| ただ。自我というものを考えた際、「他者と自分を区別」したものが自我であることは間違いないと思いませんか? (この質問が、今、新たにたーぼーさんにこちらからしたいものです。この部分について、教えてください。) 他者=自分 であるなら、自我とは言わないですよね。
自我がどのようにして形成されるかというのを考えてみると、そこには思考が関わっているというのはあると思います。 他者から「あなたは○○だよ」とか幼少の頃に言われ、そうした記憶が溜まっていき、自分でも自分について思考する中で、自我という自己イメージとも言っていいものが形成されていきます。 この文脈の中で、自我と思考が繋がってくるのだ、というのをminoriは先の文章で書きたかったのですが、上手く伝わらなかったようです。 (一つには私の表現が上手くなかったことも原因の一つかもしれません。)
もう一つ質問したいのですが。 たーぼーさんは、普段の生活の中で、何か仕事をされながら、または、誰かと会話をしながらとかの際に、自分の思考・感情の動きについていつも気づいていらっしゃいますか? 気づいていよう、という努力なしに自然に気づいている、気づいていることが自然だ、という状態にいらっしゃいますか?
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