| Pipitさん、おはようございます^^
> 今のわたしの中のイメージでは、四聖諦の苦集滅道でいえば > pipitの現状、と、pipitの現状の原因、と、涅槃、と、涅槃へ至る道、かな〜?と思っています。
pipitさん、現状が苦しいの? でも私も含めて皆ある程度は苦しいと思うなぁ。 個体としての自分がある限りみんな苦しいと思う。 それは無常で無量が本来なのに、自分という塊を持ってしまう苦しさだと思う。
> 初期仏教では、ブッダは、涅槃へ至る道は八正道と説かれているとpipitは思っているのですが、 > たーぼーさんは、八正道についてはどう思われていますか?
これは大事だと思ってます。 でも八正道の難しさは最初の正見を持てるかどうかが一番難しいと思ってます。 色々な余計な知識を捨てていかないと中々正しい物の見方(智慧)にならないように思います。 正見が持てれば、八正道は涅槃に至る道ではなく、道が涅槃になると思ってます。
> たーぼーさんにとって、瞑想は、八正道の一つとして実践されてるのか、 > 瞑想単独での実践を目指されてるのか、どっちかなあ?とお聞きしたくなりました。
私はそんな改めて自宅で座ってとかではなく、常に内省して自分の心の動きを観察するようにしてます。 十二縁起でいうと、受・渇愛・取が重要だと思ってます。 この受で快と不快に分けてると思うんだけど、内省的なポジションで生活してると気づくんですよ。 内省的なポジションでないと気づかないうちに、快から渇愛へ不快から嫌悪へ簡単に巻き込まれてしまう。 快感でも喜ばず=渇愛に移行させず、不快でも嫌悪せず、常に一定の精神状態を持ってると少しずつ我が弱くなってきて楽になっていくように思ってます。 十二縁起の最初の無明→行→識は認識以前のところだから難しいなぁと思ってます。 これは何か特殊な体験をした人向きなような気がしてます。 あくまで私の自己流解釈ですから。 十二縁起も色々な解釈がありますから、minoriさんのも参考にされたらいかがでしょうか。
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