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No2818 の記事


■2818 / )  Re[8]: 意識
□投稿者/ パニチェ -(2020/05/06(Wed) 11:29:43)
    こんにちは、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No2807に返信(knowing itselfさんの記事)
    > @目覚めている時の、精神と物質が対峙する活動の状態
    > A夢の伴う睡眠の状態
    > B夢をまったくみない完全熟睡状態

    > 現代の普通の人にとって、リアリティがあるのは@だけでしょう。A以下はお休みの状態であって、@の活動の残滓として夢という現象があるという程度。最優先は@以外ありえない。リアリティ度100は@だけ。
    > ラマナマハルシ的なアドヴァイタはこれを完全に逆転させます。
    > 上記@ABはすべて、リアリティ度100です。しかし最優先はBの「夢をまったくみない完全熟睡状態」(あくまで喩えですが)としての真我(本当の自己といっても、<私>といっても同じ)。Bからリアリティを与えられるので、@の目覚めの時の活動もリアリティをもちうる。

    > ピンとこない人も多いと思いますが、これほどの「コペルニクス的転回」はまたとないですし、感動します。

    これちょっと画期的です。目から鱗が落ちるところではありますが…。
    そうすると「夢をまったくみない完全熟睡状態」が真我として、その場合の〈私〉性というのは認めることができますか?
    完全熟睡状態は例えていうなら真っ白なキャンパス、あるいは無色透明ですから、〈私〉性も消失しているように思えるのですが…。(A)

    No2809に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 夢をまったくみない熟睡状態という喩えを出しましたが、夢をみる睡眠を貶めて、夢をすべて消去しろと言っているわけではありません。夢をみる睡眠の本体は夢をまったくみない熟睡状態であって、後者のバリエーションとしての夢をみる睡眠があるということです。現代なら、70億人以上の人間がそれぞれ個性的な夢を体験し、70億の夢はすべて等価値ともいえる。すべてリアリティ度100です。リアリティ度100の「夢をまったくみない熟睡状態」が形を変えているだけですから。
    > <私>の独在性と無数にある多世界・多宇宙論の関係を仄めかしているのではないでしょうか。

    上記の例えはよく分かりますが、(A)の疑問は残ります。

    No2808に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 眠りは、身体や精神との同一化が切れていることの喩えだと思います。身体や精神が不活性状態になってもなお現前するのが本当の自己ということでしょう。
    > 二ルヴィカルパサマーディは、喩えていうと、夢をみない熟睡状態に入った状態で、サハジャサマーディは、夢をみない熟睡状態に入っていながら、同時に目覚めているときの活動を行えるという状態だと思います。
    > ラマナ的な世界観は、夢をみない熟睡状態としての真我がそのまま現象世界でエネルギッシュに活動していることになるので、現代日本人の常識からいうと荒唐無稽かもしれませんが。

    荒唐無稽どころか画期的な智慧ですね。(A)の疑問は残りますが…。^^

    >>熟睡状態では自意識は喪失し、それはまるで死と区別がつかないし、目が覚めている状態でどんな苦に悩まされていたとしても、熟睡状態には苦を感じる自我が無いから苦もないということは以前から考えていたことですが…。
    >>ヴァラ・ニルヴィカルパ・サマーディとサハジャ・ニルヴィカパ・サマーディというのは仏教で言うところの無余依涅槃と無余依涅槃みたいなものでしょうか?
    > 仏教の無余依涅槃は、夢をまったくみない熟睡状態(ラマナの喩えとしての)に相当し、有余依涅槃は、生理現象を自覚しながらの睡眠状態になるかと思います。二ルヴィカルパとサハジャのサマーディの違いとは必ずしも対応しないのかなと。

    了解しました。

    >>あと完全な熟睡状態が、全体性が全体性を意識する空であるというところもよく分かりません。これはもう少し言葉で説明することは可能ですか。
    > 坐禅はちっぽけな自我がするものではなく、「坐禅が坐禅をする」という言い方がされますが、「全体性が全体性を意識する」も同じ事態を表現しているつもりです。
    > パニチェさん的には「全体運動が全体運動を意識する」、あるいは「全体運動が全体運動を全体運動する」でもいいかと思います。

    あぁ、なるほど。実体験(見性体験)はありませんが理屈としてはよく分かります。
    道元禅師が述べた以下と同じですね。
    「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。(現成公案)」

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