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No2783 の記事


■2783 / )  Re[6]: 空の全体性と無分別
□投稿者/ knowing itself -(2020/05/01(Fri) 08:52:04)
    おはようございます。レスありがとうございます。

    >>上記引用では、神も自己の内に現れるとされています。世界の場合とその理屈は同じでしょう。なので、現れとしての神と自己は同じものです。
    >>ラマナの捉えているような意味での神性なら、knowing itself は世界に神性を認めます。
    >
    > ここちょっと疑問なんですが、何故〈私〉に神性(仏性も含めて)が出てくるのか不思議です。
    > これはやはり至高体験のようなところからでしょうか?


    ラマナは「自己そのものが神である」と回答しています。彼にとって唯一実在するのは自己であって、それより至高な存在はそもそもありませんね。自己として顕現するものはすべて(世界や宇宙と呼ぶこともあります)これ以上ない至高の存在ということであり、それを神といい、神性を認めるのだと思います。仏性であっても同じでしょう。knowing itself は<私>をラマナのいう自己と同じだと考えているので、ラマナの回答に同意できる。そういう意味です。


    >>空とは全体性が全体性を意識している状態だと考えています。全体運動と呼ぶのもこの意味で使うのなら同意します。knowing itself にとってそれは真の自己であり、<私>でもあります。
    >
    > パニチェのイメージする全体運動とは世界は全てが繋がっており(相依性)単体で独立分離しているものなどない。これは量子力学ではヒッグス場とか非局所的長距離相関、観測問題でしょうし、相対論では時空の不二、ニュートン力学では作用と反作用などが示している世界観ではないか、生物学的にも新陳代謝とか散逸構造(自己組織化)、脳や身体性が反応する刺激やそれによって生じる意識(志向性)などなどが示唆している、と考えています。

    正しいイメージだと思います。結局、科学理論においても進化して生き残るものは、色心不二を色の側から精密に近似的に表現できている仮説なのだと思います。



    > 世界は静止しているのではなく、全てが連関しながら全体として絶え間なく運動している。そこにあるのは個別の運動ではなく唯一無二の全体運動である、というようなイメージで、かつこれが〈私〉に包括されているとイメージです。

    いわれている内容はその通りだと思いますが、knowing itself の言語感覚としては、「全体」と「運動」を結びつけることに若干抵抗があるわけです。運動というのは部分を追跡できるとき初めて浮かび上がるのであり、全体性が全体性を意識している空の状態では、運動という概念は不必要ではないかと思います。瑣末な語法の問題であって、内容的には同意です。

    >>上記の意味において、空は全体性そのものです。世界と呼ぶにせよ、宇宙と呼ぶにせよ、全体性の内に立ち現れます。部分としては虚構なので、突き詰めれば、世界や宇宙と空は全体としては同一です。
    >
    > その世界に〈私〉性を認めるなら、同意です。

    そうですね。
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