□投稿者/ pipit -(2020/04/04(Sat) 17:10:35)
| パニチェさん、こんにちは
> なるほど。ピピットさんがどのように考えておられるのかはよく分かりました。 > 以下は興味本位からの質問です。 > 「多くの流れが存在するであろう世界の中で、何故この流れが他の誰でもなくピピットさんなのか?」所謂、意識の超難問「何故私は私なのか?」については解消されますか? > ちなみに〈私〉でも意識の超難問は解決されません。むしろ意識の超難問は回答を目的とした問いではなく、〈私〉を浮き上がらせるための手段や思考のプロセスだと(今のところ)考えるに至ってます。<
言葉の設定などが噛み合ってないかもですけど、 今の思考を書きます。
パニチェさん、肉体が無くなったら〈私〉は全体性に溶けるかもって想像することもできる、みたいに おっしゃったでしょう? 全体性に溶けるということは、全体性から出てくることも可能と私は考えていて、 そのスイッチが、煩悩的な衝動エネルギーだというようなイメージを持っています。
〈私〉があるから経験が生まれるし、 〈私〉は経験の根本システムなんだけど、 そのシステムの個としての起動条件が、システムを起動させたい渇愛、みたいに今の所考えています。
〈私〉のうしろに、もし、全体性があったなら、そこが涅槃なように、今の所は 考えていますけど、全然違うこともありと思っています。
> 脳科学的には禅定によって(禅定や瞑想の方法によって微妙に違うらしいのですが)扁桃体の活動が低下し、視床下部や自律神経系(戦うか逃げるかの判断の源)の働きも鈍るようです。一方、ひとつの対象に注意が固定され前頭前野の活動が活発になり、頭頂野の活動が減ることによって身体地図を担当する領域が静まり身体感覚がなくなる。身体の境界に関する意識が低下することによって自己が外部にも流れ出し周囲のものを組み込んでいき、自分が内側だけでなく外側からもじかに体験しているように感じるらしいです。そうなると塊としての自己は融解するかもしれませんね。 > > ドライに言えば悟りは脳のある状態によって生み出される変性意識だと思っています。但し、変性意識状態で体験する世界こそが本来の実相である可能性もあるかもしれません。そうなると普段は脳(特に左脳)に騙されているってことになりますね。<
そうですね、私は、変性意識状態のほうが実相にちかいのかも、なんて思います。 変性意識よりも実相はもっと混沌としてるか、シンプルか、違う可能性もあると考えてるんですけど、とにかく今はわからないことだらけです。 生きていくために、左脳で整理して有利に行動できるように、高次な情報処理・加工システムをつくってるイメージです。
ところで、パニチェさん、質問いいでしょうか。
私は、怖いという感情や、不安という感情を感じるのですが、 パニチェさんは、自分の中に出る感情を、どのような態度で取り扱かわれますか? 〈私〉と感情の関係なども含めて、パニチェさんはどのように考えられてるのか、 よかったら書ける範囲で教えてもらったら嬉しいですm(_ _)m
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