可能であるか」とカントは自問した。――そして彼は果たして何と答えたか。一つの能力によって、と。しかし残念ながら、この簡潔な言葉をもってではなく、むしろあんなに廻りくどく、勿体らしく、かつドイツ語的な深意と虚飾癖とをもってしてしたので、そういう答えのうちに潜む愉しい《ドイツ語風の愚かさ》は聞き洩らされてしまった。そればかりか、この新しい能力のために我を忘れ、しかもカントが更になお加えて人間のうちにある道徳的能力をも発見したとき、歓呼の叫びは頂点に達した。――当時ドイツはなお道徳的であって、全然まだ「現実的・政治的」ではなかったからだ。――ドイツ哲学の蜜月が到来した。テュービンゲンの神学校の若い神学者たち(若いシェリングやヘーゲルを指す)はすべて直ちにその藪の中に入り込んだ。――皆の者が「能力」を探し求めた。そして見つけ出さぬものとてはなかった。――ドイツ精神のあの無邪気で、豊かで、なお若々しい時代においては、浪漫主義という意地の悪い妖精が当てもなく笛を吹いたり、歌いまくったりしていて、当時は「発見」と「発明」との分け隔てもまだつけられなかったのだ!なかんずく「超感性的なもの」に対する能力が発見された。シェリングはそれに知的直観という名で洗礼を施し、それによって根っから信心を求めてやまぬドイツ人の衷心からの欲情に迎合した。この全く思いあがり逆(のぼ)せあがった運動は、灰色の年寄じみた諸概念の衣で思い切った装いをしていたにもせよ青春であったのだから、これを真面目に受け取り、まして道徳的な憤激(激しくいきどおること、ひどく怒ること)なんかで遇するのは、全くこの上もない不当の処遇と言わなければならない。それはとにかくとして、人々は老いた、――夢は飛び去った。額(ひたい)を撫でて考え込む時がやって来た。人々は今日といえどもなお額を撫でている。夢を見ていたのだ。それは誰よりもまずーー老カントだった。「一つの能力によって」――とカントは言った。少なくともそう思った。しかし一体これは答えであるか。説明であるか。或いは、却って問いの繰り返しにすぎないのではないか。果たして阿片はいかにして眠らせるのか。「一つの能力によって」、すなわち《催眠力》によって、――とモリエール*の作中の医者は答える。
     《そのゆえは、それに催眠の力ありて、その力に感官をまどろます性(さが)あれば。》
    しかしこのような答えは喜劇に属する。それで結局、「いかにして《先天的》綜合判断は可能であるのか」というカントの問いを、「何故にかのような判断に対する信仰が必要であるか」という他の問いによって補充すべき時である。――すなわち、われわれの如き種類の生物を保持する目的のためには、このような判断が真理として信じられなければならないことを理解すべき時である。それ故にこの判断はもとよりなお誤った判断であってもよいのだ!或いは、もっと判明に、粗(あら)っぽく、かつ徹底的に言えば、《先天的》綜合判断は全く「可能である」はずがない。われわれにはそんなものを立てる何の権利もなく、われわれの口からすれば、それは真赤な嘘の判断である。ただし言うまでもなく、その真理性に対する信仰は必要であるが、それも生の配景的光学に属する一つの前景的信仰であり、外観である。――そこで最後になお「ドイツ哲学」――望むらくは、これが引用符を要求する権利をもつことを分かってもらえようかーーが全ヨーロッパに及ぼした巨怪な影響を思えば、或る種の《催眠力》がそこに関与していたことを疑うわけには行くまい。あらゆる国々の高貴な有閑者・有徳者・神秘家・芸術家・四分の三のキリスト者および政治的非開花者たちの間では、ドイツ哲学のおかげで、前世紀から今世紀へ溢れ込んだなお優力な感覚論に対する解毒剤、要するにーー《感覚をまどろませるもの》を手に入れて、我を忘れて喜ばれたのであった・・・

    *1847−89、フランスの喜劇作家で俳優、ルイ14世の絶対王制下の貴族・僧侶の腐敗を批判した。】

    わたしが気になってるのは「一つの能力」っていうところ。
    カントは人間の或る一つの能力を”発見した”って、ニーチェは言ってるんだと思うんだけど、これはいったい何?っていうことね。




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