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■8422 / inTopicNo.49)  Re[15]: 受肉
  
□投稿者/ minori -(2020/10/27(Tue) 16:30:55)
    No8420に返信(たーぼーさんの記事)
    > 討論が終わったとき、悪口は敗者の道具になるのだ。
    >
    >
    > - ソクラテス -

     思い込みもここまでくると救いがたいわ。^^

引用返信/返信 削除キー/
■8421 / inTopicNo.50)  (削除)
□投稿者/ -(2020/10/27(Tue) 16:27:58)
    この記事は(投稿者)削除されました
引用返信/返信 削除キー/
■8420 / inTopicNo.51)  Re[14]: 受肉
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/27(Tue) 16:20:46)
    討論が終わったとき、悪口は敗者の道具になるのだ。


    - ソクラテス -
引用返信/返信 削除キー/
■8419 / inTopicNo.52)  Re[8]: 受肉
□投稿者/ minori -(2020/10/27(Tue) 16:12:24)
    No8409に返信(knowing itselfさんの記事)

    > >>ルパートスパイラは受肉の意味もさすがによくわかっているようです。
    > >>すごい洞察力だとあらためて感心します。
    >>
    >>
    >>おはようございます。
    >>
    >>「気づき」が受肉したものが私たち人間であるともいえる、というようなことでしょうか。
    >
    > ルパートスパイラの「気づき」は、本人がいうように、キリスト教文化圏ではGodに当たります。寸分も違わず同じだと理解しているはずです。

    動画でも神という言葉を用いて語っていらっしゃいますね。
    存在の基盤、存在の根拠のような意味を持つものとして、神と「気づき」は共通だからなのでしょうね。

    神という言葉に馴染みがないと、ルパートさんの動画を観てもその言葉が出てくると違和感を感じる方もいるかもしれませんが、非二元への理解が深まれば、いろんなものへの隔たりも少なくなってくるので、気にならなくもなるのかもしれません。
    私は気にはならないですね。

    > キリスト教の受肉とは、三位一体の神である子が100パーセント我々と同じ人間として受胎し、誕生して生育し、最後は受難を経て十字架にかけられて死んだ。このことをいいます。

    はい。
引用返信/返信 削除キー/
■8417 / inTopicNo.53)  Re[13]: 受肉
□投稿者/ minori -(2020/10/27(Tue) 16:05:21)
    2020/10/27(Tue) 16:20:14 編集(投稿者)

    No8414に返信(たーぼーさんの記事)
    > ■No8413に返信(たーぼーさんの記事)
    >>眼 耳 鼻 舌 身 意の六根で意だけが意を見るんです。
    >>それ以外は一つなんだけど、意だけが意を見る。
    >>その意を見る意が自意識なんです。
    >>それが第六図を終了すると無くなる
    >
    > 一見すると振り出しに戻るように思えるが、ソクラテスのいう知の知が備わっているんです。
    > 道理の盧を濾しているんです。
    > しかし、ここからが本当の修行で[灯火の消えて何処にゆくやらん 旭となりて明日を照らさん]
    > 日はまた昇る。もう一度お日様として光輝く世界に出ていかなきゃいけないんです。

    これも見て来たようなこと書いてらっしゃいますけど・・・
    ご自分がそうでないのに、見て来たみたいに勢いづいて書いてるのがへんだな〜と。

引用返信/返信 削除キー/
■8415 / inTopicNo.54)  Re[12]: 受肉
□投稿者/ minori -(2020/10/27(Tue) 16:00:56)
    No8413に返信(たーぼーさんの記事)
    > 眼 耳 鼻 舌 身 意の六根で意だけが意を見るんです。
    > それ以外は一つなんだけど、意だけが意を見る。
    > その意を見る意が自意識なんです。
    > それが第六図を終了すると無くなる

    こんにちは。

    違う話題だから、レスしますよ。
    あの〜、読んでちょっと爆笑しそうなんですけど。( ´艸`)

    なんで上に書いてあることがたーぼーさんに分かるんですか?
    まさか、自分が第六図終了したから、とか言わないですよね。

    たーぼーさんは、饒舌にいろいろ語りはするけど、それは言葉上だけであって、
    読むと支離滅裂な部分が多いし、悪いけど自分のところのものとしては、たいして分かってはいないと思う。

    まず、そこを自覚したほうがいいですよ。なんか、悟った気分でいるみたいですが。

    さてさて、こう書けばはい、返ってくる言葉は予測できますけどね。
    「自分の心配をしてください。」「深層心理を見なさい。」あたりでしょうね。

    なぜ、たーぼーさんが何も分かってないか教えますね。
    knowing itselfさんが書かれた内容を吟味しての返答にはなってなくて、自分の
    言いたいことだけ思い込みで書いているから。
    そういうのがたーぼーさんは多いです。
    自分では気づかないんでしょうね。
引用返信/返信 削除キー/
■8414 / inTopicNo.55)  Re[12]: 受肉
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/27(Tue) 15:57:08)
    No8413に返信(たーぼーさんの記事)
    > 眼 耳 鼻 舌 身 意の六根で意だけが意を見るんです。
    > それ以外は一つなんだけど、意だけが意を見る。
    > その意を見る意が自意識なんです。
    > それが第六図を終了すると無くなる

    一見すると振り出しに戻るように思えるが、ソクラテスのいう知の知が備わっているんです。
    道理の盧を濾しているんです。
    しかし、ここからが本当の修行で[灯火の消えて何処にゆくやらん 旭となりて明日を照らさん]
    日はまた昇る。もう一度お日様として光輝く世界に出ていかなきゃいけないんです。
引用返信/返信 削除キー/
■8413 / inTopicNo.56)  Re[11]: 受肉
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/27(Tue) 15:43:50)
    眼 耳 鼻 舌 身 意の六根で意だけが意を見るんです。
    それ以外は一つなんだけど、意だけが意を見る。
    その意を見る意が自意識なんです。
    それが第六図を終了すると無くなる
引用返信/返信 削除キー/
■8412 / inTopicNo.57)  Re[10]: 受肉
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/27(Tue) 15:39:36)
    No8411に返信(knowing itselfさんの記事)
    > ■No8410に返信(たーぼーさんの記事)
    >
    > >>>>ルパートスパイラは受肉の意味もさすがによくわかっているようです。
    > >>>>すごい洞察力だとあらためて感心します。
    >>>>
    >>>>
    >>>>おはようございます。
    >>>>
    >>>>「気づき」が受肉したものが私たち人間であるともいえる、というようなことでしょうか。
    > >>
    > >>ルパートスパイラの「気づき」は、本人がいうように、キリスト教文化圏ではGodに当たります。寸分も違わず同じだと理解しているはずです。
    > >>
    > >>キリスト教の受肉とは、三位一体の神である子が100パーセント我々と同じ人間として受胎し、誕生して生育し、最後は受難を経て十字架にかけられて死んだ。このことをいいます。
    >>
    >>おはようございます。
    >>だからこれが大死一番絶後再臨だと思いますよ。
    >>精進し続けてダルマになりきったところで、自意識が死ぬ。
    >
    > 禅の大死一番絶後再蘇とキリスト教の受肉の違いもみないといけませんね。キリストには煩悩、自我、自意識というものは無いんです。生まれた瞬間から死ぬまで皆無。精進や自力で無くすとか殺すのではない。自我がないのに受難を経て十字架につけられるというのが最大のポイント。
    >
    > 十字架につけられて自我が死ぬのではなく、そもそも始めから自我が100パーセントまったくないのに十字架の上で人間としての痛みや苦しみ、絶望を体験し尽くした。
    >
    >
    >>内山図の第六図終了。
    >>そこからは思考だけですよ。
    >
    > 最終的には思考はなくなるんです。俳優と芝居の役柄の喩えの代わりに、裸の人体と衣服の関係にしましょうか。思考は衣服です。思考=衣服。衣服は人体を覆うためにあります。衣服を着たときの体感が思考です。衣服自体に生命があるわけではありません。最後の最後は裸の人体だけです。衣服はいずれ脱ぎ捨てられ廃棄されるしかない。


    だからそこが自覚的一般者と叡知的一般者の違いだと思いますよ。
    これは場の違いであって、どっちが正しいということはないです。
    それは浄土宗もあり、禅宗もありということです。
引用返信/返信 削除キー/
■8411 / inTopicNo.58)  Re[9]: 受肉
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/27(Tue) 15:13:13)
    No8410に返信(たーぼーさんの記事)

    >>>>ルパートスパイラは受肉の意味もさすがによくわかっているようです。
    >>>>すごい洞察力だとあらためて感心します。
    > >>
    > >>
    > >>おはようございます。
    > >>
    > >>「気づき」が受肉したものが私たち人間であるともいえる、というようなことでしょうか。
    >>
    >>ルパートスパイラの「気づき」は、本人がいうように、キリスト教文化圏ではGodに当たります。寸分も違わず同じだと理解しているはずです。
    >>
    >>キリスト教の受肉とは、三位一体の神である子が100パーセント我々と同じ人間として受胎し、誕生して生育し、最後は受難を経て十字架にかけられて死んだ。このことをいいます。
    >
    > おはようございます。
    > だからこれが大死一番絶後再臨だと思いますよ。
    > 精進し続けてダルマになりきったところで、自意識が死ぬ。

    禅の大死一番絶後再蘇とキリスト教の受肉の違いもみないといけませんね。キリストには煩悩、自我、自意識というものは無いんです。生まれた瞬間から死ぬまで皆無。精進や自力で無くすとか殺すのではない。自我がないのに受難を経て十字架につけられるというのが最大のポイント。

    十字架につけられて自我が死ぬのではなく、そもそも始めから自我が100パーセントまったくないのに十字架の上で人間としての痛みや苦しみ、絶望を体験し尽くした。


    > 内山図の第六図終了。
    > そこからは思考だけですよ。

    最終的には思考はなくなるんです。俳優と芝居の役柄の喩えの代わりに、裸の人体と衣服の関係にしましょうか。思考は衣服です。思考=衣服。衣服は人体を覆うためにあります。衣服を着たときの体感が思考です。衣服自体に生命があるわけではありません。最後の最後は裸の人体だけです。衣服はいずれ脱ぎ捨てられ廃棄されるしかない。
引用返信/返信 削除キー/
■8410 / inTopicNo.59)  Re[8]: 受肉
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/27(Tue) 09:38:09)
    No8409に返信(knowing itselfさんの記事)
    > ■No8406に返信(minoriさんの記事)
    >>■No8401に返信(knowing itselfさんの記事)
    > >>ルパートスパイラは受肉の意味もさすがによくわかっているようです。
    > >>すごい洞察力だとあらためて感心します。
    >>
    >>
    >>おはようございます。
    >>
    >>「気づき」が受肉したものが私たち人間であるともいえる、というようなことでしょうか。
    >
    > ルパートスパイラの「気づき」は、本人がいうように、キリスト教文化圏ではGodに当たります。寸分も違わず同じだと理解しているはずです。
    >
    > キリスト教の受肉とは、三位一体の神である子が100パーセント我々と同じ人間として受胎し、誕生して生育し、最後は受難を経て十字架にかけられて死んだ。このことをいいます。

    おはようございます。
    だからこれが大死一番絶後再臨だと思いますよ。
    精進し続けてダルマになりきったところで、自意識が死ぬ。
    内山図の第六図終了。
    そこからは思考だけですよ。


引用返信/返信 削除キー/
■8409 / inTopicNo.60)  Re[7]: 受肉
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/27(Tue) 08:25:54)
    No8406に返信(minoriさんの記事)
    > ■No8401に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>ルパートスパイラは受肉の意味もさすがによくわかっているようです。
    >>すごい洞察力だとあらためて感心します。
    >
    >
    > おはようございます。
    >
    > 「気づき」が受肉したものが私たち人間であるともいえる、というようなことでしょうか。

    ルパートスパイラの「気づき」は、本人がいうように、キリスト教文化圏ではGodに当たります。寸分も違わず同じだと理解しているはずです。

    キリスト教の受肉とは、三位一体の神である子が100パーセント我々と同じ人間として受胎し、誕生して生育し、最後は受難を経て十字架にかけられて死んだ。このことをいいます。
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