(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■8363 / inTopicNo.85)  ボヘミアンラプソディー
  
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/25(Sun) 21:50:49)
引用返信/返信 削除キー/
■8362 / inTopicNo.86)  Re[7]: (削除)
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/25(Sun) 21:48:45)
    No8359に返信(minoriさんの記事)
    > そうだ、これ、迷ったけど書いてみます。
    >
    > たーぼーさんは先日、パニチェさんのトピに何か難しそうな西田哲学みたいな
    > 文章を載せてらっしゃいましたね。
    > 私はそれ読んでも、言わんとするところが分からなかったので、載せたたーぼー
    > さんなら分かるのだろう、と思い質問したけれど、答えてはもらえなかった
    > ですよね。
    > あれ、ほんとは分からないけど載せてみただけなんじゃないですか?
    >
    > 「気づき」が主体だとはっきりと分かり、それが定着すれば、そういう行動は
    > しなくなりますよ。
    > 見栄を張らなくなるからです。
    >
    > レスはお気遣いなく。^^


    あれが阿弥陀の本願なんですよ。
    西田は自分の人生の全半生で黒板と向かい合ってきたから、後半生は黒板を背に立つことが出来たんです。

    怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう、気をつけるべきだろう。深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれているのだ」
    フリードリヒ・ニーチェ

    西田は怪物になってしまったんです。

    そう考えると苦悩の人生すら無駄ではなく、意味があると思います。
    私は今は人はどういう道を行こうが最終的には人生の全肯定になってしまうと思ってます。
    ただ全肯定出来るまでに死ななければですが。。。


    やべ、またニーチェ語録から引用してしまった(汗)



引用返信/返信 削除キー/
■8361 / inTopicNo.87)  たーぼーさん へ
□投稿者/ minori -(2020/10/25(Sun) 21:29:50)
    以下は、その際のやりとりです。


    □投稿者/ たーぼー -(2020/10/20(Tue) 16:57:07)
    No8054に返信(minoriさんの記事)
    > ■No8044に返信(たーぼーさんの記事)
    >
    > たーぼーさん、レスありがとうございます。
    >
    >

    >>理解されないかもしれないけど、別に理解されなくても構わないので一応載せておきます。
    > たーぼーさんは、その文章が何を言いたいのか、分かるんですよね?
    > たーぼーさんの言葉でよかったら説明してもらえませんか。
    > 無理にはいいですけど。^^


    こんにちわ。いや、理解されないと思っても一応書いただけですから。
    Minoriさんは、minoriさんが納得出来ることをやってください。


    世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
    その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。
    ひたすら進め。
引用返信/返信 削除キー/
■8360 / inTopicNo.88)   たーぼーさん へ
□投稿者/ minori -(2020/10/25(Sun) 21:23:41)

    そうだ、これ、迷ったけど書いてみます。

    たーぼーさんは先日、パニチェさんのトピに何か難しそうな西田哲学みたいな
    文章を載せてらっしゃいましたね。
    私はそれ読んでも、言わんとするところが分からなかったので、載せたたーぼー
    さんなら分かるのだろう、と思い質問したけれど、答えてはもらえなかった
    ですよね。
    あれ、ほんとは分からないけど載せてみただけなんじゃないですか?

    「気づき」が主体だとはっきりと分かり、それが定着すれば、そういう行動は
    しなくなりますよ。 見栄を張らなくなるからです。

    以下に、たーぼーさんが載せられていたものを持ってきてみました。

    きちんと説明された場合には、こちらから謝罪しますよ。^^
    いかがですか?

    ・・・・・
    https://1000ya.isis.ne.jp/1086.html
    引用

    それまで西田は主観と客観が分かれる以前の「純粋経験」に哲学の出発点を求めていた。それが『善の研究』である。しかしここにきて西田は人間の意識のはたらきというものは、主観が客観を「包む」のだと考えるようになった。自分という「見る」ものには、その自分を含む「無の場所」のようなものが介在していると考えた。
     これは大胆だった。たとえばカントの哲学では主観が客観にはたらきかけて客観を構成していく作用が認識であるというふうにとらえていた。それを西田は、主観が客観を包む「包摂関係」こそが認識であるととらえ、意識とはそのような包摂関係を反映して映し出す「場所」なのではないかと見なしたのである。

     西田は、何を掴んだのか。まず、主観が客観を包むということを、一般が特殊を包むというふうに判断した。 たとえばコップを認知するばあい、われわれはコップでないものやコップに似たものなどを次々に認知していくなかで、このコップという特殊をガラス製品や日用品といった一般概念のうちに措く(措定する)ようにしているわけである。だからコップをコップとして識別できる。
      ということは、われわれは一般によって特殊を包むなんらかの能力や向きというものをもっているはずなのである。しかもその一般概念にはさまざまなレベルやレイヤーがあって、これを高次にも低次にもすることができる。コップの上には容器が、容器の上には器物が、その上には物質という概念が待っている。アリストテレス以来、この高次の終点にある一般概念はカテゴリーというふうに規定された。
     では、そのように特殊と一般に包摂関係があると見えるのはなぜなのか。「特殊(客観)は一般(主観)に含まれる」というふうに決めたからである。「物質はコップである」と言うより、「コップは物質である」と言ったほうが理解しやすくなると感じたからだ。これはカテゴリーの包摂関係としては便利であろう。けれども、そのようにコップや物質を認識している自分との関係はどうか。そうしたカテゴリー関係が成立するのも、自分がその用語を発するときに区分けしたからであるにちがいない
引用返信/返信 削除キー/
■8359 / inTopicNo.89)  (削除)
□投稿者/ -(2020/10/25(Sun) 21:15:05)
    この記事は(投稿者)削除されました
引用返信/返信 削除キー/
■8358 / inTopicNo.90)  たーぼーさんへ
□投稿者/ minori -(2020/10/25(Sun) 21:04:18)
    No8351に返信(たーぼーさんの記事)

    > MINORIさん、これ三回目(笑)

    何がでしょう? まぁ、大切なことでもないようなので、
    教えてくれなくてもいいです。

    > 自分が通ってきた道だから全て分かってます。
    > どうか今後は他の方に教えてあげてください(笑)

    自分が通ってきた道だからすべて分かってます、というのもなんだか
    信用はできないなぁ。(笑)  まぁ、いいか。

    後は、たーぼーさんがやっていくだけです。^^
引用返信/返信 削除キー/
■8353 / inTopicNo.91)  Re[5]: たーぼーさん
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/25(Sun) 18:57:04)
    No8348に返信(knowing itselfさんの記事)
    > ■No8333に返信(たーぼーさんの記事)
    >>思考と本体である気づきについて、ルパートスパイラは次のように説明します。
    >>
    >>芝居上の人物とそれを演じる俳優本人の関係。シェークスピアのリア王と名優ジョンスミス。ジョンスミスが「気づき」にあたる。
    >>
    >>ジョンスミスがリア王を演じているのであって、ジョンスミス以外に誰かがいるわけではない。同じ一人のジョンスミスがリア王をやっているわけです。ただ、リア王はリアルな存在ではなく、演じられた虚構の役割でしかない。リア王が思考です。思考は確かにものすごく大切だが、リア王をやめてもジョンスミスという一人の人間は生き続ける。
    >>
    >>knowing itselfさん、お久しぶりです。
    >>これはその通りだと思いますけど、だから芝居上の人物を辞めればいいと思うんです。
    >>芝居上の人物を辞めれば、思考と心が別だという錯覚は消えると思います。
    >>ただこれは家では簡単なんだけど、仕事などで外に出ると難しいだよなぁ。
    >
    > お久しぶりって、まだ2日くらいしか経っていないですよ(笑)
    >
    > 芝居と本人の二重性に気づけば大したもんです。普通は芝居上の人物がイコール本人と固く信じ込んでいます。トラウマは全部、芝居上の人物として抱え込んだものですが、それを完全に消去することはなかなか困難です。


    完全に消去するのは難しいですね。
    特に人を殺してしまったような強烈なトラウマはどうしても二の足を踏んでしまいます。
    だから私は蛇じゃなくて亀に乗って帰ることにしました。
    実家が浄土真宗ってことは、何か全てが神の脚本通りって感じがしてます。
引用返信/返信 削除キー/
■8351 / inTopicNo.92)  mylife
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/25(Sun) 18:50:25)
    MINORIさん、これ三回目(笑)
    自分が通ってきた道だから全て分かってます。
    どうか今後は他の方に教えてあげてください(笑)


    ビリー・ジョエル
    https://m.youtube.com/watch?v=gJSTF8s2J7k
引用返信/返信 削除キー/
■8348 / inTopicNo.93)  たーぼーさん
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/25(Sun) 18:42:47)
    No8333に返信(たーぼーさんの記事)
    > 思考と本体である気づきについて、ルパートスパイラは次のように説明します。
    >
    > 芝居上の人物とそれを演じる俳優本人の関係。シェークスピアのリア王と名優ジョンスミス。ジョンスミスが「気づき」にあたる。
    >
    > ジョンスミスがリア王を演じているのであって、ジョンスミス以外に誰かがいるわけではない。同じ一人のジョンスミスがリア王をやっているわけです。ただ、リア王はリアルな存在ではなく、演じられた虚構の役割でしかない。リア王が思考です。思考は確かにものすごく大切だが、リア王をやめてもジョンスミスという一人の人間は生き続ける。
    >
    > knowing itselfさん、お久しぶりです。
    > これはその通りだと思いますけど、だから芝居上の人物を辞めればいいと思うんです。
    > 芝居上の人物を辞めれば、思考と心が別だという錯覚は消えると思います。
    > ただこれは家では簡単なんだけど、仕事などで外に出ると難しいだよなぁ。

    お久しぶりって、まだ2日くらいしか経っていないですよ(笑)

    芝居と本人の二重性に気づけば大したもんです。普通は芝居上の人物がイコール本人と固く信じ込んでいます。トラウマは全部、芝居上の人物として抱え込んだものですが、それを完全に消去することはなかなか困難です。
引用返信/返信 削除キー/
■8341 / inTopicNo.94)  たーぼーさんへ
□投稿者/ minori -(2020/10/25(Sun) 16:44:31)
    No8333に返信(たーぼーさんの記事)

    > ただこれは家では簡単なんだけど、仕事などで外に出ると難しいだよなぁ。


    横レスです。辞められますよ。

    やめるには、 この一つ前の投稿にも書いたように、思考・感情ではなくて、
    それに気づいている「気づき」が本質、主体なんだ、と、はっきり理解
    できればそうなっていきます。
    そうなれば、正当な時以外、過剰に自分を防御したり演出する必要もなく
    なるからです。
    ようは、「私」が薄れていけば必要がなくなる、ということ。

    「私」が主体なのではなく、「気づき」が主体なんだと分かると、ということです。
    そうすれば辞めようとしなくても自然に辞めてます。

    これ、ほんとですよ。 私がまさにそうでしたし、そのようにしてきた人たち
    というのは山ほどいます。

    3.0の山下さんの言説も、こうした系統でしょう。
    青空としてのわたし。 青空=気づき です。
    (ただ、山下さんご本人の体験されたものは深いですから、それを普通に生活
    しながらすると言うまでは無理ですけど。)
引用返信/返信 削除キー/
■8338 / inTopicNo.95)  たーぼー さんへ
□投稿者/ minori -(2020/10/25(Sun) 16:31:35)
    No8332に返信(たーぼーさんの記事)

    たーぼーさん、レスありがとうございます。


    > それはそうでしょうね。これはその通りだと思います。

    はい。

    >> 自我がどのようにして形成されるかというのを考えてみると、そこには思考が関わっているというのはあると思います。

    > ただここは、ありのままに理解するべきだと思います。
    > 私自身のことを考えると、仕事などで大勢の人に囲まれている時は自我の塀が高くなるように感じてます。
    > やはり心の何処かで自分を防御しようとしてるんだと思います。

    なるほど。ご自分で気づいていらっしゃるんですね。

    > その代わり、家に帰って回りも安全な環境でリラックスして、自己の探求などに集中してるときは全く自我の塀を感じません。
    > そういう時は、思考の何処に自他の区別する働きがあるのかという感じです。

    まぁ、自分一人だけとか、気心の知れた人と一緒にいる時は、普通誰でもリラックスしてますよね。
    逆に、例えば、仕事その他での関係で、苦手だったり嫌悪してしまう相手には、防御しようとするのも普通だと思います。
    その防御が過剰になったり、逆に攻撃するに回ったりとなると、人間関係の問題に発展したり、自分の中での苦に繋がりますね。

    >> 他者から「あなたは○○だよ」とか幼少の頃に言われ、そうした記憶が溜まっていき、自分でも自分について思考する中で、自我という自己イメージとも言っていいものが形成されていきます。
    >> この文脈の中で、自我と思考が繋がってくるのだ、というのをminoriは先の文章で書きたかったのですが、上手く伝わらなかったようです。
    >> (一つには私の表現が上手くなかったことも原因の一つかもしれません。)

    >> もう一つ質問したいのですが。
    >> たーぼーさんは、普段の生活の中で、何か仕事をされながら、または、誰かと会話をしながらとかの際に、自分の思考・感情の動きについていつも気づいていらっしゃいますか?
    >> 気づいていよう、という努力なしに自然に気づいている、気づいていることが自然だ、という状態にいらっしゃいますか?

    > これは私もあります。気づいているということは大事だと思います。

    そうですね、大切です。

    > でも何か作業などに没頭してるときは、忘れてます。

    なるほど、そうなんですね。 運転とかの危険を伴う場合は、気づいているかどうかということより、とりあえずはやりやすいままでいるのがいいと思います。 
    安全第一ですから。

    > 誰かと会話しながらでも、常にとまでは言わないけど、大体は気づいてますね。
    > 最初は努力してたけど、今は自然に気づいているという感じです。

    そうなんですね。相手との会話に注意を向けつつ、自分の思考・感情の動きにも気がついている、というのが大体はそうだ、ということですね。

    > これが阿弥陀の本願に繋がってくる大事なポイントだと思います。
    > この場合の気づいているというのは、自己の内に気づいているという意味だと思うんですが、阿弥陀の本願は外にも気づくんです。
    > 阿弥陀の本願の流れに上手く乗れると、神の書いている脚本が分かるような気分になります。

    このあたりについては、すみません、私はよく分かりません。

    たーぼーさんは、誰かと会話しているような時には大体は気づいていらっしゃる、ということなので、そのうち、その「気づき」の力が強くなっていなれると思いますよ。
    できるだけいつも気づいていようとする、それによってどんどんとそうなっていきますから。
    そうして育っていく「気づき」の力というのは、自我分別によるものとはまた違い、批判・命令を離れてただ気づいている意識(気づき)です。
    そうなると、努力なしにいつでも、眠っている時以外は気づいていられるようになります。
    そして、いつか、それがほんとの主体なんだな、という実感になると思います。

    思考・感情を自分自身だとがっちりと思っているうちは、自分を大切にしたい思いがどうしても強いですので、見たくない自分が出てくると人のせいにしたり、見ないふりをして押し込めてしまいがちなんですね。
    でも、「気づいているもの、気づき」が主体だと分かってからは、そうしたことが次第になくなっていきます。
    恐れがなくなっていき、自分に嘘もつきにくくなります。

    たーぼーさんは、私が思うには、真っすぐすぎる人で、狡さや意地悪さはない人だと思います。
    これからも、普段の生活の中で気づき続けていけば、必ず進展がある方だと思います。

    探究の時間を取ってじっくりと思考する、というのももちろん大切ですけれど、
    普段の生活の中で気づき続ける、というのもかなり重要です。
    (それが実は大切な瞑想です。ルパートスパイラ、クリシュナムルティの言う瞑想とはそれです。)

    たーぼーさんには、気を悪くされるかもしれないと思うようなことも書いてきましたが、そうされずに読んでいただいてありがたく思っています。
引用返信/返信 削除キー/
■8336 / inTopicNo.96)  太陽の彼方へ
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/25(Sun) 16:00:51)
    阿弥陀の本願の大船に乗って太陽の彼方へ


    https://m.youtube.com/watch?v=5GLYr4pEKT4


    乗ってけ~乗ってけ~乗ってけてけてけ♪太陽の彼方へ

    みんな乗るかい?
    船長はお前だ、お前が舵を取れ~ お前がいけ~お前が走れ~♪
    羅針盤から目を離すなよー、お前がしっかり舵を取れ♪


    この場合の羅針盤が阿弥陀の本願だね



    https://m.youtube.com/watch?v=5GLYr4pEKT4
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -