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■6692 / inTopicNo.37)  pipitさんへ
  
□投稿者/ minori -(2020/09/15(Tue) 21:27:02)
    テキストリームの最後らへんで、メビウス掲示板を教えてくれた人がいたのね。
    それでメビウスというのは知ってたんだけど、哲学難しいしな〜、とずっと見てなかったんです。

    こちらのニーチェクラブに投稿させていただくようになった少し前、愚さん(テキストリームに投稿されてた禅の方)のブログに、カントのことを少し書いてる方がいて、メビウスを思い出したんです。
    もしかしたらpipitさん、カントについて書いてないかな、とか思いながら見たら・・・なんと、pipitさんが投稿されてて、メビウスは終わるというのも表示されてたんですね。

    こちらのニーチェクラブにもpipitさんが投稿されてるみたい、というのもその際に知り、こちらを拝見するようになったという次第でした。

    テキストリームでは私は、頭おかしい人というイメージを持たれても当然みたいな(〃▽〃)投稿が多く、不勉強の極みだったのだけど、今になってなぜか純粋に知的欲求が出てきてます。

    パニチェさん主催の静かな環境とpipitさんの熱意に学ぶものが大きいからだと思ってます。^^

    あらためて今後ともよろしくお願いしますね〜。♪


引用返信/返信 削除キー/
■6687 / inTopicNo.38)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/15(Tue) 20:37:33)
    お恥ずかしす \(//∇//)\ m(_ _)m



    No6683に返信(minoriさんの記事)
    > ああ、そういうのではないです。('◇')ゞ
    > そもそも。pipitさんが苦しんでいらっしゃるようには、少なくとも私は思ってないですよ。^^
    > 苦しんでらっしゃるのかもしれないけど、超能力者じゃないので実際のところは知りえません。(〃▽〃)
    > 私秘性ってやつですよね。^^
    >
    > 一般論的に書いたものです。それと、私自身ははそんなふうにしてるかな、みたいに。
    >
    > 十二縁起については、minoriが思っていることを書かせていただいたというのと、感想をお聞きしてみたい、と思ったとからです。
    >
    > テキストリームではしえなかったような、やりとりも可能ならできたらいいな、というのもありました。 それで投稿させていただきました。
    >
    >
    >
引用返信/返信 削除キー/
■6685 / inTopicNo.39)  knowing itselfさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/15(Tue) 19:58:43)
    こんばんは、レスありがとうございます。

    No6681に返信(knowing itselfさんの記事)
    > こんばんは レスありがとうございます。

    >>カントの場合、神は道徳や自由意志との関連ででてくるのでしょうか?
    >>コペルニクス的転回が偉業であるのは理解できるのですが、どうも実践理性批判が解説書を読んでもよく分かりません。

    > 以下のように理解しています。

    > 道徳法則に従うことが自由意志の確実な証しで、それが「善」ということでしょう。一方、人間は「幸福」への望みももっている。自由意志の行使は感性界のありのままの条件に反するので「善」はしばしば「幸福」と齟齬をきたす。「善」と「幸福」は実践理性のアンチノミーだとされます。「善」と「幸福」が背反することなく結合するためには、神と霊魂の不滅が要請されるということではないでしょうか。

    > もっとも、神も霊魂の不滅も「物自体」領域にあるので、人間世界には不在、不可視である他はありません。人間の悟性と感性の対象になるのは、どこまでもいっても「現象」のみです。一方、「物自体」もあるかないかわからないが信じようというような曖昧なものではなく、もっとも確実な基底です。最初から「物自体」が神であるということもできます。

    ありがとうございます。
    次の連休でknowing itselfさんにいただいたレスを念頭にもう一度『実践理性批判』関連の解説書を読み直してみます。

    現時点での個人的な感想としてはデカルトもカントも偉大な仕事を成し遂げたとは思うのですが、どうも両者とも神を持ち出したあたりから違和感があります。
引用返信/返信 削除キー/
■6684 / inTopicNo.40)  自由意志
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/15(Tue) 19:54:47)
    道徳法則の遵守が自由であることの条件ではないですね。不可能に近いが遵守を迫る道徳法則コンシャスによって、ああ自由はほんとうにあるんだと自覚できることです。もちろんみんな遵守なんかできません。ただあらゆる瞬間、あたかもみずからが第一原因であるかのような因果の起点たりうる可能性を発見できる。人生では不幸、不遇に終ろうとそんなことにはお構いなしに、自由なる主体たりうるんだ。
引用返信/返信 削除キー/
■6683 / inTopicNo.41)  pipitさんへ
□投稿者/ minori -(2020/09/15(Tue) 19:54:04)
    ああ、そういうのではないです。('◇')ゞ
    そもそも。pipitさんが苦しんでいらっしゃるようには、少なくとも私は思ってないですよ。^^
    苦しんでらっしゃるのかもしれないけど、超能力者じゃないので実際のところは知りえません。(〃▽〃)
    私秘性ってやつですよね。^^

    一般論的に書いたものです。それと、私自身ははそんなふうにしてるかな、みたいに。

    十二縁起については、minoriが思っていることを書かせていただいたというのと、感想をお聞きしてみたい、と思ったとからです。

    テキストリームではしえなかったような、やりとりも可能ならできたらいいな、というのもありました。 それで投稿させていただきました。



引用返信/返信 削除キー/
■6681 / inTopicNo.42)  パニチェさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/15(Tue) 19:43:37)
    こんばんは レスありがとうございます。

    > カントの場合、神は道徳や自由意志との関連ででてくるのでしょうか?
    > コペルニクス的転回が偉業であるのは理解できるのですが、どうも実践理性批判が解説書を読んでもよく分かりません。

    以下のように理解しています。

    道徳法則に従うことが自由意志の確実な証しで、それが「善」ということでしょう。一方、人間は「幸福」への望みももっている。自由意志の行使は感性界のありのままの条件に反するので「善」はしばしば「幸福」と齟齬をきたす。「善」と「幸福」は実践理性のアンチノミーだとされます。「善」と「幸福」が背反することなく結合するためには、神と霊魂の不滅が要請されるということではないでしょうか。

    もっとも、神も霊魂の不滅も「物自体」領域にあるので、人間世界には不在、不可視である他はありません。人間の悟性と感性の対象になるのは、どこまでもいっても「現象」のみです。一方、「物自体」もあるかないかわからないが信じようというような曖昧なものではなく、もっとも確実な基底です。最初から「物自体」が神であるということもできます。



引用返信/返信 削除キー/
■6671 / inTopicNo.43)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/15(Tue) 17:24:09)
    pipitが、怒りをなくそうと苦しんでる、欲をなくそうと苦しんでる、と、
    みのりさんが心配してアドバイスくれたのかな、と、思っていました。

    ちがうにしても、書き込みをありがとうございました m(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■6670 / inTopicNo.44)  pipitさんへ
□投稿者/ minori -(2020/09/15(Tue) 17:12:37)

    >みのりさん、心配してくださってるんでしょうね、ありがとです

    (二つ目の投稿にいただいたレスから。)
    うん?(^O^)/  心配ってなに?  心配なんてしてないけど。(;'∀')
    なんかminoriがpipitさんを心配してるんじゃないか、って思われたのかな。


    > 貪りを捨てて、育成した方がラクだし、
    > 怒りを捨てて、改善した方がラクなんじゃないかなーと個人的には思いました。


    ええ。ある程度のところまではそうだと思うんです。
    なんでもいいよ、あるがままでいいよ、じゃ、本覚思想になっちゃいますからね。
    それはいかん、と私も思います。 苦しいのをごまかすだけになっちゃいますからね。

    ただ。煩悩を完全に無くすことに固執するとしたらそれもまた苦しみになると思うので。
    煩悩から発生する苦しみは理解した上でなるべく無くす方向で行った上で、それでも発生してくる煩悩から来る苦悩とは上手く共存していく、っていうのもいいのかな、と。
    苦しみを避けようとすることに固執しない、みたいな。


    レスはお気遣いなくなさってくださいね。^^
    お付き合いいただきありがとうございました。
    > ■No6659に返信(minoriさんの記事)
    >>プラユキ・ナラテボーさんで検索したら出て来たので・・・。
    >>
    >>『悩み、苦しみ、そこにこそダンマの顕現がある
    >>「貪り」が育成力、「怒り」が改善力、
    >>「痴」が創造力になっていく
    >>スピリチュアル・アルケミー(煩悩を転じる錬金術)
    >>を起こす、仏教の癒すを発見する。』
    >>
    >>
    >>『仏教サイコロジー』という本。 藤田一照さんとプラユキ・ナラテボーさんの対談本なのだそうです。
    >>
    >>なんだか、煩悩即菩提を思い浮かべそう。
    >>買って読もうとは思わないけど、言わんとされるところはなんとなくわかる気がします。
    >>
    >>煩悩をただただ悪いものだけとせず、錬金術させて安楽に向かわせる、という発想、個性を殺す必要はなく活かしつつ、という発想なのかな。
    >>
引用返信/返信 削除キー/
■6669 / inTopicNo.45)  pipitさんへ
□投稿者/ minori -(2020/09/15(Tue) 16:59:04)
    pipitさん、お手数おかけしました。
    カントの道徳論の話題もトピにはありますし、なるべく早くレスしちゃおうと思い、さっそくに。

    > 感想としては、
    > 苦しみを減らすための方法を、十二因縁に則って、説こうとされてるのだな、と思いました。
    > わたしの解釈は、いろんなところに十二因縁は説明として当てはめられる、と、思っているのですが、
    > 例えばスッタニパータの724から始まる『二種の観察』などをチラチラと読むだけでも
    > (岩波文庫『ブッダのことば スッタニパータ』中村元先生訳、p156〜)
    > 苦の滅尽を説かれてるので、断言的に苦の滅尽を否定されてる方がいるとすると、少なくとも、その方はパーリ仏典のことは気にしてない方なんだなー、と、思っています。
    >
    > 中村元先生の訳から引用します
    > 『苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとをも知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、また苦しみの消滅に達する道をも知らない人々、ーーー
    > かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。
    > かれらは(輪廻を)終滅させることができない。
    > かれらは実に生と老いとを受ける。
    >
    > しかるに、苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、また苦しみの消滅に達する道を知った人々、ーーー
    > かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。
    > かれらは(輪廻を)終滅させることができる。
    > かれらは生と老いとを受けることがない。』
    > スッタニパータ724〜727
    >
    > 中村先生は、(輪廻を)と書いてられるので、原文には、輪廻という単語はないのかもしれませんね。


    生老病死や輪廻を取り入れた解釈ももちろんあって、それらがきちんと確立されていて機能しているというか役に立っているのだ、ということ、でいいのかな。
    pipitさんが書かれたものを読ませていただき、そのように感じたのですが、勘違いでしたらすみません。

    既に確立されていて実際に人々に役立ち成果も出している、ものであれば、その解釈は間違いではないと言えるのだろう、と思うんです。
    (なんか偉そうな表現になってしまい、申し訳ありません。)

    仏教との関わり方や知識の量、宗派、個人の考え方の違いなどによって、解釈の違いも出てくるのだと思います。

    pipitさんが書いてくださったのは、輪廻なども含めての深く仏教と関わる方の解釈になるのだと思います。
    私が、現代風と紹介したのは、マインドフルネス的ですよね。

    仏教解説書にある十二縁起の説明とかを読んでも、どうしてするものなのかよくわからないですよね。
    十二縁起なるもので抜苦したいけれどなんだかわけわからん。。。という人もいめんじゃないか、というのもありました。(二つ目の投稿にそのあたり書きました。)
引用返信/返信 削除キー/
■6666 / inTopicNo.46)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/15(Tue) 16:01:43)

    貪りを捨てて、育成した方がラクだし、
    怒りを捨てて、改善した方がラクなんじゃないかなーと個人的には思いました。



    No6659に返信(minoriさんの記事)
    > プラユキ・ナラテボーさんで検索したら出て来たので・・・。
    >
    > 『悩み、苦しみ、そこにこそダンマの顕現がある
    > 「貪り」が育成力、「怒り」が改善力、
    > 「痴」が創造力になっていく
    > スピリチュアル・アルケミー(煩悩を転じる錬金術)
    > を起こす、仏教の癒すを発見する。』
    >
    >
    > 『仏教サイコロジー』という本。 藤田一照さんとプラユキ・ナラテボーさんの対談本なのだそうです。
    >
    > なんだか、煩悩即菩提を思い浮かべそう。
    > 買って読もうとは思わないけど、言わんとされるところはなんとなくわかる気がします。
    >
    > 煩悩をただただ悪いものだけとせず、錬金術させて安楽に向かわせる、という発想、個性を殺す必要はなく活かしつつ、という発想なのかな。
    >
引用返信/返信 削除キー/
■6665 / inTopicNo.47)   たーぼーさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/15(Tue) 15:56:36)
    たーぼーさん、こんにちは

    > pipitさん、現状が苦しいの?
    > でも私も含めて皆ある程度は苦しいと思うなぁ。
    > 個体としての自分がある限りみんな苦しいと思う。
    > それは無常で無量が本来なのに、自分という塊を持ってしまう苦しさだと思う。<

    そうですね。
    わたしは、今の現状に感謝してるけど(だんなさんをはじめ、すごくやさしくしてもらって甘ったれて生きてるかんじです(^_^;))
    今の生は、自他ともに幸せに生ききりたいけど、
    次は生まれんでいい、って、なんか思います。

    自分という塊を持った、生存ゲームから降りたい気持ちです。


    >>初期仏教では、ブッダは、涅槃へ至る道は八正道と説かれているとpipitは思っているのですが、
    >>たーぼーさんは、八正道についてはどう思われていますか?
    >
    > これは大事だと思ってます。
    > でも八正道の難しさは最初の正見を持てるかどうかが一番難しいと思ってます。
    > 色々な余計な知識を捨てていかないと中々正しい物の見方(智慧)にならないように思います。
    > 正見が持てれば、八正道は涅槃に至る道ではなく、道が涅槃になると思ってます。<

    私が言えることでは全くないんですけど、、、
    安心しました o(^▽^)o

    私は、大乗仏教のことほとんどしらないので、
    たーぼーさん、瞑想だけで進もうと思ってるのかなあ?とチラッと思ってしまって。


    >>たーぼーさんにとって、瞑想は、八正道の一つとして実践されてるのか、
    >>瞑想単独での実践を目指されてるのか、どっちかなあ?とお聞きしたくなりました。
    >
    > 私はそんな改めて自宅で座ってとかではなく、常に内省して自分の心の動きを観察するようにしてます。
    > 十二縁起でいうと、受・渇愛・取が重要だと思ってます。
    > この受で快と不快に分けてると思うんだけど、内省的なポジションで生活してると気づくんですよ。
    > 内省的なポジションでないと気づかないうちに、快から渇愛へ不快から嫌悪へ簡単に巻き込まれてしまう。
    > 快感でも喜ばず=渇愛に移行させず、不快でも嫌悪せず、常に一定の精神状態を持ってると少しずつ我が弱くなってきて楽になっていくように思ってます。<

    ちゃんと仏道実践されてるかんじに思えました
    (私が実践できてないから、判断がわからないんですよね(^_^;))


    > 十二縁起の最初の無明→行→識は認識以前のところだから難しいなぁと思ってます。
    > これは何か特殊な体験をした人向きなような気がしてます。
    > あくまで私の自己流解釈ですから。
    > 十二縁起も色々な解釈がありますから、minoriさんのも参考にされたらいかがでしょうか。<

    はい、なるべく、見解に固執しないようにチャレンジしたいです。
    ありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■6664 / inTopicNo.48)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/15(Tue) 15:39:09)
    ナラテボーさんは、とてもやさしそうなお坊さまですよね。
    ご縁があった方たちは、とても救われる気持ちになられる方も多いような気がします。
    わたしもナラテボーさんと魚川祐司さんの共著を持ってるんですよ。
    その名も、、、
    『悟らなくったって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門』
    幻冬新書

    みのりさん、心配してくださってるんでしょうね、ありがとです


    No6656に返信(minoriさんの記事)
    > ダーナ マインドフルな毎日 というサイトに、プラユキ・ナラテボーさんが十二因縁の解説を載せていらっしゃいます。
    > リンクフリーとされていないので、貼ることは控えます。
    > 検索で出てくると思うのですが・・・。
    >
    > やはり、プラユキ・ナラテボーさんの解説も、現代的で理解しやすいものになっています。
    > 過去世がどうの、生まれてくる時の苦しみがどうの、のような解説にはなっていないですね。
    > 温かみの感じられる、さすがな解説になってます。
    >
    > 仏教の解説書にある十二縁起、因縁って、「それ知ったとして何か役に立つの?」というぐらい縄文土器化したものになってて、学術的にはもちろん価値があるんだろうけど、実際の生活には活かせないんじゃないか、と思われる記述だと思うんですね。
    > 実際、現代人は、陶器だったり場合によっては、プラ食器で食事します。
    >
    > もちろん、本の趣旨の違いからそういう記述になってるのだから、しかたないのですが。
引用返信/返信 削除キー/

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