| 想像力ちゃんは、見えないもの?それとも見えるもの?
もし、見えないものだったとしたら、パニチェさんのように見えるもので見えるようにする(浮き立たせる)、っていう手があるんじゃないかしら?
でも、これってよっぽど気をつけないと”前提ありき”になっちゃう気がする。 こういうのすっごくたいへん。
>落ち葉かけて、見えなくして、無かったことにして< わたしそううのでいいとも思う。
ニーチェの『善悪の彼岸』のなかにこんなのが書いてある。 【認識の一種の直覚に訴えて、あの形而上学的な問いに直ちに答え、「われは思う、そして少なくとも真であり、現実であり、確実であることを知る」と言う者のするように、認識の一種の直覚に訴えてあの形而上学的な問いに直ちに答えようとする者、――そういう者は、今日の哲学者たちのうちでは早くも一つの微笑みと二つの疑問符とをもって迎えられるであろう。「貴君!」と哲学者は恐らく彼に仄めかすであろう、「貴君が誤っていないとも限るまい。しかし何故にまたあくまで真理がなければならないのか」と。】 ニーチェの言う「直覚」っていうの意味わかんないけど、「直観」とは違うものなのかな?「覚」とうことから「感覚」「知覚」の領域のことなのかな?
いずれにしても、わたし、哲学者や科学者に言っちゃうね。
「貴君!」と素朴人は言う、「貴君らが誤っていないないとはいいきれないのではないか。しかし何故にまたあくまで必然・普遍がなければならないのか」と。
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