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No2467 の記事


■2467 / )  Re[60]: 探究中テーマ
□投稿者/ Flora -(2020/03/08(Sun) 18:30:30)
    こんにちは

    >一般的に言われるところの自我や自意識、思考やエピソード記憶など、自己連続性は、言語とともに形成されていると思います。
    >“物心がつく”時期というのは「思い出」がはじまる時期ですから、言語習得(言語的記憶とされるエピソード記憶が可能となり蓄積されはじめる時期)と一致するでしょうし、ボディーランゲージや動物の鳴き声など他者や他の個体とのコミュニケーションに用いる手段も含めて言語とするなら、自我や自意識、所謂“自他の境界認識”というのは言語とともに明瞭になっていくグラデーション的なものだと考えています。

    そうですね。自己連続性というのは連続させる主軸となる「自己」がなければ成立しませんよね。ではその自己つまり私はどこからくるのか? 私はやはり言語による思考があってそれで成立するような感じがします。

    >で、ここからが現在探究中の内容なのですが・・・
    これまでの文章(以後も同じですが)は誰にも共通する自我や自意識について語っていることになり、〈私〉を言い表せていません。少なくとも「比類なき先言の<私>」というのは上記の言語によって形成される自我や自意識以前に存在する対象と考えています。

    >言語を習得する以前から存在している主体のことで、〈私〉にだけしかありえない存在のことです。パニチェ(〈私〉や私と紛らわしいので以後パニチェと表記します)はその存在に関しては何よりも確実に存在する、あるいは存在そのものとも言える「今、ここにあるもの」と確信?しています(それが現実としてあります・・・B)。
    >永井均氏はこの言語によって語ろうとする対象が変質してしまう状況を「独在と頽落の終わることなき拮抗運動」と呼びます。

    >ところが、永井均氏や「〈仏教3.0〉を哲学する」共著者である禅宗の僧侶藤田一照氏や山下良道氏、さらに私とYahoo!掲示板やニーチェクラブで数年に渡ってこのテーマで議論していた密教の修行者ゴウさんは、「比類なき先言の<私>」と真我(全体)が同じであると語っています。(パニチェはこの主張・・・Aには未だ違和感があります)

    Aは、おそらくクリシュナムルティのいう「基底」(Ground)、アリストテレスのいう「不動の動者」と一致するような気がします。

    ただ愚さんは「基底」の奥にもっと何かがあるような気がする・・・と以前おっしゃっていたと思うんですが、パニチェさんのおっしゃるのはこれでしょうか? BではなくおそらくAαに該当するような・・・

    >もしFloraさんの表記される「自他のない私」が他の誰でもなくFloraさんだけに特化される原因というか対象について述べられているなら、パニチェの「比類なき先言の<私>・・・B」と同じような対象でしょうし、梵我一如の真我のことであれば・・・Aと同じです。

    私は実戦経験もなく頭の中でしか構築できないのですが、先に書いたことと重複してしまいますが、やはり言語がなくては思考できず、すなわち経験をつなぎ合わせる自己は形成できないのじゃないかと考えています。つまりA派です。


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