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■6610 / inTopicNo.73)  Re[12]: 時さんに質問
  
□投稿者/ たーぼー -(2020/09/14(Mon) 01:36:11)
    Pipitさん、お久しぶりです。(**)/
    ショーシャンクさんとこで一緒になりました。
    覚えてますか? 
    どうやってトピックを立てればいいのでしょうか?

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■6609 / inTopicNo.74)  時さんに質問
□投稿者/ たーぼー -(2020/09/14(Mon) 01:23:51)
    初めてここの掲示板に書かせてもらいます。
    たーぼーと申します。
    ルールなどよく分からず、トピックのたて方も分からず失礼でしたら申し訳ありません。
    時さんの投稿を読んでいて非常に原始仏典にお詳しい方とお見受け致しました。
    何点か教えて頂きたいことがあります。


    ある種の見解を持つことは、仏教では禁忌なのですが、あえてお答えしますと輪廻転生するのは「識」ですね。識とは、六識身の事で、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の6つです。総合して識・・同一で不異な識が転生するといった意味合いではなくて、識別(作用)するので識と表現したようです。
    > 識が母胎に入ります。そして識という縁により名色があります。このことは、ご存じの十二支縁起の一部ですね。十二支縁起(無明・諸行・識・名色・六処・触・受・渇愛・取・有・生・老死)の一部(3番目と4番目)です。これは、長部15経「大因縁経」に記載があります。


    これは時さんの投稿ですが、輪廻するのは[識とは、六識身の事で、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の6つです] と書かれてますがこれだと十二縁起の六入ではないのでしょうか?
    六入=六根(目、耳、鼻、舌、身、意)とはまた違うのでしょうか?
    私の理解だと十二縁起の識は三番目で名色=五蘊と六入=六根の前にあることから、西田幾多郎の純粋認識のようなものを想定していました。
    通常の凡夫の認識ではなく、認識する前の頭で理解する前の認識のようなものです。


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■6607 / inTopicNo.75)  knowing itself さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/13(Sun) 22:31:34)
    こんばんは

    >因果法則も好きだったのでは?因果と自由どちらも最大限に導き出す哲学を作りたかった?ー<

    knowing itselfさんからのコメント読むと、
    「そう言われれば、そうですね」と思うことが多くて、自分の至らなさに恥ずかしくなりながらも(^_^;)、とてもありがたいです。

    今回も、私は、私の好みで、偏見つくりかけてましたね。

    いつも、pipitの偏向に気づかせてもらいまして、感謝しています。

    pipitの思考の傾向性ともいえるかもしれませんね。

    不自由です !


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■6603 / inTopicNo.76)  pipitさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/13(Sun) 20:42:46)
    こんばんは


    > ほんとですね。
    > 第一、第二にしても、
    > そして多分、第三、第四アンチノミーにしても、
    > カントは、問いかけの前提に焦点を合わせ、二重化という解決ツールを仕掛けていくイメージを持ちました。
    >
    > あるの?ないの?どっち?の問いを無効にする、二重化ツール。
    > ツール使ったあとの答えとしては、
    > あるもないも、ないさ。か、
    > あるもないも、あるよ。か。

    そのとおりだと思います。

    >>第三アンチノミーと第四アンチノミーは、古代ギリシア哲学以来の「第一動者」としての神にかかわっています。自由による因果性の起点になりうるのは「第一動者」だけ。
    > これを非時間・非空間の存在として「現象」の外に置くことがカントの根本主張なので、「現象」内には自由による因果性の起点を認められないようにみえます。カントが唯一発見した出口が、道徳法則によるものではないでしょうか。「第一動者」的な因果性の起点になるのはここだけだと。<
    >
    > 一応、今、読み始めてる解説などからは、
    > 道徳法則を立てるのは、自らの知性で、
    > そのように行為するときの意志に、自由についての焦点を合わせてるのかな、という印象なのですが、
    > knowing itselfさんのコメントの表現を所々でお借りすれば、
    > 自分の立てた道徳法則が、自由への出口となる、と、カントは思ったのかなぁ、
    > と思いました。
    >
    > カント、因果法則から逃れたかったのかな、って
    > 思いました。
    > ちがうかなぁ??

    因果法則も好きだったのでは?因果と自由どちらも最大限に導き出す哲学を作りたかった?ー

    > なんにしろ、カント先生は、もう少し、わかりやすく書いてくれたらいいのに、と思ってしまいますo(`ω´ )o

    無意味な難解さではなく、意味のある難解さですからね。これほど哲学的な生産性をもった哲学は他には非常に少ないでしょう。
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■6602 / inTopicNo.77)  パニチェさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/13(Sun) 20:34:29)
    > 私はカントを読み込んでないので(数冊の解説書のみで、あとはニーチェのカント批判を通じてしか知りません)よく分からないのですが、最終的にカントは人間が理性的な理由というか根拠は何だと主張しているのでしょうか。

    私もよく分かりませんが、おそらくそうでは思っていることを述べると、カントは人間理性そのものが根拠だという立場です。
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■6590 / inTopicNo.78)  knowing itselfさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/13(Sun) 17:24:16)
    knowing itselfさん、こんにちは!

    > 物自体と現象の二重化は、四つのアンチノミーを解決するためのツールという側面もあると思います。物自体と現象に二重化できるので、アンチノミーも解決できるという。<

    ほんとですね。
    第一、第二にしても、
    そして多分、第三、第四アンチノミーにしても、
    カントは、問いかけの前提に焦点を合わせ、二重化という解決ツールを仕掛けていくイメージを持ちました。

    あるの?ないの?どっち?の問いを無効にする、二重化ツール。
    ツール使ったあとの答えとしては、
    あるもないも、ないさ。か、
    あるもないも、あるよ。か。


    > 第三アンチノミーと第四アンチノミーは、古代ギリシア哲学以来の「第一動者」としての神にかかわっています。自由による因果性の起点になりうるのは「第一動者」だけ。
    これを非時間・非空間の存在として「現象」の外に置くことがカントの根本主張なので、「現象」内には自由による因果性の起点を認められないようにみえます。カントが唯一発見した出口が、道徳法則によるものではないでしょうか。「第一動者」的な因果性の起点になるのはここだけだと。<

    一応、今、読み始めてる解説などからは、
    道徳法則を立てるのは、自らの知性で、
    そのように行為するときの意志に、自由についての焦点を合わせてるのかな、という印象なのですが、
    knowing itselfさんのコメントの表現を所々でお借りすれば、
    自分の立てた道徳法則が、自由への出口となる、と、カントは思ったのかなぁ、
    と思いました。

    カント、因果法則から逃れたかったのかな、って
    思いました。
    ちがうかなぁ??

    なんにしろ、カント先生は、もう少し、わかりやすく書いてくれたらいいのに、と思ってしまいますo(`ω´ )o

    knowing itselfさん、ありがとうございますo(^▽^)o



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■6589 / inTopicNo.79)  Re[10]: アンチノミー
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/09/13(Sun) 17:24:06)
    お邪魔します。
    knowing itselfさまへ

    knowing itselfさまの言う
    >四つのアンチノミー<
    っていうのどういうの?
    わたしにはじぇ〜んじぇんわかんないんだけど。
    もうすでに語ってるんだったら書かなくていいよ。

引用返信/返信 削除キー/
■6585 / inTopicNo.80)  Re[9]: 日本国憲法とカント
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/13(Sun) 16:59:00)
    2020/09/13(Sun) 16:59:40 編集(投稿者)

    knowing itselfさんへに教えて欲しいことがあります。

    私はカントを読み込んでないので(数冊の解説書のみで、あとはニーチェのカント批判を通じてしか知りません)よく分からないのですが、最終的にカントは人間が理性的な理由というか根拠は何だと主張しているのでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■6584 / inTopicNo.81)  日本国憲法とカント
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/13(Sun) 16:55:00)
    日本国憲法をパソコンのアプリケーションに喩えた場合、OSにあたる哲学は何だろうかと考えることもできます。一人の哲学者の固有名詞で代表させるなら、やはりカントだと思います。ルソーやロック、他の啓蒙思想家たち、思潮としても多様な流れがあって、それらが全体として日本国憲法の基礎づけているとされますが、多様な流れを総合して、かつ完成度が高いのはやはりカント哲学でしょう。

    現代ドイツを代表する哲学者のガブリエルマルクスは、現代ドイツ憲法を作ったのはドイツ観念論哲学だと主張していますが、もちろん中心はカント。ドイツに限らず、先進国の憲法にも当てはまるはず。
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■6579 / inTopicNo.82)  pipitさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/13(Sun) 16:01:23)
    こんにちは

    物自体と現象の二重化は、四つのアンチノミーを解決するためのツールという側面もあると思います。物自体と現象に二重化できるので、アンチノミーも解決できるという。

    第三アンチノミーと第四アンチノミーは、古代ギリシア哲学以来の「第一動者」としての神にかかわっています。自由による因果性の起点になりうるのは「第一動者」だけ。これを非時間・非空間の存在として「現象」の外に置くことがカントの根本主張なので、「現象」内には自由による因果性の起点を認められないようにみえます。カントが唯一発見した出口が、道徳法則によるものではないでしょうか。「第一動者」的な因果性の起点になるのはここだけだと。


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■6575 / inTopicNo.83)  今の段階の感想
□投稿者/ pipit -(2020/09/13(Sun) 14:15:08)
    道徳法則は、自らの外に流れてるものではなく、
    人間の理性が自ら、その知性から、設定した法則なんじゃないか、って、
    今の段階では思ってきました。
    変更するかもだけど、勉強してみます。

    久しぶりに、図書館で、サンデル先生の本を借りました。

    改めて読むと、カントの記述いっぱいです

    御子柴先生の本も借りました (o^^o)

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■6560 / inTopicNo.84)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/12(Sat) 23:30:11)
    こんばんは。

    >では、私はここで抜けますよ。お疲れさまでした。<

    了解です。
    では、私は私で、カントが何を伝えたかったのか、勉強してみますね。

    おつかれさまでした 、元気でね (^_^)
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