| パニチェさん、横失礼します。
> 生を含めた全てが言語ゲームであり、これをもって語り尽くしたとすれば上の考察はでてこないように思う。上記は言語ゲームの限界と言語批判を含みつつ語り得ないことは語らずして示すものであることを暗黙のうちに示している。 > > なんかほんと> 生を含めた全てが言語ゲームであり、これをもって語り尽くしたとすれば上の考察はでてこないように思う。上記は言語ゲームの限界と言語批判を含みつつ語り得ないことは語らずして示すものであることを暗黙のうちに示している。 > > なんかほんと中論に似ている。 > そういえば黒崎宏著「ウィトゲンシュタインから龍樹へ」という書籍もあります。
パニチェさんとしては、何が、あるいは、どこが『中論に似ている』と感じられたのでしょうか。
<縁起の法>の「縁起」とは、<相互依存関係>を意味し、これは<空の思想>にいう「空」と同義で、<相互依存関係>のため<実体がない!>のであり、「縁起」すなわち「空」とは、<意味上のつながり>というか<意味のネットワーク>のようなもので「実体が無い」ということでしょうか。
これは、後期ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」による言葉とは、<言語の使用上のつながり>のルールがあるだけで、ルールが変われば当然、意味も違ってくる。
このように「言語ゲーム」とは、「実体が無い」ことを意味するものと、龍樹も「言語ゲーム」という言葉は使っていませんが考えていたのかなと思ったりしますが、如何でしょうか。
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