| 自己レスです。
> ただ、後期ウィトゲンシュタインは、すべては言語ゲームだといっているようです。ウィトゲンシュタインの生そのものも言語ゲームということではないでしょうか。永井均さんの第五図解釈、第四図解釈は、後期ウィトゲンシュタイン的な「すべては言語ゲームだ」という理解を背景においているとすれば、いろいろと腑に落ちます。
参考までに、「ウィトゲンシュタインはこう考えた」鬼界彰夫p255から引用します。小見出しは「言語と生の不可分性」
引用開始
このように我々は言葉を介して自らの人生を編み上げてゆく。それゆえ人といういきものにおいて、生きることと話すことは不可分であり、我々は話すことによって、話すことにおいて、生きるのである。この意味で言語と生は不可分である。それが、「言語を想像することは生の形を想像することである」(『探究』§19)という言葉の意味するところであろう。人間における言語と生の不可分性という概念こそ『探究』の言語観の核心なのである。この概念を支える「人生という織物の型としての言語ゲーム」こそ、ウィトゲンシュタインの思考の展開において現れた最も進化した言語ゲーム概念だということができる。
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