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Re[14]: 色即是空と〈私〉について
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□投稿者/ knowing itself -(2020/04/29(Wed) 10:39:20)
| レスありがとうございます。
■No2770に返信(パニチェさんの記事)
> 「ラマナ・マハルシの教え」を引用すれば以下の部分は納得できます。 > > ******* 以下、「ラマナ・マハルシの教え」より引用 ******* > P.20 私は誰か > 2 私がこれらのもの(前の回答にある五感や五つの器官や五つの生気)でないなら。私は誰でしょうか? > (回答)今述べたことすべてを「これではない」、「これではない」と否定し去った後に、ただひとつ残る自覚、それが私である。 > > P.71 経験(アヌバーヴァ) > 6 身体およびそれに生命を与える自我は、どこででも現実に無数に見ることができます。それなのにどうして自己が唯一者と言えるのでしょうか? > (回答)「私は身体である」という考えが受容されるならば、自己は多様である。この考えが消えてしまった状態が自己であり、その状態にあっては他の対象物は存在しない。自己が唯一者と見なされるのはこのためである。 > ******************** 引用終わり ******************** > > ところが以下は論理の飛躍というか、暗黙(非言語的な)の跳躍(多分、「ラマナ・マハルシの教え」では体験というか体得があっての帰結とされるところ)があり、パニチェの中では繋がりません。 > > ******* 以下、「ラマナ・マハルシの教え」より引用 ******* > P.28 私は誰か > 16 自己の本性は何でしょうか? > (回答)真理の内に存在するものは自己のみである。世界や個々人の人格、そして神は、真珠母貝の銀色の輝きのように、自己の内に現れるものである。これら三つは同時に現れ同時に消えてゆく。自己は「私」という想いが絶対にないところのものである。それは「沈黙」と呼ばれている。自己そのものが世界であり、自己そのものが「私」であり、自己そのものが神である。すべてはシヴァであり、自己である。 > ******************** 引用終わり ******************** > > 上記はパニチェとknowing itselfさんでも同意できるところと同意できないところがあり、そこにも差異があるのではないかと、これまでのレス交換から考えています。
基本的にはそうですね。同意、不同意、いずれにせよその理由にも差異があるのだと考えています。もっとも、ラマナの上記引用については前半後半とも同意しています。
> knowing itselfさんは「自己そのものが世界である」は同意できるんですよね?
まず、「自己の内に現れるのが世界だ」というここでのラマナの発言に同意しています。で、その世界は自己とは別にあるのではなく、自己が世界として顕現しているのであって、この意味において世界=自己です。厳密にいえば、自己が世界に先行していますが、現れとしての世界と自己は同じものです。
> かつ、(クリシュナとかシヴァとか)どう呼ぶかはともかく、その自己の本性である世界に神性を認めますか?
上記引用では、神も自己の内に現れるとされています。世界の場合とその理屈は同じでしょう。なので、現れとしての神と自己は同じものです。
ラマナの捉えているような意味での神性なら、knowing itself は世界に神性を認めます。
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