| 理解に何も付け加えてはいけないと思い至った朝 岸辺には野菊と薊、あと黄色い何かの花が揺れている (双眼鏡で見てみようか?) (やめよう。・・・怪しい人と思われる。)
「ただ理解する」という事はどのようなことなのだろう 理解はどこから来るのか もちろん私の内から来るのだが ということは、私の経験の限界が理解の限界ということになる
つまり私が何か(誰かの行動)を理解したと思った時 すでに私の理解はわたしにまみれている それを忘れないようにしよう
(そのうえ理解に何か付け加えたくなったら最悪だ)
新しい知識や情報の習得は、わたしにまみれた理解の内容から少し距離を置いて物事や相手を見せてくれるだろう
そんなことに期待しながら秋の径を歩こう
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