□投稿者/ pipit -(2020/04/22(Wed) 16:34:50)
| おくったがわさん、みなさま、こんにちは おくったがわさんの書いてくださったコメントに沿って勉強してみます
>2の「無限」は、先日リンクしたサイトでは何のことか自分には分からなかったのですが、 田さんによると、否定が述語の何処にかかるか、だとのことですね。 たぶん、否定 : I do'nt have (any) money. / 無限 : I have no money. という違いではないかと。 それで日本語では後者の言い方はしないので、「無限」はピンと来ない。<
はい、無限、ってピンと来ないですよね。 何が無限か? I have no money.の例で言えば、 moneyの他のものは、持ってる可能性は無限にある、みたいな感じで、無限判断ってなってるみたいです。 お金は持ってなくとも、来週に当たる宝クジ券持ってるかも、カエル持ってるかも、ウサギ持ってるかも、みたいな。 『否定が述語の何処にかかるか、』という説明はわかりやすいですね。
それでカントは、この無限判断からは、【制限】という概念を引き出してるみたいです。 おもしろいですよね。 (肯定判断からは【実在性】。否定判断からは【否定】という概念を引き出してるみたいです。 ちなみに、今のところのpipit私見で間違えてるかもですが、カントのロジックとしては、 人間の可能な判断形式(内容に関わらない単なる形式)をすべてを網羅した判断表を完成させ、 その判断表から純粋悟性概念を取り出し、 今度はその概念が無ければ判断表は成り立たないことを示し、 人間の知性にはこれらの純粋悟性概念が備わってるからこそ、判断の形式が成立すると説明してるのかな、と、考えています。)
横道それましたが、無限判断に話を戻しまして。。。 冨田恭彦先生は、「無限」と訳すよりは「不確定」と訳す方がわかりやすいと述べてられました。 冨田恭彦先生の文章を引用しますね。
冨田恭彦先生『カント入門講義』p175〜 『実はこの三つ目の「無限判断」、もともとラテン語で enuntiatio infinita とか、 propositio infinita とか言われていたもののことなんです。 今、propositio infinita に話を限定しますと、これ、英語にすると、
infinit proposition
です。 「インフィニット」というのは「無限の」と訳されるので、だからカントも「無限判断」と言うのだと考えられるかもしれませんが、 実のところ infinita というラテン語の形容詞は、この場合には、元来、「不確定」を意味していると考えるのがいいのです。 「確定」(finita)に対して「不確定」です。 ですから propositio infinita は、「不確定命題」と訳すほうがわかりやすいのです。
不確定命題の比較的わかりやすい例を挙げますと、「犬はウサギを噛んではいない状態にある」というのがそれです。 主語は「犬」で、はっきりしていますよね。 こういう主語のあり方を「確定」と言うのです。
ところが、述語は「ウサギを噛んではいない状態に」で、こういう述語は「確定」じゃなくて、「不確定述語」(praedicatum infinitum)と言います。
どうしてかというと、ウサギを噛んでいるんじゃないということが言われているだけですから、犬が、寝ていたり、ドッグフードを食べていたり、ひたすらテレビを観ていたり、ビールを飲んでいたり(あ、これはあまりないか)、ともかくウサギを噛んでいるのでさえなければ、なんでもOKですよね。 ですから、これと決まらなくて、「不確定」なんです。 だから、全体としてーーつまり、命題としてもーー「不確定」となり、それで「不確定命題」なんです。
けれども、「これこれではない」という言い方で言われる場合、じゃあ具体的には何なのかということになりますと、その可能性は無限にありそうですよね。
ですから、そういう否定的な言い回し を含む命題は、「無限命題」とか「無限判断」とか言われるようになったのです。』 引用終了。
ここで一旦投稿します(^O^)/
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