| 小生は小学生期の前半を埼玉県の浦和市(現さいたま市)で過ごした。そのときに
習った女教師は実はあまり評判のいい人物では無く、多くの父兄や管理職から批判
されていたらしい。実際彼女は小生が小6のときに教師をやめている。それから
25年後にひょんなことから小生は彼女と再会する。
小4になると同時に小生はやはり埼玉県南部にあるY町(現W市)に転居した。こ
こでの最初の担任はそれなりのインテリではあったが、芸術家肌で気難しい面があ
リまた妙なこだわりを持っていた。「給食を残すな」「食べ物に好き嫌いがあって
はならない」小生の食への拘りと全くもって食べ物に好き嫌いが無いという特質?
はこの教師の影響によるものが大きいと思われる。
彼はそれまでにもたれた教師とは違って小生の高い学力(と知能の高さ)を認め
た。しかし小生があまり友達づきあいをしないことに批判的で、要するに彼の好み
の生徒ではないと表明した。
さてこの頃父は会社内でやや出世したこともあってか小生に以前にもまして絶大
な権力を振るい始め小生は明らかに「父原病」にかかりつつあった。それに気がつ
くのは実にそれから30年後「父が死んでしばらくしてから」である。
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