| ■No8332に返信(たーぼーさんの記事)
たーぼーさん、レスありがとうございます。
> それはそうでしょうね。これはその通りだと思います。
はい。 >> 自我がどのようにして形成されるかというのを考えてみると、そこには思考が関わっているというのはあると思います。
> ただここは、ありのままに理解するべきだと思います。 > 私自身のことを考えると、仕事などで大勢の人に囲まれている時は自我の塀が高くなるように感じてます。 > やはり心の何処かで自分を防御しようとしてるんだと思います。
なるほど。ご自分で気づいていらっしゃるんですね。
> その代わり、家に帰って回りも安全な環境でリラックスして、自己の探求などに集中してるときは全く自我の塀を感じません。 > そういう時は、思考の何処に自他の区別する働きがあるのかという感じです。
まぁ、自分一人だけとか、気心の知れた人と一緒にいる時は、普通誰でもリラックスしてますよね。 逆に、例えば、仕事その他での関係で、苦手だったり嫌悪してしまう相手には、防御しようとするのも普通だと思います。 その防御が過剰になったり、逆に攻撃するに回ったりとなると、人間関係の問題に発展したり、自分の中での苦に繋がりますね。
>> 他者から「あなたは○○だよ」とか幼少の頃に言われ、そうした記憶が溜まっていき、自分でも自分について思考する中で、自我という自己イメージとも言っていいものが形成されていきます。 >> この文脈の中で、自我と思考が繋がってくるのだ、というのをminoriは先の文章で書きたかったのですが、上手く伝わらなかったようです。 >> (一つには私の表現が上手くなかったことも原因の一つかもしれません。)
>> もう一つ質問したいのですが。 >> たーぼーさんは、普段の生活の中で、何か仕事をされながら、または、誰かと会話をしながらとかの際に、自分の思考・感情の動きについていつも気づいていらっしゃいますか? >> 気づいていよう、という努力なしに自然に気づいている、気づいていることが自然だ、という状態にいらっしゃいますか? > これは私もあります。気づいているということは大事だと思います。
そうですね、大切です。
> でも何か作業などに没頭してるときは、忘れてます。
なるほど、そうなんですね。 運転とかの危険を伴う場合は、気づいているかどうかということより、とりあえずはやりやすいままでいるのがいいと思います。 安全第一ですから。
> 誰かと会話しながらでも、常にとまでは言わないけど、大体は気づいてますね。 > 最初は努力してたけど、今は自然に気づいているという感じです。
そうなんですね。相手との会話に注意を向けつつ、自分の思考・感情の動きにも気がついている、というのが大体はそうだ、ということですね。
> これが阿弥陀の本願に繋がってくる大事なポイントだと思います。 > この場合の気づいているというのは、自己の内に気づいているという意味だと思うんですが、阿弥陀の本願は外にも気づくんです。 > 阿弥陀の本願の流れに上手く乗れると、神の書いている脚本が分かるような気分になります。
このあたりについては、すみません、私はよく分かりません。
たーぼーさんは、誰かと会話しているような時には大体は気づいていらっしゃる、ということなので、そのうち、その「気づき」の力が強くなっていなれると思いますよ。 できるだけいつも気づいていようとする、それによってどんどんとそうなっていきますから。 そうして育っていく「気づき」の力というのは、自我分別によるものとはまた違い、批判・命令を離れてただ気づいている意識(気づき)です。 そうなると、努力なしにいつでも、眠っている時以外は気づいていられるようになります。 そして、いつか、それがほんとの主体なんだな、という実感になると思います。
思考・感情を自分自身だとがっちりと思っているうちは、自分を大切にしたい思いがどうしても強いですので、見たくない自分が出てくると人のせいにしたり、見ないふりをして押し込めてしまいがちなんですね。 でも、「気づいているもの、気づき」が主体だと分かってからは、そうしたことが次第になくなっていきます。 恐れがなくなっていき、自分に嘘もつきにくくなります。
たーぼーさんは、私が思うには、真っすぐすぎる人で、狡さや意地悪さはない人だと思います。 これからも、普段の生活の中で気づき続けていけば、必ず進展がある方だと思います。
探究の時間を取ってじっくりと思考する、というのももちろん大切ですけれど、 普段の生活の中で気づき続ける、というのもかなり重要です。 (それが実は大切な瞑想です。ルパートスパイラ、クリシュナムルティの言う瞑想とはそれです。)
たーぼーさんには、気を悪くされるかもしれないと思うようなことも書いてきましたが、そうされずに読んでいただいてありがたく思っています。
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