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Re[49]: 涅槃のリアリティ
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□投稿者/ パニチェ -(2020/04/15(Wed) 16:59:57)
| レスありがとうございます。充実したレス交換ができており感謝です。
■No2694に返信(knowing itselfさんの記事) >>ただ「重ね着においてだけ、他でもないこの重ね着の中でだけ<私>を経験できている」ということは、〈私〉そのものには〈私〉を経験できる要素がないということでしょうか?
> <私>を経験しているのは、重ね着ではなく、重ね着ごしの<私>そのものだと考えています。重ね着を通して<私>が経験している。 > 他方で、重ね着そのものと<私>は非イコールでしょう。重ね着という喩えを言い換えると、個体としてのknowing itselfの身体的な個性・特徴、人間的な交際関係全体、社会的な経歴、所有する物や能力、担う遺伝子情報、記憶内容などなどですね。
同意します。 >>パニチェは〈私〉そのものにも〈私〉性があるから〈私〉なんだと考えています。 >>但し、その〈私〉性は言語化できない。
> <私>の捉え方においてパニチェさんとの間で微妙な差異があるかもしれませんが、基本的には同意します。
言葉では確認しようがないのですがknowing itselfさんが述べてる〈私〉とパニチェが述べている〈私〉は同じか(厳密には原理的に同じになりえないのですが)、同じような対象について話しているような気はします。 違いがあるとすれば、〈私〉に〈私〉性を認めるか、認めないかではないでしょうか。
■No2695に返信(knowing itselfさんの記事) >>ここちょっと分かりません。 >>涅槃(苦や煩悩が滅した境地)がきれいごとでリアルから一番遠いもので、通常で言われる意識(自意識も含めた)が最もリアルに感じられるものということなら分かりますが、knowing itselfさんはその逆だと言われてのでしょうか?
> 意識もリアルだけど、涅槃もリアルということですね。ただそのリアルを完全に引き出すのは至難だと。
いえ、少し違います。パニチェの返信は。。。 涅槃はきれいごとで、リアルからは一番遠くに感じられる。 意識は(自我意識を意識すれば)リアルに感じられる。 ところが、〈私〉のリアルさを完全に引き出すのは至難だという返信です。
> 違和感を覚えられても当然だと思います。純然たる「意識」を涅槃と同じと捉えるのは、おそらくknowing itself 以外に採用している人間は超少数だと思われるからです。 > もっとadvaitaには似たところがありますが。
純然たる意識と〈私〉はknowing itselfさんにとって同義ですか?
純然たる意識が〈私〉性を伴わないものなら、理屈として純然なる意識は涅槃と同じというのは理解できます。私性が無くなれば(無自性であれば)、「私の苦は滅する」わけですから、涅槃に至るという意味です。
ただ先にも述べた通り「〈私〉そのものにも言語化不能な〈私〉性があるから〈私〉なんだと考えている」ことから、パニチェにとっては〈私〉イコール純然たる意識や涅槃にはならないんです。
ここのところをknowing itselfさんがどう折り合いをつけておられるのか、または折り合いがついていないのかをお聞きしたいと思っています。
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