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豹の斑点
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□投稿者/ flora -(2020/10/27(Tue) 16:03:43)
| 田秋さん、おはようございます。
>《謙虚であること》 何かを知りたいと思い研究するとき、一番大事なことは謙虚であることだと思います。最初は自分がずぶの素人だとわかっていますから謙虚にひたすら勉強します。そのうち知識も増え以前わからなかったことも理解できるようになり、少しは自信がついてくる訳ですが、そこで自信と過信が曖昧になることがあります。 >自分の経験からいうと勉強すればするほどゴールが遠くなることはよくあることです。今まで見えてなかった諸問題が見えてくるからです。問題が見えてくること自体進歩の証なのですが、以前よりゴールは遠くにあることに気づいたということは最初勉強を始めた時の謙虚さよりもさらに謙虚にならざるをえません。 >何故謙虚であることがいいのかというと、周りからの情報をシャットアウトしないからです。一旦受け入れ吟味してから取捨選択をしても遅くありません。他人の意見は有難いものです。自分の背中は直接みることはできませんが、人は容易に私の背中を見ることができます。この比喩は色んな示唆を含んでいます。 >指摘を吟味し正しければ相手に感謝し自分を改めます。先ほど取捨選択と書きましたが、私は捨てずに頭の倉庫にしまっておきます。後になって指摘の真意が理解できることもあるからです。 >「過ちて改めざる、是を過ちという」とは論語に出てくる孔子の言葉です。孔子はさらに >「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」とも言っています。
私も本当にそう思います。自分の意見に固着することは、自分の知識を狭め、ゆがめます。ところで日本には「三つ子の魂百まで」という諺がありますよね。 英語で言うならば、「A leopard can’t change its spots.」つまり豹は斑点を代えることは出来ない、三つ子でも豹でも, 持って生まれたものは代えられないということなのでしょう。この豹の言い伝えどこから来たのかわからなかったのですが、旧約の『エレミア書』13章23、ジェームス王バーションの聖書では「Can the Ethiopian change his skin, or the leopard his spots? then may ye also do good, that are accustomed to do evil.」
https://biblehub.com/kjv/jeremiah/13.htm
日本語訳は「エチオピヤびとはその皮膚を変えることができようか。ひょうはその斑点を変えることができようか。もしそれができるならば、悪に慣れたあなたがたも、善を行うことができる。」 https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC13%E7%AB%A0
反語で表現して、「悪に慣れた人々は善になれない」ということでしょうか。辛辣ではあるけれど、半分くらいはあたっているんじゃないかと思います。
>人は間違えるのです。
仰る通りですね。質問が来てもその根拠である資料の提示できない「そうおもいまちゅ」的投稿で開き直る方は、ディベートには不向きですね。モノローグが向いているのでしょう。
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