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Re[50]: 涅槃のリアリティ
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□投稿者/ knowing itself -(2020/04/16(Thu) 11:08:47)
| ■No2697に返信(パニチェさんの記事) こんにちは。
> レスありがとうございます。充実したレス交換ができており感謝です。
こちらこそ感謝です。
>>違和感を覚えられても当然だと思います。純然たる「意識」を涅槃と同じと捉えるのは、おそらくknowing itself 以外に採用している人間は超少数だと思われるからです。 >>もっとadvaitaには似たところがありますが。 > > 純然たる意識と〈私〉はknowing itselfさんにとって同義ですか?
同義ですね。
> 純然たる意識が〈私〉性を伴わないものなら、理屈として純然なる意識は涅槃と同じというのは理解できます。私性が無くなれば(無自性であれば)、「私の苦は滅する」わけですから、涅槃に至るという意味です。
knowing itselfの考えるところでは、苦をリアルに経験するのが<私>であるのと同様に、苦の滅するのをリアルに経験するのも<私>です。苦が根こそぎ100パーセント滅する涅槃も<私>でしょう。苦の消滅にリアル感がなければ、遠いところにある抽象的な理想に止まるのであって、政治家が唱えるスローガンのようなものになるかもしれない。
<私>のもつ唯一のリアル感の中味が苦の完全解放だけになった時が、涅槃だと理解しています。もともと<私>は無色透明で余計な付加物がないので、余計な付加物を捨てればいいというだけなのかもしれませんが、それは至難です。しかし<私>のリアル感はどんな苦の状況でも体験しています。それが希望だと思います。
> ただ先にも述べた通り「〈私〉そのものにも言語化不能な〈私〉性があるから〈私〉なんだと考えている」ことから、
ここは同意です。
>パニチェにとっては〈私〉イコール純然たる意識や涅槃にはならないんです。 > > ここのところをknowing itselfさんがどう折り合いをつけておられるのか、または折り合いがついていないのかをお聞きしたいと思っています。
ここは、一つ前の段落で述べたような理由によって、折り合いをつけているつもりです。
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