| パニチェさんへ
>独在論とは<存在>と存在の差異のことであり、その意味で独我ではなく<独在>であるということ
>スクリーンや〈私〉が自他不二であるなら、この差異はどこから生じるのか、逆説的に言えばこの差異が直接経験である限りは不二のスクリーンなどありえないのではない?むしろそちらの方が幻想ではないか?とさえ思うのです。
<存在>と存在の差異ということでしょうか?永井さんは、世界を在らしめるという問題と超越論的世界構成の問題は別だと言っていますが、世界を在らしめるというのが独在性ですね。直接経験がこのスクリーンだけであって、他には事実としてもスクリーンがありえないのであれば、まさに不二そのものだと思います。スクリーンの外には文字通り何も存在しえない、写っているすべてが一枚の不二ではないでしょうか。
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