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No3582 の記事


■3582 / )  minoriさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/06(Mon) 00:59:57)
    こんばんは!

    私も勉強途中で、特に時間論は難しくおもうのですが、
    とりあえず認識論的に考えたらどうかなぁと思っています。

    赤ちゃんが、お母さんの動きを認識するとき、
    一瞬の映像しか心に写ってなかったら、動き自体が認識として生じないと
    思いません?(問い詰めてるのではなく、私もわからないので、どう思います?のニュアンスです)

    赤ちゃんにとっても、感じたものが過去になるという流れがあるから、
    動きを感じるのかなあと思うんですけど、どうかなあ。

    『カント 信じるための哲学』石川輝吉さんの本から引用しますね。
    『さて、カントは、時間はまずもって心の状態を規定する原理だと言う。
    カントによれば、時間とは「継起」であり、さまざまな心の状態があらわれる土台となる
    ようなものだ。』p124

    あ!継起かぁ。
    次々に現れる、が、心の内観の形式かぁ
    仏教用語で相続とかあったような、そんなかんじかなぁ?

    心象(?)が次々現れる、ことで、時間も現れる。

    輝吉さんの文章の引用続けますね。
    『たとえば、わたしのさまざまな感情のあらわれは、わたしの心の流れという
    ひとつの流れのなかであらわれることがわかる。
    怒ったことも、悲しんだことも、嬉しかったことも、
    わたしの経験というひとつの流れのなかの出来事としてある。
    カントが言いたい時間とは、こうしたさまざまな心のあらわれの
    土台となるようなひとつの継起や流れのことで、この流れを経験が可能となる形式として
    取り出している。
    (略)
    たとえば、すぐれた哲学解説書をいくつも残した思想家の小阪修平は、
    カントにとって、空間とは、一コマ一コマの映画のフィルムのようなもので、
    時間はそのフィルムを回し、流れをつくりだすはたらきだ、と言う(『イラスト西洋哲学史』)。
    現実のなめらかな経験をつくりだすためには、フィルムは回されなくてはいけない。
    もしこうした時間という流れがわたしたちのうちになければ、
    運動や変化の認識ということがわたしたちにはなくなってしまうだろう。』
    p125


    赤ちゃんの時間観念はどうなってるのかわかりませんが
    (記憶ないのが残念!)
    それでも赤ちゃんでも少なくとも、継起という形式に感性が現れる、
    と考えたらいいのかなぁ
    と思いました。
    感じるのは究極的には『今』しかないのかもだけど、
    『今』が終わって、また『今』が起こる。
    赤ちゃんでも、ものの動きを認識してるなら、心象に過去と今がないと
    動きさえ感じることができない、感じかなあと思いました。

    ちゃんとわからなくてすみません!
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