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No2484 の記事


■2484 / )  点と線
□投稿者/ rest -(2020/03/13(Fri) 23:22:15)
    2020/03/13(Fri) 23:30:30 編集(投稿者)

    松本清張の『点と線』ではないけれども「点」と「線」を別の視点で考察してみた。人生を点とみるか線とみるか。線とみると人生は物語になってくるが、それはポストモダンの大きな物語(普遍性=共通性)ではなく小さな物語(個性)としての側面がある。人生における経験は皆異なるという意味がある。経験は記憶から成り立っている。しかし認知症における記憶障害は物語の喪失であるが、はたして自己を失ったであろうか。記憶がなくても自己は存在する。線としての自己ではなく点としての自己だ。瞬間に存在する自己、これから何もない未来に対して意志決定する自己、つまり未来を選択する自己、あるいは過去が実在しないがゆえに過去という因果性にとらわれずに意志決定ができる自己。つまり自由な自己。量子決定論のような決定論的な人間観ではなく、現在という瞬間つまり点としての自由意志をもった存在。普遍的でありかつ個別的である存在。フロイト的な超自我やイドとも違う自我という存在は共同性と個性の絶えざる葛藤の中でバランスを心掛ける存在。そのような自我が自己の本体だと考える。
    遺伝子に記載されていない源氏物語を読む自己とは遺伝子とは別のものではないか。つまり脳細胞と自己とは違うということだ。脳損傷で記憶を失っても自己は存在する。仮に意識を失っても自己は存在し、記憶がないだけだ。私は脳死に疑問をもっている。脳の死は自己の死といえるのか。死んだ経験のないものがどうして自己がないと証明できるのか。実はカント的不可知というべきかもしれない。
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