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No2821 の記事


■2821 / )  Re[6]: 〈私〉と多世界解釈について
□投稿者/ パニチェ -(2020/05/06(Wed) 12:07:48)
    こんにちは、エフニさん。レスありがとうございます。

    No2814に返信(エフニさんの記事)
    > >過去の自分は過去と同じで<
    > 私は輪廻転生否定派で(イストラン先生ごめんなさい)、それは制作された物語の押し付けであって(これはニーチェ的な「苦難の意味」に対する、神義論・弁神論という物語のことです。)、実体としては、「わたし」のクオリアの同一性が担保されていない、否、むしろクオリアの有無でさえ不可知であることから、否定しています。

    パニチェもよく言われている意味での輪廻転生には否定的です。
    以前、転法祖師が言っていた輪廻転生の主体がDNAということであれば面白い発想だとは思いますが…。^^

    No2815に返信(エフニさんの記事)
    > ですが、今生の私の人生の過去の自分(心身含めて)も、他者と同じだとは考えたことがありませんでした。
    > 私自身の考えは、デカルトの「神の連続創造説」にインスパイアーされたもので、過去の肉体は他者と同じではあるけれども、「わたし」のクオリアは同一で、連続しているというものです。

    「今生の私の人生の過去の自分(心身含めて)も、他者と同じ」というのが以下の私のカキコだとしたら、少し違います。

    >> 多世界解釈もそうですが、よくタイムトリップを取り込んだSF映画に出てくる過去に戻って自分に会うというシーンも〈私〉無き、唯物論的な発想だと思います。
    >> 自分に瓜二つの他人のような多世界の自分や過去の自分は他者と同じで〈私〉ではない。何故、〈私〉が今ここにいるにもかかわらず、同時に他に存在することができようか、よって多世界もタイムスリップもありえないという理屈です。^^

    結論から言うと『「わたし」のクオリアは同一で、連続している』とパニチェも考えています。
    少し、パニチェの書き方が不味かったのですが、上記は他人のような過去の〈私〉なんてありえないから、過去へのタイムトリップなんてありえないという論旨でした。

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