| 2018/10/13 21:07 同
数学において無限や連続を表現するための記号は有限個であり離散的である。そいつを理解するには有限の時間内でいい。そこに一種の詐欺というか欺瞞はないか? 実際には有限個の記号が離散的に並んでるだけなのに。
これを文学や芸術や神学について拡張してみる。
「われわれは現に、いつも永遠なるものを不可解な観念として、何か大きなもののように想像しています!が、しかし、なぜ必ず大きなものでなくちゃならないんでしょう? ところがあにはからんや、すべてそういったものの代わりに、田舎の湯殿みたいな、すすけたちっぽけの部屋があって、その隅々に蜘蛛が巣を張っている。そしてこれがすなわち永遠だと、こう想像してごらんなさい。じつはね、わたしはどうかすると、そんなふうなものが目先にちらつくことがあるんですよ。」
ドストエフスキー 『罪と罰』(米川正夫 訳)
数学が有限個で離散的な記号を並べただけで無限を記述できるならこの蜘蛛の巣のある部屋の延長が全宇宙ではないのか! 思考停止したマヌケどもは自分の想像力を検証せずに都合のいい「神」をでっち上げてご満悦だがおれはそんなもんみとめねえ。こんなお笑い精神牢獄で満足すると思うなよ!
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