| knowing itselfさん、こんばんは。 「哲学の雑談 7」に継続ありがとうございます。
> マタイによる福音書 25・29ー30
> 持っていない人は持っているものまで取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。 > タラントンはお金ではなく、福音そのものの喩えと考えるべきですが、「外の暗闇に追い出されて泣きわめいて歯ぎしりする役に立たない僕」というのは、ペテロに代表される弟子を名宛人にしているとも読めます。マタイのこの後の展開からいって、むしろそう読む方が迫真的です。イエスを三回否定し、泣いたペテロ。みんな逃げだして暗闇を体験した。
そうですね。 まるでペテロが自分のようにも感じます。 神に甘えてばかりで言葉も守らずにいるダメダメ感。
「タラントンはお金ではなく、福音そのものの喩え」という点が、さすがと思いました。
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