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■7548 / inTopicNo.61)  Re[26]: Wのハエとり壺の喩え
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/09(Fri) 19:01:54)
    ななしさん こんばんは レスありがとうございます。

    > knowing itselfさん、パニチェさん、こんばんは。
    >
    > 「お前の哲学の目的は何か? それはハエにハエ取り器から脱出する出口を示してやることだ」
    >
    > これは、言葉という一義的な意味に呪縛された視点を再考させて
    > 新たな意味、出口を見出させる言語論的転回のことだと認識しています。

    前期ヴィトゲンシュタインの言語観から大きく転回したということでしょうか。

    > つまり、「語の意味はその使用である」その使われる場面によって
    > 意味が全く変わってしまう「言語ゲーム」だからかなと思っています。

    以前は「言語ゲーム」は当たり前のことで驚くに値しないと思っていましたが、実はものすごくラジカルな転換なのだろうと認識を改めつつあります。


引用返信/返信 削除キー/
■7547 / inTopicNo.62)  Re[25]: Wのハエとり壺の喩え
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/09(Fri) 18:48:45)
    パニチェさん こんばんは 引用ありがとうございます。

    > まず、上記のウィトゲンシュタインの喩えが記されている周辺を以下に引用しますね。
    >
    > ********************************************
    >
    > 以下、探究309
    > 『哲学におけるあなたの目的は何か。──ハエにハエとり壺からの出口を示してやること。』
    >
    > 以下、ウィトゲンシュタイン『「個人的経験」および「感覚与件」について』より
    >
    > 『それにしても、今私が見ているもの、この部屋の光景は比類のない役割を果たしている。それは〔私のみが眼にできる〕視覚的世界なのだ!
    >
    > (独我論者はハエ取り器の壁の中でぱたぱたし続ける。壁にぶつかってまたぱたぱたする。彼を静かにさせるにはどうすればよいのか)
    >
    > しかし私の根本問題は、私というものはどう定義されるのか、である。この特別なものは誰なのか?私である。しかしすれが誰なのかを示すために私は手を挙げればいいのか。──かりに私も私の周囲も絶えず変わってゆくものとすると、そこにもなお何かの連続性、それによって変わっていくものは私であり私の周囲であると言える連続性があるのだろうか。
    >
    > (これは、空間の中のものがすっかり変わってもなお一つだけ変わらないものがある、すなわち空間だ、と考えるのに似ていないか。)(入れるもの〔ルーム〕と間違えられた空間。)』
    >
    > ********************************************
    >
    > もしよければ、knowing itselfさんが上記の「独我論者はハエ取り器の壁の中でぱたぱたし続ける。壁にぶつかってまたぱたぱたする。彼を静かにさせるにはどうすればよいのか」をどのように読解されたのか教えていただければ有難いです。

    この間、夢にこの場面が出てきました(笑)。

    どのように読解したかという明確な形はまだ示せませんが、このアフォリズムにヴィトゲンシュタインのすべてが凝縮しているのではという強烈な印象があります。

    永井=ヴィトゲンシュタイン的に解釈するとどうなるかという、興味もそそられます。

    永井さんは、このアフォリズムに内山興正の第五図につながるものを見ているはずです。


引用返信/返信 削除キー/
■7516 / inTopicNo.63)  Re[25]: Wのハエとり壺の喩え
□投稿者/ ななし -(2020/10/08(Thu) 21:37:51)
    knowing itselfさん、パニチェさん、こんばんは。

    「お前の哲学の目的は何か? それはハエにハエ取り器から脱出する出口を示してやることだ」

    これは、言葉という一義的な意味に呪縛された視点を再考させて
    新たな意味、出口を見出させる言語論的転回のことだと認識しています。

    つまり、「語の意味はその使用である」その使われる場面によって
    意味が全く変わってしまう「言語ゲーム」だからかなと思っています。
引用返信/返信 削除キー/
■7515 / inTopicNo.64)  自己自身であろうとする絶望
□投稿者/ ななし -(2020/10/08(Thu) 21:27:10)
    悪魔ちゃん、レスありがとうございます。

    なかなか鋭い洞察かなと思いました。

    世の中というのは、自分で思うようにならないものですが、キルケゴールにとっては、神の国と世俗との異なった二つの世界を区分する関係を統合するのが自己だとしています。

    つまり、心の中(神の国・無限性・永遠なるもの・あの世)と
    現実社会(世俗・有限性・この世)とを、一旦分けて、再度弁証法によって相反するものを統合したのが「自己」であり、この分断した線引きに対する関係性があるからです。

    自己自身であろうとする絶望とは、これって絶望しているんでしょうか?

    むしろ、自己肯定感が高くて、ハッピーなようにも見えますよね?
    しかし、やっぱりこれは絶望なのです。

    それは、強がって反抗的になっているからです。
引用返信/返信 削除キー/
■7514 / inTopicNo.65)  Re[24]: Wのハエとり壺の喩え
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/08(Thu) 21:26:12)
    2020/10/10(Sat) 06:22:57 編集(投稿者)

    こんばんは、knowing itselfさん。興味深いお題をありがとうございます。
    そして横レス失礼します。

    No7506に返信(knowing itselfさんの記事)
    > みなさん こんばんは。ヴィトゲンシュタインに下記の発言があります。ものすごく思考を刺激する深遠な喩えだと思います。

    > 独我論者はハエとり器の壁の中でばたばたし続ける。壁にぶつかってはまたばたばたする。彼を静かにさせるにはどうすればよいのか。

    まず、上記のウィトゲンシュタインの喩えが記されている周辺を以下に引用しますね。

    ********************************************

    以下、探究309
    『哲学におけるあなたの目的は何か。──ハエにハエとり壺からの出口を示してやること。』

    以下、ウィトゲンシュタイン『「個人的経験」および「感覚与件」について』より

    『それにしても、今私が見ているもの、この部屋の光景は比類のない役割を果たしている。それは〔私のみが眼にできる〕視覚的世界なのだ!

    (独我論者はハエ取り器の壁の中でぱたぱたし続ける。壁にぶつかってまたぱたぱたする。彼を静かにさせるにはどうすればよいのか)

    しかし私の根本問題は、私というものはどう定義されるのか、である。この特別なものは誰なのか?私である。しかしそれが誰なのかを示すために私は手を挙げればいいのか。──かりに私も私の周囲も絶えず変わってゆくものとすると、そこにもなお何かの連続性、それによって変わっていくものは私であり私の周囲であると言える連続性があるのだろうか。

    (これは、空間の中のものがすっかり変わってもなお一つだけ変わらないものがある、すなわち空間だ、と考えるのに似ていないか。)(入れるもの〔ルーム〕と間違えられた空間。)』

    ********************************************

    もしよければ、knowing itselfさんが上記の「独我論者はハエ取り器の壁の中でぱたぱたし続ける。壁にぶつかってまたぱたぱたする。彼を静かにさせるにはどうすればよいのか」をどのように読解されたのか教えていただければ有難いです。

引用返信/返信 削除キー/
■7506 / inTopicNo.66)  ヴィトゲンシュタインのハエとり壺の喩え
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/08(Thu) 19:14:56)
    みなさん こんばんは。ヴィトゲンシュタインに下記の発言があります。ものすごく思考を刺激する深遠な喩えだと思います。


    独我論者はハエとり器の壁の中でばたばたし続ける。壁にぶつかってはまたばたばたする。彼を静かにさせるにはどうすればよいのか。
引用返信/返信 削除キー/
■7486 / inTopicNo.67)  Re[23]: One of These Days
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/07(Wed) 21:22:02)
    こんばんは、フローラさん。レスありがとうございます。

    No7453に返信(floraさんの記事)
    > ところで、ジェリー・ラファティのこの曲非常に有名ですよね?
    > https://www.youtube.com/watch?v=x-Yi762sQTo

    ありゃ、ごめんなさい。初めて聴きましたが洗練されたいい曲ですね。

    > 実はあの有名なサクソフォーンの部分は,
    > この人が作曲したのではなく,
    > セッションのミュージシャンに当時で約4000円くらいで書かせたものらしいのです。
    > もちろんこのミュージシャンには著作権も何もありません。
    > この曲、あのサクソフォーンがいいのにね!

    そんなこともあるんですね。
    確かにサクソフォーンが肝ですね。

引用返信/返信 削除キー/
■7484 / inTopicNo.68)  Re[22]: 自己自身であろうとする絶望
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/10/07(Wed) 20:59:02)
    お邪魔〜
    今日はちょっと冴えてるかも?

    >「絶望」とは死にたいけれども死ぬこともできずに生きていく状態のことです<
    じゃないと思う。

    「絶望とは生きたいけれども生きることもできずに生きてゆく状態のこと」だと思う。

    >自己自身であろうとする絶望< は、
    自己自身のうちにつねに他者が存在し続ていることに気づいたからなんじゃない?

引用返信/返信 削除キー/
■7477 / inTopicNo.69)  自己自身であろうとする絶望
□投稿者/ ななし -(2020/10/07(Wed) 20:37:33)
    自灯明と法灯明を考えているとき、キルケゴールの「死に至る病」の「絶望」を思い出しました。

    「絶望」とは死にたいけれども死ぬこともできずに生きていく状態のことです。
    肉体の死をも越えた苦悩が「絶望」です。

    というのは、人間とは自由意志(自灯明)と自然法則(法灯明)という二つの異なる要素の組み合わせ、相反する二つの要素が組み合わさってできています。

    自由に行動できるけど、自然法則にはしたがって至り、
    可能性は無限だけど、才能には限界があったり、などなど。

    キルケゴールの「絶望」における3つのケース

    1) 絶望の内にあって自己をもっているということを意識していない場合(非本来的絶望)。
    2) 絶望して自己自身であろうと欲しない場合。
    3) 絶望して自己自身であろうと欲する場合。

    これは、いったい何を表しているのか、どんな事例があるのでしょうか。




引用返信/返信 削除キー/
■7453 / inTopicNo.70)  Re[22]: One of These Days
□投稿者/ flora -(2020/10/07(Wed) 02:54:57)
    パニチェさん、こんばんは、

    お返事ありがとうございます。

    >>>当時、ピンクフロイドとともに驚かされた一曲です。
    >>>冒頭の部分はあまりにも有名ですが、これも組曲みたいになってます。
    >>Mike Oldfield 'Tubular Bells' Live at the BBC 1973
    >>https://www.youtube.com/watch?v=KXatvzWAzLU
    >>どうもありがとうございます。音は聞いたことがあります・・・もしかして
    >>「エクソシスト」に使われませんでした?

    > そうです。マイク・オールドフィールドが弱冠20歳で作った曲で、当初は無断使用されたみたいです。
    > サイトにもあるように全ての楽器を自分で演奏し、重ね録りして完成させました。
    > https://muuseo.com/analogrecordfan/diaries/18

    ところで、ジェリー・ラファティのこの曲非常に有名ですよね?

    https://www.youtube.com/watch?v=x-Yi762sQTo

    実はあの有名なサクソフォーンの部分は,
    この人が作曲したのではなく,
    セッションのミュージシャンに当時で約4000円くらいで書かせたものらしいのです。
    もちろんこのミュージシャンには著作権も何もありません。

    この曲、あのサクソフォーンがいいのにね!
引用返信/返信 削除キー/
■7446 / inTopicNo.71)  Re[21]: One of These Days
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/06(Tue) 21:05:28)
    2020/10/06(Tue) 21:58:22 編集(投稿者)

    こんばんは、フローラさん。レスありがとうございます。

    No7418に返信(floraさんの記事)

    > ラリッテいる(?)時に出て来るものは、無意識の中にあるものでしょうか?

    よく分かりません。^^
    聞いた話では(笑)、幻聴は日常では聞かない音が聞こえ、普通の音も波打って聞こえるそうです。

    > 以前量子の情報とかパニチェさんとお話ししましたが、あの宇宙の音は、もしかしたら私たちの記憶の中にあるものなのかな〜ともちらっと感じました。
    > ピンクフロイドの「Eclipse」はロンドン五輪の開会式にも使われました。ほかの音もたくさんあってあまり聞こえないけど。
    > https://www.youtube.com/watch?v=SYES21CkXug

    ほんとですね。開会式見てなかったので知りませんでした。
    さすがピンクフロイド!^^

    > >当時、ピンクフロイドとともに驚かされた一曲です。
    > >冒頭の部分はあまりにも有名ですが、これも組曲みたいになってます。
    > Mike Oldfield 'Tubular Bells' Live at the BBC 1973
    > https://www.youtube.com/watch?v=KXatvzWAzLU
    > どうもありがとうございます。音は聞いたことがあります・・・もしかして
    > 「エクソシスト」に使われませんでした?

    そうです。マイク・オールドフィールドが弱冠20歳で作った曲で、当初は無断使用されたみたいです。
    サイトにもあるように全ての楽器を自分で演奏し、重ね録りして完成させました。
    https://muuseo.com/analogrecordfan/diaries/18


引用返信/返信 削除キー/
■7418 / inTopicNo.72)  Re[20]: One of These Days
□投稿者/ flora -(2020/10/06(Tue) 00:08:04)
    こんにちは、パニチェさん、お返事ありがとうございます。

    >ピンクフロイドは先に紹介した“Echoes”にせよ、“One oF These Days”や“Atom Heart Mothern”にせよ、よくあんな和音とか旋律が思い浮かぶもんだと感心を超えて驚嘆します。
    若かりし頃、「あれって普通の精神状態では浮かばんやろ」と友人と言い合ってました。絶対、薬の力だと(笑)。

    ラリッテいる(?)時に出て来るものは、無意識の中にあるものでしょうか?

    以前量子の情報とかパニチェさんとお話ししましたが、あの宇宙の音は、もしかしたら私たちの記憶の中にあるものなのかな〜ともちらっと感じました。

    ピンクフロイドの「Eclipse」はロンドン五輪の開会式にも使われました。ほかの音もたくさんあってあまり聞こえないけど。

    https://www.youtube.com/watch?v=SYES21CkXug

    >当時、ピンクフロイドとともに驚かされた一曲です。
    >冒頭の部分はあまりにも有名ですが、これも組曲みたいになってます。

    Mike Oldfield 'Tubular Bells' Live at the BBC 1973
    https://www.youtube.com/watch?v=KXatvzWAzLU

    どうもありがとうございます。音は聞いたことがあります・・・もしかして
    「エクソシスト」に使われませんでした?

引用返信/返信 削除キー/

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