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■8498 / inTopicNo.85)  クリシュナムルティにおける観察
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/29(Thu) 15:55:10)
    No8486に返信(minoriさんの記事)

    >>おはようございます。
    >>
    >>クリシュナムルティは思考と思考者との同一化が葛藤の根源といっているようです。
    >>個人という実存的な主体が思考するというのは、彼にとってはナンセンスなのかな。
    >
    > 思考というものはそれがどんな種類のものであっても、観照される側のものである、ということでいいのでしょうか。

    クリシュナムルティによると、どんなものであれ思考は条件づけを超えることはない、思考は条件づけそのもの、でしょう。思考は例の喩えだと映画内容です。
    一方で、クリシュナムルティは観察するものは観察されるものである、観察における主客分離を超えて観察だけになるとき葛藤はやむといいます。クリシュナムルティの用語を例の喩えに嵌め込むとすれば、観察=スクリーンだと思います。

    > このように考えるというか、観ることが可能な時、思考による心理的苦悩からは離れやすくなりますね。



    > 最近思うのは・・・問題なのは結局は、結果として主体的になってるかどうかなのかな、ということなんです。
    > つまり、永井さんのような独我論的主体性と、「わたし」であることにより第六図を生きる、というような道。
    > 主体的に生きるというその部分での一つの仕上がり(?)においては、そんなに変わりはないのかな、という気がしなくもないんです。

    そうかもしれません。

引用返信/返信 削除キー/
■8499 / inTopicNo.86)  Re[24]: クリシュナムルティにおける観察
□投稿者/ minori -(2020/10/29(Thu) 16:15:56)
    2020/10/30(Fri) 12:13:06 編集(投稿者)


    No8498に返信(knowing itselfさんの記事)

    レスありがとうございます。
    No8486の私の投稿ですが、まとまらない内容だなと後になって思い、編集して内容がだいぶ変わってしまってます。
    No8498のknowing itselfさんのご投稿がなされているのと同じ時間に、私もちょうど、自分のNo8486の編集をしていて間に合いませんでした。
    その旨、お伝えしますね。 ややこしいことしてすみませんでした。
     

    > >>クリシュナムルティは思考と思考者との同一化が葛藤の根源といっているようです。
    > >>個人という実存的な主体が思考するというのは、彼にとってはナンセンスなのかな。
    >>
    >>思考というものはそれがどんな種類のものであっても、観照される側のものである、ということでいいのでしょうか。
    >
    > クリシュナムルティによると、どんなものであれ思考は条件づけを超えることはない、思考は条件づけそのもの、でしょう。思考は例の喩えだと映画内容です。

    ああ、そうでした。前に、クリシュナムルティに詳しい方の話でそれが出ていたのですが、すっかりと忘れてしまっていました。。


    > 一方で、クリシュナムルティは観察するものは観察されるものである、観察における主客分離を超えて観察だけになるとき葛藤はやむといいます。クリシュナムルティの用語を例の喩えに嵌め込むとすれば、観察=スクリーンだと思います。

    スクリーンだけになる、ということですね。
    ただ観る、批判判断を離れただ観る、ということ。

    思考はただ流れてくるもので自分で考えているわけではない、というのははっきりと分かるのですが、葛藤に関してはまだ出る時はすごい出ます。。
引用返信/返信 削除キー/
■8501 / inTopicNo.87)  Re[18]: 引用は
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/29(Thu) 18:19:18)
    No8490に返信(おくたがわさんの記事)
    > ■No8450に返信(たーぼーさんの記事)
    >
    > おはようございます、横から失礼します。
    >
    >>田秋さん、はじめまして。
    >>
    >>私が見たサイトはもっと厳しく書いてあります。
    >>URLは大丈夫みたいなので、貼ります。
    >>
    >>https://topcourt-law.com/intellectual-property/copyright_low_quote
    >
    > 田秋さんの紹介されていたサイトの説明と比べて特に厳しくはなく、同じことが書いてあると思いますよ。
    >
    > 今回の件に関係するのは、
    > 公開されている著作物(例のサイトも該当)は、作成者の同意を得なくても、部分引用できること。
    >
    > 転載していい条件
    > *******
    > https://topcourt-law.com/intellectual-property/copyright_low_quote
    > 『 1 そもそも著作物ではない
    > 2 著作者の許可を得ている
    > 3 引用
    > 4 転載が許される場合(著作権法32条2項、39条、40条)
    > 「引用」に限らず、この4つのいずれかにあてはまる場合には、著作権侵害になりません。』
    > ********
    >
    > 4つのうち、どれか一つを満たしていれば転載していい。
    > よって「引用」であるならばOK。
    >
    > ただし、引用であるためのルール・条件を守っている必要がある。
    > その条件は両サイトともに説明してあります。
    >
    > 今回の件では、引用である旨と出所を明記し、『』や > を使って、どこからどこまでが引用なのかが分かる形にしておけば、問題なかったところです。
    > 付け加えると、ニーチェクラブは作成者に迷惑がかかるような公序良俗に反する掲示板ではないですし。
    >
    > 実際には、あのままでも法律違反で咎められることはないと思いますが、場合によって権利侵害が生じることを防ぐためのルールなので形式的にでも守るべきと。


    おくたがわさん、こんばんわ。
    確かに引用のミスでしたね。出典ははっきりさせるべきでした。
    だからしっかり出典させ明確にすれば、別に引用自体は悪くないということが分かってよかったです。
    引用した部分ははっきり分かるようにする。
    今後は気をつけます。

引用返信/返信 削除キー/
■8504 / inTopicNo.88)  そうは思いません>おくたがわさん
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/29(Thu) 20:07:20)
    2020/10/31(Sat) 07:37:32 編集(投稿者)

    No8490に返信(おくたがわさんの記事)

    > 実際には、あのままでも法律違反で咎められることはないと思いますが、場合によって権利侵害が生じることを防ぐためのルールなので形式的にでも守るべきと。

    痴漢をしても被害者が告訴し裁判でもって最終的な判決が確定しないかぎり、違法行為(現行犯)は咎められることはないと述べてるのと同じです。

    実際には無断転載をした時点で権利侵害は生じている。無断転載元のサイトを特定し示した上で、編集でもってルールにのとった引用として掲載しないなら、管理者権限で削除する旨を伝えた上で処理した。さらに…

    刑法にかかる行為は法律どうのこうの以前に行為者の倫理道徳が問題となる。
    著作権法にかかる無断転載は法に抵触する云々以前に常識やマナーが問われて当然。

    レス交換の文脈も無視し、あたかも自分の見解や意見であるかの如く、サイトの記述を無断転載する行為がまともとは思えませんし、レス交換相手にも無礼です。

    自分の書いたものを無断であたかも投稿者の意見や見解であるかの如くどこかで投稿されれば「なにしとんねん、こいつ」となるし、またそのようなレスを返されても「お前どっからパクっとんねん」と少なくとも私は軽蔑します、

    著作権法以前の問題。


    ***以下、ニーチェクラブINFOより***

    違法行為や法に抵触するようなカキコ、意味不明や商業目的のカキコなどは管理人の判断によって削除し、即アク禁にします。これについての抗議は一切受け付けません。

    【また法に抵触さえしなければ許されるというぬるい感覚も嫌いです。】

    統一したルールや作法を設定する気は毛頭ありません。ルールとか規則、法律によって行為が制約されるのではなく、暗黙のルールやマナーを自然体で身に付けている人や自律する人を尊重したいですし、そこで自然発生的に生じるルールやマナーに私も従いたいと思います。

    **********************************

    ニーチェ的な表現を借りればトップダウンで下される奴隷道徳(法令順守)よりも、自らが自らを律する君主道徳(行動規範)を重視する実験場とするという意です。
引用返信/返信 削除キー/
■8523 / inTopicNo.89)  「場所的論理と宗教的世界観」
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/30(Fri) 20:05:04)
    こんばんは。

    引用開始

    我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』

    引用終わり

    西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。

引用返信/返信 削除キー/
■8527 / inTopicNo.90)  Re[20]: 「場所的論理と宗教的世界観」
□投稿者/ minori -(2020/10/30(Fri) 21:06:48)
    2020/10/31(Sat) 07:38:59 編集(投稿者)

    No8523に返信(knowing itselfさんの記事)
    > こんばんは。
    >
    > 引用開始
    >
    > 我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』
    >
    > 引用終わり
    >
    > 西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。


    > 我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。

    これは、スクリーンという言葉で表されるものと同じものを指していると考えていいのでしょうか?

    スクリーンに映し出されるものではなく、スクリーンそのものが文中の「意識的自己を超えたもの」に当たるのだと思うのですが、いかがでしょう。

    そして。第五図=スクリーンでもあるということで。

    ・・・・・
     スクリーン、スクリーン言ってるけどそれ何?って思って見てる人もいるかもしれないので、この投稿で書いてみます。
    私たち・世界が存在していると見えていることの基盤、がスクリーンの意味です。
    基盤は変わらず主体(言い表すに主体という言葉を使えばですが。)として在り、そこに世界・私たちが見えている、ということを言い表すにスクリーンという言葉を使っています。

引用返信/返信 削除キー/
■8551 / inTopicNo.91)  Re[21]: 「場所的論理と宗教的世界観」
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/31(Sat) 10:46:03)
    No8527に返信(minoriさんの記事)
    > 2020/10/31(Sat) 07:38:59 編集(投稿者)
    >
    > ■No8523に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>こんばんは。
    >>
    >>引用開始
    >>
    >>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』
    >>
    >>引用終わり
    >>
    >>西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。
    >
    >
    >>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。
    >
    > これは、スクリーンという言葉で表されるものと同じものを指していると考えていいのでしょうか?
    >
    > スクリーンに映し出されるものではなく、スクリーンそのものが文中の「意識的自己を超えたもの」に当たるのだと思うのですが、いかがでしょう。


    西田幾多郎はもちろんスクリーンという語を使っていませんが、自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んでいます。そして、「我々の心は最後に於いて唯、映す鏡と考えられる」といっています。「映す無」が西田哲学の独自性だと思います。


    > そして。第五図=スクリーンでもあるということで。

    第五図=スクリーン=絶対無の場所。西田幾多郎的にはこうなるでしょう。

    > ・・・・・
    >  スクリーン、スクリーン言ってるけどそれ何?って思って見てる人もいるかもしれないので、この投稿で書いてみます。
    > 私たち・世界が存在していると見えていることの基盤、がスクリーンの意味です。
    > 基盤は変わらず主体(言い表すに主体という言葉を使えばですが。)として在り、そこに世界・私たちが見えている、ということを言い表すにスクリーンという言葉を使っています。
    >
引用返信/返信 削除キー/
■8555 / inTopicNo.92)  Re[22]: 「場所的論理と宗教的世界観」
□投稿者/ minori -(2020/10/31(Sat) 11:48:21)
    No8551に返信(knowing itselfさんの記事)

    knowing itselfさん、レスありがとうございます。

    > >>引用開始
    > >>
    > >>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』
    > >>
    > >>引用終わり
    > >>
    > >>西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。
    >>
    >>
    > >>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。
    >>
    >>これは、スクリーンという言葉で表されるものと同じものを指していると考えていいのでしょうか?
    >>
    >>スクリーンに映し出されるものではなく、スクリーンそのものが文中の「意識的自己を超えたもの」に当たるのだと思うのですが、いかがでしょう。
    >
    >
    > 西田幾多郎はもちろんスクリーンという語を使っていませんが、自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んでいます。そして、「我々の心は最後に於いて唯、映す鏡と考えられる」といっています。「映す無」が西田哲学の独自性だと思います。

    自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んだ、ということですね。


    >>そして。第五図=スクリーンでもあるということで。
    >
    > 第五図=スクリーン=絶対無の場所。西田幾多郎的にはこうなるでしょう。

    はい。

    西田幾多郎の文章は見る限り難しすぎて、私が自分一人で読んだとしても理解できる部分はごくわずかだと思います。
    というわけで、自分で本を買って読もうとはとてもとても。。。
    純粋経験と主客未分のあたりはなんとか理解できますが・・・。
引用返信/返信 削除キー/
■8580 / inTopicNo.93)  Re[23]: 「場所的論理と宗教的世界観」
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/31(Sat) 21:36:21)
    No8555に返信(minoriさんの記事)
    > ■No8551に返信(knowing itselfさんの記事)
    >
    > knowing itselfさん、レスありがとうございます。
    >
    >>>>引用開始
    >>>>
    >>>>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』
    >>>>
    >>>>引用終わり
    >>>>
    >>>>西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。
    > >>
    > >>
    >>>>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。
    > >>
    > >>これは、スクリーンという言葉で表されるものと同じものを指していると考えていいのでしょうか?
    > >>
    > >>スクリーンに映し出されるものではなく、スクリーンそのものが文中の「意識的自己を超えたもの」に当たるのだと思うのですが、いかがでしょう。
    >>
    >>
    >>西田幾多郎はもちろんスクリーンという語を使っていませんが、自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んでいます。そして、「我々の心は最後に於いて唯、映す鏡と考えられる」といっています。「映す無」が西田哲学の独自性だと思います。
    >
    > 自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んだ、ということですね。

    カント以降の哲学者は、カントの「物自体」を乗り越えるチャレンジをせざるをえなくなったといわれますが、「絶対無の場所」にもそういうところがあります。

    西田幾多郎はカントよりはわかりやすいと思います。


    > >>そして。第五図=スクリーンでもあるということで。
    >>
    >>第五図=スクリーン=絶対無の場所。西田幾多郎的にはこうなるでしょう。
    >
    > はい。
    >
    > 西田幾多郎の文章は見る限り難しすぎて、私が自分一人で読んだとしても理解できる部分はごくわずかだと思います。
    > というわけで、自分で本を買って読もうとはとてもとても。。。
    > 純粋経験と主客未分のあたりはなんとか理解できますが・・・。
引用返信/返信 削除キー/
■8676 / inTopicNo.94)  minoriさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/11/03(Tue) 21:52:30)
    minoriさんへ

    私、正直、楽しんで貴方様の論読んでますよ。

    「呪術」の部分に興味津々。
引用返信/返信 削除キー/
■8682 / inTopicNo.95)  Re[25]: minoriさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/11/03(Tue) 23:54:22)
    minoriさんへ

    「野生の思考」の呪術的思想の所が非常に興味があるんですよね。

    IQの高い犯罪者っているじゃないですか?

    例えば、飛び級で進学してしまうような人間は、
    どこまで飛ぶの?と思うわけです。
    知能が高い人ほど、厭世観を持っていますよね?

    言葉にすると難しいですが、そういう事です。


引用返信/返信 削除キー/
■8686 / inTopicNo.96)  マジモンさんへ
□投稿者/ minori -(2020/11/04(Wed) 08:48:50)
    No8682に返信(マジカルモンキーさんの記事)

    マジモンさん、おはようございます。

    > 「野生の思考」の呪術的思想の所が非常に興味があるんですよね。

    レヴィストロースの『野生の思考』での呪術的思考というのは、呪術という言葉から現代人がイメージしやすいおどろおどろしいものとはちょっと違うものなんです。
    科学的思考は、仮説を立ててそれを検証していくという方法に際して、最初は具体物から入ったとしても、数値化されるものに信憑性を置き検証されていくに対して、
    未開といわれた地の原住民の思考(呪術的思考)は、身の回りの具体物(自然)から、目についたものを直感的に取り入れて考えていく方法だと、レヴィストロースはしたようなんです。
    呪術的思考では、具体物をどんどん増やしその具体物を通してのみ思考していく、という特徴があるとしたようです。

    ただ、レヴィストロースは、呪術的思考をけして劣ったものとだけ考えていたのではないんですね。
    そのあたりについては、これから読んで進めていこうと思っています。

    > IQの高い犯罪者っているじゃないですか?
    >
    > 例えば、飛び級で進学してしまうような人間は、
    > どこまで飛ぶの?と思うわけです。
    > 知能が高い人ほど、厭世観を持っていますよね?
    >
    > 言葉にすると難しいですが、そういう事です。

    IQの高い犯罪者、いると思います。
    完全犯罪をしそうですね。

    知能が高い人ほど厭世観を持つ、というのについては、どうかな。。。
    知能と厭世観を持つか否かの相関関係があるとは、あまり思えないかな。
    どんな環境にいるか、性格傾向、物の観方、セロトニンの量とか。
    そのあたりが関係してくるように思えるかな。

    このあたりについてのマジモンさんの思うところについて、また、マジモンさんの自論でもいいので、このトピで書いてみたいことがあればそうしてくださいね。


    『野生の思考』の読解はこれからも少しずつしていきますよ。^^
    新しい知識を知るのは楽しいし、その知ったことを記録する文章を作ってみるのも脳の活性化にいいと思うから。

    マジモンさんみたいに、ほとばしるように文章が書けたら、書くということが楽しさで一杯なんだろうな、とマジモンさんの文章を拝見して思うことがあるよ。
    私は表現力のなさに苦心するところが多々あるけれど、それでも、ネットで文章を書き始めた昔(もう、昔という言い方が合ってるかな)よりはだいぶマシになってるかな、と自分では思ってます。


引用返信/返信 削除キー/

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