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No3773 の記事


■3773 / )  パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/10(Fri) 17:22:21)
    パニチェさん、こちらに写してくださってありがとうございます。


    > ありがとうございます。トピはトピズレが多く、あまりテーマについては書いてないと思います。
    > これまでYahoo!掲示板やtextream、このサイトでのレス交換で取り置きたいと思ったものは。。。
    >
    > 「Panietzsche Room > 探究 > 〈私〉の哲学」 にまとめました。
    > 「探究 > 独我論」 は主にウィトゲンシュタイン、同じく 「友の金言」 はエフニさんをはじめ「比類なき先言の<私>」に関するレス交換を保管しています。
    >
    > 気が向かれましたら、いくつか読んでみて下さい。
    > 異論、反論、質問、大歓迎です。


    いや〜、私には難しくて。。理解できる部分はごく少しでしたので、異論も反論も出えません。

    >>山下良道さんの本に、曹洞宗の内山老師という方が描かれた「第四図」「第五図」といった図での説明が載っていて、もしかしたらですが、パニチェさんの研究されているものとの関連もあるのかな、とか思いました。
    >
    > そうです、鋭い!ですね。^^
    > 山下良道氏と、藤田一照氏は、永井均氏と共著「<仏教3.0>を哲学する」というタイトルで永井均氏の独在論的な<私>について議論しています。
    >
    > 山下氏、藤田氏は、日本の伝統的な仏教を<仏教1.0>、ミャンマーで見た仏教やテラワーダ仏教を<仏教2.0>、これらをアップデートしたこれからの仏教を<仏教3.0>とし、ある種の仏教改革を試みています。
    >
    > 両名が共通しているのは坐禅や瞑想を始める前の道元禅師『普勘坐禅儀』にもある「そもそもの原点に返ってみれば」が重要であり、仏道での自己探究は、日常的な、名前や役割でない私の探究であるということを前提として仏道を始めることを推奨しています。
    >
    > 内山老師の描いた第四図(アタマが展開した世界の中に住む人間)は世間的な私を頭の中で想像した図であり、第五図(アタマの展開する根本には「わが生命」があったのだ!)から第六図(「ナマの体験」と、「ナマに体験される世界」と、それぐるみの自己)は「比類なき先言の<私>」とかぶるところはあると思いますが、正直言って「比類なき先言の<私>」と無我や真我については未だ統一できていません。
    >
    > 数年にわたってレス交換をしてもらった密教の覚者である方は真我(山下氏の言う「青空」)と同義だと述べられていますたが、パニチェの思惟はそこまで至っていないというところです。



    永井均さんの書かれた〈私〉についての文章をネット上で少し読んでみたのですが、こちらも難しくて理解できませんでした。。(とほほ。。)

    永井均さんが言われている〈私〉というのは、山下さんたち仏道の方の「名前や役割ではない私の探究」での「私」と被る部分があるのでしょうか?
    もしそうなら少しは理解していけるかもしれません。
    ん〜でもどうかな。。永井さんの文章、とにかく難しいわ〜、です。

    密教の覚者の方というのは、ヤフーに書かれていたゴウさんという方なのですね。
    パニチェさんが書かれていた文中にそのようにあるのを拝見しました。

    そうだ。パニチェさんが小五ぐらいの時に持たれたという問題意識。
    その内容を教えていただいてもいいですか。



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