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Re[29]: 超越論的論理学・序文
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□投稿者/ pipit -(2019/08/27(Tue) 22:25:29)
| おくったがわさん、、、、
私が、ややこしいから、ま、いっか、と手抜きした箇所を、話題にもってくるなんて、、、
天使 かもぉ 〜〜〜
誰にも読んでもらえてないかもだし、誰にもばれないだろうと、、、 ややこしいから、飛ばそっ、と、理解を放棄して、しれっと(略)としたところを、、、
勉強し直して返信書きます !
天使ですぅ〜(^人^)
というわけで、今日は、、、、おやすみなさい!!(寝るんか〜い)
おつかれさまです ☆彡
■No1752に返信(おくったがわさんの記事) > ■No1733に返信(pipitさんの記事) > (拒否されるので英文引用は割愛します) >>さて、それ(超越論的分析論の内容)はただ知性の経験的使用の判断の基準とのみ、なるべきものでしかないのに、 >>私たちがそれを、 >>一般的かつ無制限な知性の働きの道具として使用しようとして、 >>対象一般について、純粋知性(悟性)のみで総合的に判断し、主張し、規定しようとするとき、 >>この種の論理は誤用される。 > > 論理学は、経験の脈絡づけが正しい方法で為されているかどうかという判断基準(妥当な形式)を与える。 > 一方、純粋知性のみで(経験抜きで)、総合(綜合)的な判断をするために用いられるなら誤用である。 > みたいなことかと思うのですが、どうでしょうか。 > もしもそうなら、現代の論理学と通じることを言っているように思われます。 > > 経験抜きで(論理だけでは)知識の拡張はできないと言ってしまうと簡単ながら、 > カントはアプリオリな知識の拡張がある、と主張しているとのことなので > 経験抜きの知識の拡張(綜合)はあるとカントは考えるが、それは(カントにおいても)論理によって為されるのではなく、、 > カントにおいても分析的(論理的)と綜合的の対立的区別は成立してることになるのかな。 >
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